言霊の力

 
 例えばの話。ネオ氏とトリニティ氏は親友同士だった。彼らは普段は緩い絆でもって、互いに空気のように無味無臭に、近しくそばにいる。が、いざ離れようとすると、クォークのように互いの引力が強まり、離れれば離れるだけその力は増して、離れることができない。
 彼らはそれぞれ、異なる時空で個別に育んだ価値観を持っていたが、それはつき合わせてみると、ほとんどずれることなくぴったりと一致するのだった。

 そんな彼らに、ネオ氏の親友を気取りたいサイファ氏が対峙する。サイファ氏は往々、ネオ氏に言う。
「お前はトリニティの言いなりだ」
 だがサイファ氏は、異なる局面において、ネオ氏の同じ言動を取り上げて、「トリニティはお前の言いなりだ」と、真逆を言うこともあることを、忘れているのだ。

 そう言ったことで、サイファ氏は何を暴露してしまったのだろう。
 一つは、サイファ氏はネオ氏を、ネオ氏自身の価値観を持たない無主義・無思想の人間だ、と見なしているということ。
 もう一つは、サイファ氏が、ネオ氏はトリニティ氏をトリニティ氏自身の価値観を持たない無主義・無思想の人間として扱っている、と見なしているということ。
 さらにもう一つは、サイファ氏自身が、ネオ氏の価値観を見る眼を持たない無主義・無思想の人間だということ。

 サイファ氏は、そのときどきの自分の気分や感情、主観的な解釈、そう思いたい・思いたくない、あるいは信じたい・信じたくないの希望で、ネオ氏に物を言ってくる。サイファ氏の言葉はサイファ氏の、そのときどきにあっては真実の気分・感情、解釈、希望であるという意味で、真実である。
 そして物を言うのに、「言論の自由」という権利を持ってくる。つまりサイファ氏は、自分には真実を言う権利がある、と主張する。

 To be continued...

 画像は、M.ストークス「カプリの魔女」。
  マリアンヌ・ストークス(Marianne Stokes, 1855-1927, Austrian)

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