チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
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またひとつ、昭和が逝った・・・

2008年11月30日 | チエの玉手箱
「夢の超特急」0系が引退 最後の定期運転(共同通信) - goo ニュース

本日をもって、新幹線0系が引退するそうです。
またひとつ、昭和が逝ってしまうな・・・と感慨に浸りました。

 私が、初めて東海道新幹線ひかり号に乗ったのは、高校の修学旅行でした。
開業からちょうど10年目のことです。
片側が3人掛けになっていることに驚き、車窓から富士山が見えた時、みんなではしゃいだことを覚えています。
京都駅では、夕闇の中に京都タワーが浮かんでいたっけ・・・


 数年前、実家でアルバムをめくっていると、富士山をバックに工事現場の資材の前で数人の男性が写っている写真を発見し、「これは何?」と尋ねると、
「ああ、新幹線の工事現場で働いていたことがあるのさ」と父が言いました。
「へえ、知らなかった~」
出稼ぎの季節労働者だったけれど、そんな大工事に携わっていたなんて、なんだかちょっぴり誇らしい気持ちになりました。

 このブログの「第1話テレビが来た!」にも書きましたが、「エイトマン」の主題歌で、エイトマンがひかり号を追い越して走ってゆくシーンをなぜか覚えているんですよね。
You Tubeで見つけたので、私の記憶が間違いないか、確かめてね

エイトマン


 私の新幹線0系の思い出はこの程度ですが、今日はテレビのニュースを見ながら、新幹線は世界に追いつけ追い越せの日本人の夢を乗せて走る電車だったんだな、高度成長の象徴だったんだなと思いました。