大切なものはいつもそばに

 
 以前、小出裕章氏の講演で、こういう話があった。

 チェルノブイリ原発事故の際、ソビエト政府から近隣住民らに、原発にちょっとしたトラブルがあったので、3日分の身の回りの手荷物を持って避難するように、という退避命令が出た。結局、住民たちはそのまま二度と自分たちの家に戻ることができなかったのだが、その退避の様子を撮った写真のなかに、悲嘆に暮れながらバスへと向かうお婆さんたちが写っているものがあった。
 一人のお婆さんが両手に鞄やら包みやらを持っているのに、もう一人のお婆さんのほうは鍋を一つ持っている。3日分の身回り品として、このお婆さんは、どういう理由でなのかは分からないが、家からわざわざこの鍋を持って出てきたのだ、と小出氏は思っていた。

 ところがあるとき、その写真を見たある女性がこう言った。このお婆さんは、猫を抱いている、と。
 小出氏が確かめてみると、そのお婆さんは確かに猫を連れていた。

 すると、3日分の身回り品を、と指示されて、このお婆さんは両手に猫と、猫の餌のための器とを持って、着の身着のままで家を出てきたのだ。

 私にはこの話がとても印象に残っていて、自分にとっては最大の教訓だとさえ感じた。……私も一番大事なものを片手に、次に大事なものをもう片手に持って逃げよう。

 あのソ連でさえ、チェルノブイリ事故の際には、放射能の影響を最も受けやすい妊婦と子供を最優先で安全値圏に避難させていた。日本はそうした基準を健康な成人男性に置き、子供にはわざわざ被曝線量を引き上げて、年20ミリシーベルトという異常な基準を安心・安全と言って押しつけている。
 日本はチェルノブイリから一体何を教訓に学んだのだろう。

 画像は、リーバーマン「猫を連れた老婆」。
  マックス・リーバーマン(Max Liebermann, 1847-1935, German)
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