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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「春夏秋冬そして春」

2005-11-21 06:54:07 | 映画の感想(さ行)
 キム・ギドク監督は「魚と寝る女」や「悪い男」などで知られているが、私は彼の作品を観るのはこれが初めて。韓国の山奥の小さな湖に浮かぶ寺を舞台に、そこに子供の頃に預けられた一人の男の人生を季節の移ろいと共に描く。

 こういう寓話性の高い設定では、作者側に観客を自分の世界に引き込む力業と聡明さが必要だが、残念ながら物足りない。とにかく、仕掛けが見透かされているのだ。

 主人公と謎めいた和尚との関係も、彼が語るウンチクも、独自性を出したつもりのセットも、すべてが“語るに落ちる”次元から一歩も踏み出せていない。終盤には和尚が湖の岸から寺に自在に移動できる“理由”を明かすのを始め、主人公にクンフーのポーズを取らせてみたり、大仰な挿入歌と共に汗くさい場面が延々と展開されたり、ヤケクソとしか思えないシーンばかりが続く。

 要するに“常識人が異能作家のマネをしただけ”というレベルであり、単なる自己満足の産物であろう。カネ取って見せるものではない。
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「エイリアンVS.プレデター」

2005-11-20 18:28:48 | 映画の感想(あ行)
 謳い文句にある“どちらが勝っても、人類に未来は無い!”というのがウソっぱちだったのには苦笑い。そして、明らかに異常な事態にもかかわらず主人公達は危ない場所にノコノコ出掛けていったり、厳寒の南極において終盤ヒロインはシャツ一枚で戦ったりと、突っ込みどころはけっこうある(爆)。

 が、しょせん怪獣映画なので、マジメに観るとバカみたいだ。クリーチャー同士の肉弾戦をプロレス観戦気分で楽しんで、観賞後にはそれをネタに仲間と居酒屋で与太話に興じるというのが正しい接し方だろう(笑)。

 ポール・W・S・アンダーソンとかいう監督の演出は可もなく不可も無しだが、一部「CUBE」の物真似が入るのは御愛敬。


 それにしても本家「エイリアン」のパート5は製作されるのだろうか。今まで“気鋭の新進”ばかりを監督に起用してきたこのシリーズ、もしも作られるとしたら誰が演出に当たるのか少し楽しみではある。
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「透光の樹」

2005-11-20 18:26:12 | 映画の感想(た行)
 ある意味“スゴい”映画だと思う(笑)。高樹のぶ子による谷崎潤一郎賞受賞作品の映画化だが、ガンで余命幾ばくもないはずなのに見た目は健康体そのものである永島敏行と、誰も頼みもしないのに勝手なモノローグを捲し立てる秋吉久美子とのよろめきシーンが延々と続くだけ。しかも、ストーリーは御都合主義的かつ行き当たりばったりで、マジメに観ているとバカバカしくなる。

 しかし、この映画はそんな作劇の不手際を超越した興趣を感じさせるのも確か。それは主演二人の、往年の大映ドラマもかくやと思わせる極限にまでにクサいセリフの連発と自己陶酔的な大げさ演技のオンパレードが、単なる“ダメな映画”の枠組みを逸脱して、歪んだエンタテインメントの一種として昇華しているからだ。

 根岸吉太郎の演出もヤケクソと言うしかなく、ここまで開き直ってくれるとある意味天晴れだ。たぶん当初の予定通り萩原健一が主演していたら“フツーの駄作”になっていたかもしれない。日野皓正の音楽も、それ自体は悪くないものの、映像とあまり合っているとは思えない。

 たぶん、あと十年ぐらい経ったら“カルト映画の極北”としての地位が確定し、特定の好事家の興味を引き続けることだろう。
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「隠し剣 鬼の爪」

2005-11-20 18:22:44 | 映画の感想(か行)
 前作「たそがれ清兵衛」とまったく同じ設定のドラマであることに面食らった。違いといえば主人公が多少若返ったぐらいか(笑)。山田洋次監督としては「男はつらいよ」と同様の“単一パターンのシリーズ”のつもりかもしれない(そういえば吉岡秀隆や倍賞千恵子などの寅次郎の取り巻きも顔を見せている)。でも、それなら前作以上の趣向を見せないと意味がないはずだが、本作にはそれが見当たらないのだ。

 「たそがれ~」にあった中盤からの主人公の凄腕ぶりを示すエピソードはなく、本格的な斬り合いの場面は終盤のみ。しかも、これが前作の真田広之と田中泯との死闘とは比べ物にならないほどの低レベル。永瀬正敏も小澤征悦も、殺陣の何たるかをまるで理解していない。必殺技「鬼の爪」が何の脈絡もなくラスト近くに突然出てくるのにも呆れた。

