元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「水の旅人 侍KIDS」

2012-07-09 06:49:20 | 映画の感想(ま行)
 93年作品。末谷真澄の小説「雨の旅人」を大林宣彦監督が映画化。切り株の舟に乗って川を流れてきた身長17センチの老武士・墨江少名彦(山崎努)と、小学校2年生のひ弱な少年・悟の出会いと別れを描くファンタジーだ。

 当然、題材からしてSFXが主導権を取る映画であるのは当然だ。大林監督は過去にSFファンタジーを山ほど手がけているから、そのあたりは慣れたもの・・・・、と思ったら大間違いである。「時をかける少女」(83年)のタイム・トラベルの場面、「ハウス」(77年)のホラー演出、その他「異人たちとの夏」「ふたり」「漂流教室」などの特殊合成場面は、ハリウッド製のそのテの映画とアプローチがまるで異なることは周知の事実だろう。

 まず“大林ワールド”という確固としたバックボーンがあり、SFXはサポートに徹するという図式、つまり大林のノスタルジックで優しい作風(最近はそうでもないのだが)に合うように、いたずらにハイテックさを強調せず、少々稚拙でも作品のリズムを損なわないレベルを維持すること、さらにそれを逆手に取って作品の雰囲気を盛り上げること、それが大林映画の特殊効果の命題であったように思う。

 しかし、この新作の場合、題材・ストーリーからいって、SFXをかなりの水準まで引き上げる必要があった。一見同じような素材を扱ったように見える「ミクロキッズ」や「縮みゆく女」などのアメリカ映画は、大部分が大きく作られたセットの中での撮影に終始している。それで事は足りていたのだ。ところが「水の旅人」は、ほとんどのシーンで小さな少名彦と悟少年が同一画面に登場する。全編これ合成場面にしなければならない。



 これでは大林監督のいつもの“少々チャチいけどツボを押さえた手作り風素朴SFX”(なんじゃそりゃ ^^;)では通用しない。事実、出来上がった作品は、多くの場面で合成のアラが丸見えの、居心地の悪い映像になっている。言い替えればこれは(当時の)ハイヴィジョン合成の限界を示していると思う。この上の次元をめざすなら、「ジュラシック・パーク」のようなやり方しかないわけで、これは日本映画では不可能に近い。なんとも残念である。

 映画そのものの出来は申し分ない。山崎努はじめ岸部一徳、風吹ジュンら脇も充実しているし、“水を大切に”というテーマが押しつけがましくなく、スムーズに観客の心にアピールする。登場人物の表情の極端なクローズアップ、カメラを意識させないセリフ回し、けっこうマニアックな演出が映画ファンの心をくすぐる。

 しかし、悟少年のキャラクターが思ったほど印象に残らなかったのは、“少女”には偏執的に興味を示しても、“少年”にはさほど関心を払わない大林監督の嗜好のせいだと思う(悟を演じる子役がヘタなこともあるが)。その証拠に悟の姉とそのライバルの少女、図書係をやっている友人の少女を描く段になると、急に画面が弾み出す。

 佐賀市や飯塚市にロケした効果が大きく、久石譲の音楽は相変わらず素晴らしい。でもこの映画の最大のポイントは、悟が飼っている猫のホースケである。猫に演技させてこれだけ盛り上げてしまうとは、まさに前代未聞。猫嫌い(?)の私もすっかり楽しんでしまった。
コメント
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