絵画鑑賞、徒然

   
 私が自分で美術館に行くようになったのは、学生の頃。母が招待券を貰うので、その一枚が私に回ってくる。で、京都、大阪、神戸に来るものは(たまに奈良、滋賀あたりにも)好き嫌いに関わらず観に行った。
 絵だけでなく、写真や彫刻や工芸品も。絵も、西洋絵画だけでなく、日本の洋画や日本画、ポスターやイラストレーションも。招待券が手に入らないときは、自分でチケットを買って観に行くこともあった。

 今はもちろん、そんなバイタリティなんかない。人間、限られた寿命において、あらゆるものに平等に関心を持つことはできない。私の場合、好みは西洋絵画へと偏っていった。
 ミュージアム(museum)が、あるときは美術館、あるときは博物館として登場するのに不満を持ち始めたのは、この頃からのように思う。私の関心は、もっぱら美術館のほうへと向かった。

 一方、相棒の趣味はずっと音楽のほうにあった。自分でもバイオリンを弾いてきたし、時間の許す限りクラシック音楽を聴く。物理、数学、将棋、野球、それに音楽。より論理的、抽象的なもののほうが、性に合うのだ。
 完璧主義のこの人の、音楽に関する教養は、趣味のレベルをはるかに超えている。本人もそれを自負している(多分)。だから私は、音楽については自分では調べない。相棒の知識を事典代わりに使うし、その日の音楽も、相棒のCDを適当に引き抜いて聴く。

 さて。ミュージアムへの不満云々の昔。同じ沿線だった私と相棒は、同じ電車に乗り込んだ。私は途中下車して、ベルナール・ビュフェ展へ。相棒を誘ったが、彼は断って、そのまま大学へと向かった。
 彼が、別の日になら行こうと言ったら、私はそうしようと思っていた。が、彼はそうは言わなかった。相棒はこのときのビュフェを観ずじまいだった。……絵だもんね。音楽じゃないものね。私はそんなふうに思っていた。

 To be continued...

 画像は、マルク「夢見る馬」。
  フランツ・マルク(Franz Marc, 1880-1916, German)

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