 高島礼子や緒形拳の扱いはTVドラマ並みに下世話だし、ヒロイン役の松たか子に至っては完全にミスキャスト。あまりに健康的すぎて“やつれたね”なんてセリフが完全に浮いている(笑)。

 山田監督は次作で某有名タレントを主演に時代劇を撮るらしいけど、ぜひとも、もうちょっと別のネタを採用して欲しい。少なくとも「学校」シリーズの二の舞だけはゴメンである。
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「メゾン・ド・ヒミコ」

2005-11-19 15:19:54 | 映画の感想(ま行)
 監督・犬童一心、脚本・渡辺あやという「ジョゼと虎と魚たち」のコンビによる新作は、ゲイのための老人ホーム「メゾン・ド・ヒミコ」を舞台にした父と娘の葛藤劇だ。

 前作と同様、登場人物達の心のひだを無理なく掬い取る犬童演出に感心する。“余命いくばくもない父の看病をする娘”と書けば聞こえは良いが、同性愛をカミングアウトして家族を捨てた父親とその仲間たちは、娘にとって嫌悪の対象でしかない。彼女にしたところで田舎の中小企業で働く事務員に過ぎず、やるせない日常を漫然と送るだけだ。しかし、父の“恋人”に対するほのかな想いが、ヒロインをして徐々に他者に向き合わせてゆく、そのプロセスの丁寧な描写には好感が持てる。

 前回の身障者にしろ今回のゲイの老人にしろ、社会のアウトサイダー達とのコミュニケーションの可能性と共に、それでも微妙な屈託を捨てられない“弱さ”まで丹念にフォローする作劇を見るにつけ、作者の人間に対するポジティヴな視線を感じて快い。

 キャラクターもすべて“立って”おり、柴咲コウがすっぴんで演じる主人公、オダギリジョーの海千山千の外見の内に秘めた純情さ、山田洋次監督作とはうって変わった役柄にチャレンジした田中泯のカリスマ的な存在感、そして波瀾万丈の人生を笑い飛ばすかのように明るく日々を送る老いたゲイの面々には泣けてきた。

 細野晴臣の音楽も素晴らしい。犬童監督と渡辺あやはこれからもタッグを組んで作品を世に問うて欲しい。
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「ニュースの天才」

2005-11-19 15:06:15 | 映画の感想(な行)
 (原題:Shattered Glass)アメリカの一流誌で実際起きた記事捏造事件の映画化だが、物語の持って行き方に無理がある。

 まず、ヘイデン・クリステンセン扮するデッチあげの作成者を糾弾する以前に、こういう徹頭徹尾ウソだらけで、しかも調べれば内容の怪しさが直ちに判明するような記事をチェックもせずに載せてしまう“一流ジャーナリズム誌”とは何なのかと思ってしまうのだ。

 編集長こそ40代だが、編集委員は全員学生に毛の生えたような若造ばかりで、30代の中堅や50代のベテランの顔はない。トラブルが起きても馴れ合いのまんまで乗り切ろうとする。そんな彼らがただ勢いのままに書き殴った文章が活字になり、それを政治家まで愛読しているという実状。そのあたりを映画は“撃つ”べきではなかったのか。かといって捏造記者のプロフィールもうまく描けておらず、これを見る限りはただ“アホな奴がヘタ打った”としか思えない。

 本当はいろんな事情があったのだろう。だが、この映画は表面を薄くなぞっただけだ。結果“現実”に完全に負けている。

 これがデビュー作となるビリー・レイの演出は丁寧だが、脚本に問題がある以上大した成果には結び付いていない。「大統領の陰謀」などの足元にも及ばない出来に終わっている。
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「コラテラル」

2005-11-19 15:03:29 | 映画の感想(か行)
 うーん、どちらかといえば凡作の部類ですな。何より、一晩で5人も始末しなきゃならない殺し屋が、行きずりのタクシーを使うという設定自体がダメ。

 そして、決して顔を見られない伝説の仕事人という触れ込みながら、真夜中とはいえサイレンサーも付けずに街中で銃をぶっ放すほど無神経だし、そのせいか所轄の刑事さえその名を知っている事実は噴飯もの。さらに、前半出番が多かった麻薬課の刑事の行動が何の伏線にもなっていないお粗末さ。

 マイケル・マンの演出は対象を突き放したクールなタッチが身上で、使用楽曲のセンスの良さも併せて観ている間はまあ退屈しないレベルには仕上げているが、脚本がこうも穴だらけだとマジメに感想を書く気も失せてくる。

 トム・クルーズには珍しい敵役も“何をやっても、しょせんトム君”という具合に凄味も危うさも全く感じられないのは致命的だ。運転手役のジェイミー・フォックスは可もなく不可もなし。終盤の活劇場面もアイデア不足。

