ギリシャ神話あれこれ:エリュシクトンの飢餓

 
 子供の頃からずっと、大食い競争のようなTV番組が大嫌いだった。最近の、明らかに食べ過ぎで太ったようなタレントばかりが出ている番組も大嫌い。
 人間は、食べ過ぎて太っては、と言うか、体型が変わるほど食べては、ダメだと思う。飽食には必ず傲慢が伴っている。

 現在、世界の生産する穀物の総カロリーは、人間一人あたり一日2000カロリーを摂取するとして、世界の総人口60億人強をぎりぎり養えるだけあるらしい。が、穀物の大半は家畜の飼料となる。で、一方で、穀物も、肉や乳製品も食べることのできる人々、もう一方で、どちらも食べられずに飢餓に苦しむ人々、がいる。
 別に、私が肉を食べなくたって、出される食事を残したって、世界の飢餓がなくなるわけではないんだけれど、やはり、日々粗食に向いてしまう。

 テッサリアの領主エリュシクトンは、自分の館を建てるために、デメテルの森の神木を切り倒す。森の巫女に姿を変えたデメテルが諫めても、木に斧を入れた途端に切り口から鮮血が飛び散っても、お構いなし。
 ギリシャの神々には情状酌量というものがない。当然、神罰が下ることになる。森の精ドリュアスたちの訴えを受けて、デメテルは飢餓の神リモスを遣わし、永遠の飢餓をエリュシクトンに与える。このあたり、いかにも豊穣の女神らしい。
 
 エリュシクトンは満腹中枢を破壊されたブタネコのように食い漁り始める。すべてを食い尽くし、財産を売り払って食い潰すが、一向に追いつかない。とうとう、娘メストラも売り飛ばす。
 メストラはかつて、海神ポセイドンからの愛を受けたことがある。で彼女は昔の愛を頼りに、どうか奴隷の身分からお救いください、海神と祈る。願いは聞き入れられ、彼女は自在に姿を変える術を授かる。メストラは父に売られるたびに姿を変えて主人から逃げ出し、父のもとへと帰ってくる。
 こうしてエリュシクトンは、娘を何度も繰り返し売ることで食いつなぐのだが、依然、空腹は満たされない。とうとう自分自身の太った身体を貪り食って死んでしまった。

 ……ギリシャの神さまは、ナメたらあかん。

 画像は、ルーベンス「ケレスと豊穣の角を持つ二人のニンフ」。
  ピーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens, 1577-1640, Flemish)

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