私が20代初めの頃、職場に万年係長と言われる定年間近のおじいちゃん(若かった私にはそう見えた)がいた。
穏やかで、優しい人だった。
その彼が「私は特攻隊の生き残りなんですよ。」と話してくれたことがあった。
学徒出陣で海軍航空隊に入隊し、厳しい訓練を受けて零戦(零式戦闘機)乗りになった。
「私は操縦がうまかったんですよ」とも言っていた。
戦況が悪化し、特別攻撃隊(特攻隊)が編成されると同期の戦友たちが次々に出撃していった。
特攻隊とは、敵の戦闘機や戦艦に体当たりして自爆攻撃をする攻撃隊のことで、燃料は片道分しか積んでいなかったと言われる。
出撃すること=死を意味する。
明日は出撃するという前夜、その兵隊に御馳走が振舞われたのだと言う。
最後の晩餐だ。そうは言っても、物資の乏しい時、大したごちそうでもなかったと思う。
戦友がひとり、ふたりと飛びだしていき、明日はいよいよ自分の番となった時、彼もまた最後の晩餐をどんな思いで食べたのだろう?
しかし、翌日、彼に出撃命令が下ることは無かった。
昭和20年8月15日だったのだ。
その彼は退職してから数年後、踏切内で自動車が立ち往生し、電車と衝突して亡くなったのだ。
なんと残酷なことか。彼は人生で二度も死の恐怖を味わったのだ。
78回目の終戦記念日に彼のことを思い出した。