 唯一良かったのがライブハウスでのジャズ演奏と、それに続くウンチクの披露。たぶん監督の趣味だとは思うが、ジャズがアメリカでは滅びかけているジャンルだということを切々と訴えている。いっそのことジャズ関係のドキュメンタリーでも作っていれば良かったのだと思う。
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「ブラザーズ・グリム」

2005-11-19 07:44:40 | 映画の感想(は行)
 ダークで、しかも盛り上がりに欠ける展開。脳天気なファンタジー・アクション物を期待すると裏切られる。かといって、テリー・ギリアム監督らしいブラックでひねくれた世界観を堪能出来るかというと、それも不十分。何とも中途半端な映画なのだ。

 そもそもギリアムは今でも“カルト的人気を誇る作家”なのだろうか。彼の才気がほとばしっていたのは「フィッシャー・キング」(91年)までではないか。意地悪な言い方をすれば、満を持して臨んだはずの「The Man Who Killed Don Quixote」が未完に終わり、それと共に彼の“先鋭的作家”としてのキャリアもエンドマークを迎えたのではないかと思う。

 もっとも、この映画の美術セットだけは優秀だ。19世紀ドイツの雰囲気、不気味な森の描写は特筆もの。しかし、グリム兄弟を演じるマット・デイモンとヒース・レジャーは、まるで個性を封じられたかのように精彩がない。唯一モニカ・ベルッチ扮する敵の首魁だけは目立っていたが、それが作者の狙いだとしても、主役の軽すぎる存在感との「差」が目立つばかりだ。

 どうせなら「赤ずきん」や「ヘンゼルとグレーテル」などの“ギリアム解釈版”のオムニバスものでも作ってくれた方が良かった(まあ、客は呼べないだろうが ^^;)。
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「火火(ひび)」

2005-11-19 07:40:16 | 映画の感想(は行)
 信楽焼の女性陶芸家・神山清子と、白血病のため若くして世を去った息子・賢一の実話の映画化。

 これは役者を見る映画だ。まず、ヒロインを演じる田中裕子が素晴らしい。飄々とマイペースを貫いているようでいて、芸術に対する執念は人一倍。自分に厳しい分、息子にも甘さは見せない。しかし誰よりも息子を愛している。峻厳な父性をも持ち合わせた一種理想的な母親像を何と見事に表現していたことか。

 息子役の窪塚俊介も好演だ。ワンパターンの演技しか出来ない兄・洋介とは違い、役作りを一から積み上げてゆく真摯な態度が嬉しい。今年度の新人賞レースを賑わせることだろう。

 思い込みの激しい弟子に扮する黒沢あすかや甥想いの叔母役の石田えりなど、キャストのほぼ全員が“語るに足る仕事”をしている。役者を徹底的に追い込む高橋伴明の演出スタンスの賜物だと思う。

 映画は後半“骨髄バンクの重要性”という社会的PRに重きを置いた啓蒙的展開になってゆくのがいささか鼻につく。たぶん製作母体に“その筋の団体”が関与していたのだろう。主張自体には文句はないが、その部分だけが強調されているため映画全体のバランスを崩している。必要最小限に抑えた方が逆にメッセージ性も色濃く出たはずだ。

 とはいえ作品自体のヴォルテージは高く、十分観る価値はある。劇中に登場する窯は本物で、作品もほとんどが神山親子の手による。梅林茂の音楽も良かった。
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「Dearフランキー」

2005-11-18 19:05:22 | 映画の感想(英数)

 舞台はスコットランドの港町。父親のいない耳の不自由な少年フランキーのために、父親になりすまして手紙を出す母親や一日限りの“パパ”を演じる風来坊などが織りなす人情ドラマ。

 一歩間違うとトンでもない“お涙頂戴有り難う”になるようなシチュエーションだが、これがデビュー作になる女性監督ショーナ・オーバックは物語とキャラクターをじっくりと練り上げ、安心して薦められる良心作に仕上げている。少なくとも感動の押し売りは希薄であり、大人の映画作りとはこうなのかと、誰しも納得することだろう。

 グラスゴーから近いグリーノックの街の、うら寂しい風景が登場人物達の孤独な姿を反映している。臨時の“父親”を演じるジェラルド・バトラーがえらくカッコ良く、これは作者の“願望”を表現しているとも言えるが(笑)、ストーリー設定およびエミリー・モーティマー扮する母親やフランキーの友人達が地に足がついたような的確な描かれ方をされているため、有名スターにおんぶに抱っこ状態の“お手軽映画”とは一線を画することに成功している。

 それにしても、フランキーの本当の父親の所業がこの一家に暗い影を落としていることに慄然とせずにはいられない。決して“甘いだけの人情篇”にしない製作者キャロライン・ウッド(「鳩の翼」など)の冷静さが光る映画でもある。
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