鏡(続)

 
 亡き友人と会うときも、私は自重して、川岸の道から外れることはなかった。彼はそこを「結界」と呼んだ。彼は二度、私を結界の外へと誘った。街へ行こう、冬の日本海を見に行こう、と。三度目には、雨のなか、傘を持たない私を家まで送るのだと言い張って、強引に私を外へ連れ出そうとした。

 結界から出ようとしない私に、彼は言った。
「君は自分を罪人だと思ってるのかい。まるで足枷を解かれた囚人が、一日に数時間、陽のぬくみを受けに庭に出るみたいに、ここに来るんだね」
 ……そう。その人の本当の姿を映す「鏡」は、その姿を自分が作り出したように感じて、自分の存在を厭うのだ。

 私は彼の別の姿を映し出すのが怖かった。だが彼は、ありのままの姿が「鏡」に映る、数少ない人間の一人だった。

 相棒が現われたとき、そこには最初から「結界」なんてものがなかった。彼は容赦なく、私に映った周囲の真実を見定めた。周囲は圧巻なくらい、バタバタと正体を現わした。
 相棒は私に、「鏡」は「鏡」のままでいなさい、と言った。一般的等価物と同様、そうした役割を担うようにできているのだから、ジタバタしてもダメだよ、と。「鏡」に責任はないのだよ、と。
 相棒もまた、ありのままの姿が「鏡」に映る一人。そして相棒自身も「鏡」となる。「鏡」の前に別の「鏡」を置くと、「鏡」と「鏡」は、どこまでも互いを映し出す。

 この6ヶ月ほど、「鏡」は新たにいろんな人々の真の姿を映し出して、その姿に幻滅し、脱力していた。が、中田英寿がピッチの真ん中で泣いた頃から、リスタートを決意した。
 ガンバ!

 画像は、モリゾ「鏡の前で」。
  ベルト・モリゾ(Berthe Morisot, 1841-1895, French)

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