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魔法の絨毯 -美術館めぐりとスケッチ旅行-

 世界をスケッチ旅行してまわりたい絵描きの卵の備忘録と雑記

謹賀新年

2009-01-01 | 森と湖の国
 
 今年の水瓶座は12年に一度の幸運期。難しい課題も難なくクリアでき、すべてで大活躍できるらしい。
 ハーマイオニーと同じく、私も占いなんて信じてないけど、こう、良いことずくめで書かれてみると、何もないよりモチベーションは上昇する。

 今年こそは世界へと旅立つつもりの相棒。年が明けたら、旅程のプランを立てろと言う。こうなってくると、実務のこなせない二人、計画以前にいきなり頓挫。
 あー。こういうとき私は、かつて女優で、今は大学の教員になって、お洒落して、A級グルメ食べて、車乗って、週末にはふと思い立って、スーツケース片手に飛行機に乗って海外飛び回っている、キャリアウーマンみたいな女性に、自分もなりたかったな、って思うんだ。

 世界は2、3年前に相棒が読んだとおり、北京五輪後に世界恐慌に突入。旧覇権大国は相変わらずだし、新興覇権大国もまた、市民社会が未成熟な分、もともと凶暴だったのが、時勢に開き直って、ますます凶暴になっている。
 自然科学者たちがしつこく警告しているとおり、地球環境の展望はすでに絶望的なのだが、相棒によれば、自然科学者たちが視野に入れていないファクター、つまり戦争というファクターは、地球環境をさらに悪化させるという。システムは相乗的、加速度的に一つのベクトルを目指す。
 地球環境というシステムは、あの6分の1の確率で不吉に存在する、破滅への限界点へと突き進んでいる。

 日本は、時流に乗ってエコを標榜するようになったけど、あの恥さらしな経済界の根強い反撥で、具体的な環境対策は何も進まないまま。こいつら、もし話が彗星なら、その軌道が科学的に割り出され、1年後に地球に衝突するのが確実な場合、人類存亡を賭けて手を打つ、なんて言ってのけるくせに。
 大量生産・大量消費の従来どおりのスタイルに、エコという言葉さえも平気で利用する偽善。モノを大事にしない国では当然、人間も大事にされない。そう言えば、ここ半年、ブラジル人から声をかけられていない。と言うか、ブラジル人の姿を見なくなった。彼らはみんな切り捨てられたのだ。 

 新年は世界は戦争の年だよ、と相棒は言う。この人は読みが早いので、すぐにはそうならないにしても、数年のうちにはそのとおりになるんだろうな。
 この先10年、世界は暗澹たる未来が開けている。そして、行き着くところまで行き着かないと、転換は訪れない。

 あー、暗い。暗くて重くて辛くて悲しい一年が始まる。
 ……そうは言っても、こういう現実を受け止めた上では、せめて健気に、明るく楽しくやっていこうとは思ってるけれど。せっかく世界に旅立てるんだし。

 画像は、豊国「新年の習慣」。
  歌川豊国(1769-1825, Japanese)

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世界への旅、徒然(続)

2008-11-22 | 森と湖の国
 
 現実を知ることは、それ自体、力となる。だが、現実を知るということは、必ずしも実際に体験するということを意味しない。大事なのは体験の意味で、他者に継承されるものも、やはり体験の意味だ。
 現実の表象と論理、分析、評価。科学ならそれで答えが出る。

 けれども、実際に自分の眼で見るということ、自分の五感で感じるということ自体にも、やはり意味はあると思う。
 どこで聞いたか忘れたが、神の存在も、生命の神秘も信じていなかった宇宙飛行士が、宇宙から、暗黒のなかに浮かぶ青い地球を見たとき、理屈抜きに、とにかくこの美しい生命の星を守らなければならない、という、使命のような霊的な意志を感じるのだという。

 自由や個性、知性、真実や美への感動、信頼や希望や愛情、そういう人間の普遍的な性質に関しても、理屈など要らないのではないか。
 私は、世界のそういう性質を見てまわりたい。アマルティア・センの言う“ケイパビリティ(capability)”、人間なら誰もが普遍的に備え、条件さえ与えられれば必ず開花するはずの素質たちに、触れてまわりたい。

 「知性は、それを持たない人には見えないものだ」というのは、確かショーペンハウエルの言葉。
 私には直接的なボランティア活動も、親善大使のような広報活動も、金銭的な寄付すらも、できそうにないけれど、分かる人には分かる形で、何かをしていきたい。

 画像は、ティソ「旅行者」。
  ジェームズ・ティソ(James Tissot, 1836-1902, French)

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世界への旅、徒然

2008-11-21 | 森と湖の国
 
 世界を旅して回る、という構想も、なんだか夢ではなくなってきた。
 相棒はすっかりその気で、最初はどこへ行こうか、しばらく帰ってこないつもりで出て行かなきゃいけないよ、なんて、しきりに言う。まだ、どういう形になるのか、全然分からないんだけど。

