絵は死なず、魂も死なず

 

 アウシュビッツで死んだユダヤ人画家で最も有名な一人は、フェリックス・ヌスバウム(Felix Nussbaum)だろう。アウシュビッツ強制収容所(現在は博物館)でも、展示紹介されていた。

 作風は、新即物主義にもシュルレアリスムにも括られる。私の好みではない。が、その絵にはどれも、文明が野蛮へと堕し、理性が滅び去っていく不穏な時代に生きる、ホロコーストの犠牲となる運命にある個人的人間、その嘆きと叫び、そして魂、というものが、ありありと描き出されている。到底無視できない。

 ヌスバウムのシュールは、どこかルネサンス的に古典的で、どこか寓意的で、どこか皮肉で、どこか奇抜。自身が、絶望して死を待つユダヤ人たちの一人でありながらも、観察者の眼を失わない。彼は、ユダヤ人たちが死にゆくのを見届ける存在だ。
 禁欲的で、ユーモラスにすら感じられる画面は、相対すると苦しくなる。特に自画像がそう。彼は亡命時代、ひたすら自画像を描いた。亡命以前の絵は、ナチスによる放火も疑われる火災で、アトリエごと消失してしまったので、彼の画歴のなかで自画像は、圧倒的な存在感を持っている。
 その、ユダヤ人としての自画像に対して、観る側は決してユダヤ人の同胞にはなれない。この時代のユダヤ人の心理など、私には実感できない。想像すら及ばない。だからヌスバウムの画面は、自負と自信さえ感じさせる。ヌスバウムにとって絵は、生き残るという希望、屈しないという抵抗、我ありという矜持なのだ。

 以下は受け売りだが、記しておく。

 父は第一次大戦で従軍したドイツ愛国者。若い頃は画家を志していた父は、同じく画家を目指す息子を、物理的にも精神的にも熱心に励ました。
 ドイツ表現主義の先達同様、ゴッホに衝撃を受け、一方、ルソーの素朴に共鳴する。やがてジョルジュ・デ・キリコやカルロ・カッラの形而上派に傾倒し、画風はシュールな方向に。
 ナチスが権力を掌握した1933年、ヌスバウムはベルリン・アカデミーの奨学金で、ローマに留学していた。が、アーリア芸術推進のために芸術家精鋭を鼓舞する目的で、かの宣伝相がローマを訪れたとき、ヌスバウムは、ユダヤ人である自分にはもはやアカデミーに残る道はないと悟る。

 以降、彼の人生は一路、迫りくる恐怖を待ち受ける孤独と不安と絶望によって彩られる。絵はそれを反映し、いずれも陰鬱で暗澹とし、死相を漂わせる。
 画学生時代にベルリンで知り合ったポーランド系女流画家、妻フェルカとともに、ベルギーに亡命。この時期、スイスに住まう両親に会いに行くが、両親は祖国ドイツへの望郷の念を抑えがたく、ヌスバウムの猛烈な反対にも関わらず、ついにドイツに帰る。これが、彼が両親と会った最後となる。両親はのちにアウシュビッツでガス殺された。

 やがて、ナチス・ドイツがベルギーを侵攻すると、ヌスバウムは「敵性外国人」として逮捕され、南フランスの収容所へと送られる。そこでの悲惨な環境から逃れたい一心で、彼は本国送還を承諾。が、ドイツへの移送列車から脱走、ブリュッセルに逃げ帰り、妻と合流する。そして、友人たちの援助のもと、隠れ家生活に入る。
 息を殺して暮らしながら、たゆまず描くこと数年。だが、44年、ヌスバウム夫妻の潜む屋根裏部屋に、ゲシュタポがやって来る。彼らは逮捕され、中継収容所を経てアウシュビッツに移送されて、アウシュビッツ到着の一週間後に殺された。

 「私が消えても、絵は消さないで」……友人に託された彼の絵が残された。

 画像は、ヌスバウム「ユダヤ人の身分証を持つ自画像」。
  フェリックス・ヌスバウム(Felix Nussbaum, 1904-1944, German)

 他、左から、
  「二人のユダヤ人」
  「真珠」
  「死の勝利」
  「手回しオルガン弾き」
  「恐怖」
  
     Bear's Paw -絵画うんぬん-
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