告解(続々々)

 
 心臓がバクバク打つ、クラクラと眩暈がする、吐き気がするなどは、まだいい。困るのは過呼吸になることだ。あるとき、子供の父親の家が近い電車のなかで、彼とよく似た男性を見かけて、私は突然、過呼吸に襲われた。
 過呼吸はこのとき一度きりだった。つまりそれは私が、そうした状況に到る前にあらかじめ状況を回避することができるようになったからなのだが、そのために私は多くの社会関係を切り捨てた。

 けれども、こんなことってあるんだろうか? 私はこの3月、坊のせいで過呼吸になったのだ。
 坊はもともと短気な気質だったが、成長するにつれて随分と自制心も身について、普段は父親の面影を見せなくなった。が、まだあまり洗練されておらず、加えて思春期の難しい時期なので、自然と反抗的な態度を取る。背丈ももう、私より少し高い。その坊が、乱暴な口調で、脅すような言葉を発したとき、私は、7、8年来の過呼吸に襲われた。

 望んで産んだ子供なのに、一緒にいるのがどうしてこんなにつらいのだろう。

 他にも理由があるのだろうが、とにかく今年は、知的なことがほとんどできなかった。精神(頭や心)を使うと、さまざまな想念が去来してきて、コントロールできなくなるのだ。
 読書量はガクンと減ったし、もちろん絵も描けなかった。 相棒には随分、迷惑をかけた。

 で、精神を使わずに過ごすのに、手芸をした。途上国では、戦争被害にあった子供たちが、技能習得も兼ねて、トラウマ克服のために手工芸をするという。
 私も同じようなものかも知れない。私の場合、ビーズでテディベアを作るのだが、ずっと調子が悪かったせいで、テディ作りの腕前はオタッキーな水準にまで上達した。きらきらと素朴に輝くガラスの粒でクマを編む。安心できるのだ。

 最近ようやく落ち着いてきた。多分、来年はテディを作らないで済むと思う……のだけれど。

 画像は、J.コリア「告白」。
  ジョン・コリア(John Collier, 1850-1934, British)

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