 私はと言えば、取り敢えず世界の現実を知っておこうと、いろいろと読んでいる。今読んでるのは、黒柳徹子「トットちゃんとトットちゃんたち」。
 ユニセフ親善大使である女史が、最貧国の子供たちの置かれた現状を書いた児童書で、つらくショッキングな現実が、女史と共に追体験するような臨場感で綴られている。これ、大人も必読。

 こういう現実の悲惨なエピソードを前にすると、そのたびにボロボロと涙が出てくる。読むたびに精神が疲弊する。
 こういう惨状は以前から知っていたし、知らない部分についても、まさにこれほどひどいに違いないと想定していた。のに、どれだけ知っていても、どれだけ想定していても、いつまで経っても慣れることはない。そして同じだけ涙が出る。

 学生のとき、他学部のデコルソン氏が、「足マメに現場の工場に出向き、労働者の汗の匂いを嗅がなければ、良い論文は書けない」と言ったとき、私は、よくもそんなプチブル的なインテリゲンチャの奢り丸出しの、センチメンタルな台詞を言えるもんだ、と反感を持った。もし今、同じような台詞を聞いたら、同じように感じるだろう。
 貧困について、「実際に途上国に出向いてその惨状を見てみなければ、支援はできない」というようなことを言われても、多分同じように感じると思う。

 To be continued...

 画像は、エミール・ブラック「大旅行計画」。
  エミール・ブラック(Emil Brack, 1860-1905, German)

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旅は人生、人生は旅(続)

2006-07-05 | 森と湖の国
 
 2、3年前、相棒にねだって、ブックオフで100円で、「中田語録」という本を買ってもらった。結構正しいことを言っている。
「サッカーしか知らない人間にはなりたくない」
「年齢や経験を問題にするなんて、ナンセンス」
「俺にお手本は要らない」などなど。
 ……一番面白かったのは、「サッカーは超複雑系」。同じような価値観の絵描きがいたら、絵描きの(絵の、ではなく)素質がかなりあるんじゃないかな。

 相棒曰く、人は、「ジェネラリスト」と「スペシャリスト」という、二つのタイプに分かれる。私は明らかに前者、相棒も前者。中田も、サッカー界のワールド・クラスで活躍したにも関わらず、前者のように思う。多分。
 サッカーも、絵や音楽、科学、文学、映画、旅行などなども、決して高圧的にではなく、世界や現実を教えてくれる。それら各々への関心は、結局、人間そのものへの関心に行き着く。

 中田の人生のゴール(=目標)は、世界中を旅することなのだという。「それって、僕と同じだよ」と相棒は言う。
 他にも、数学や物理が好きとか、読書が好きとか、絵を観てまわりたいとか、事業をしたいとか、共通点がいろいろある。人間観のセンスが似ているのだと思う。
 ただ相棒は、私の悪影響で、中田と違って、ズボラでだらしがない。ゴメンね、相棒。

 いずれにしても、「ホンモノ」が実在するということに、ホッとする今日この頃。

 画像は、クレー「世捨て人の庵」。
  パウル・クレー(Paul Klee, 1879-1940, Swiss)

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旅は人生、人生は旅

2006-07-04 | 森と湖の国
 
 中田英寿が現役を引退すると言った。

 あ、やっぱりな、と思った。ピッチの真ん中に倒れ込んで泣いているのを見たとき、大きな力を感じた。もう最後なのかも知れない予感がした。で、その通りになった。
 この、大きな力と予感には、実はもっといろんな中身が含まれてるんだけれど、それを言うと、妄想だとか憶測だとかと非難されかねないから、ここでは言わないことにする。もしそのときが来たら、あ、やっぱりな、と言うことにする。

 中田の決意表明で、相棒の「仕事をやめてやる」症候群にも、改めて火がついた。坊の就学条件さえ上手く片付けば、ホントに世界旅行に行けるかも知れない。
 で、取り敢えず、毎日ちょっとずつでも絵を描くようにしている。

 前々回のW杯フランス大会の予選頃、弟が、「こいつ、急にウマなってきたな」と言ったのが、中田だった。弟が、「こいつ、ホンモノやな」と言ったときには、中田はペルージャに移籍して、「世界のナカタ」になってたっけ。
 私は中田のファンじゃないけれど、中田を評価しているのは、彼が自由人だから。自由人は、囚われていないし、だから対等でもある。「価値観を他人に押しつけたり、他人から押しつけられたりするのが大嫌い」という中田。私もまったくそう。

 To be continued... 

 画像は、A.カイプ「田舎の丘陵を行く旅人たち」。
  アルベルト・カイプ(Aelbert Cuyp, 1620-1691, Dutch)

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