元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

映画音楽のあり方について。

2012-07-27 06:28:17 | 映画周辺のネタ
 よく考えてみれば“映画音楽”という枠組みも奇妙なものだ。一般に映画音楽といえばジョン・ウィリアムズやジェリー・ゴールドスミスあたりを思い出す向きが多いかと思うが、ポップス・ナンバーの寄せ集めであっても立派に映画音楽足りうるのである。

 作曲家陣にしても、武満徹や黛敏郎、ジョン・コリリアーノといった真性のクラシック畑(現代音楽)の人材がいると思えば、ラロ・シフリンやデーヴ・グルーシンのようなジャズ系、トレヴァー・ラビンやヴァンゲリスなどのロック系も存在する。もちろん単発的に映画音楽を担当している有名ミュージシャンも少なくない。当然音楽性も千差万別である。

 しかし、それらは“映画の中で流れている”との理由ですべて“映画音楽”というひとつのジャンルに括られてしまう。そのへんが実に面白い。

 しかも、映画音楽は“たまたま映画に使われた○○というジャンルの曲”という割り切った捉え方をされないのである。たとえばマイルス・デイヴィスの「死刑台のエレベーター」はモダン・ジャズの名盤として知られているが、これが映画音楽として扱われなければジャズ・ファン以外の音楽好きからは見向きもされなかったはずだ。

 ところがあの旋律がルイ・マルの才気走った演出とセットになって語られるとき、単なる“ジャズの名曲”という次元を離れて“代表的な映画音楽”という別の評価と聴き手を獲得するようになる。いわば映画音楽とは“映画の中で使われている”という名目以外にも、音楽自体の形態とは関係なく“聴き手の受け取り方”によってジャンル分けされた、興味深い素材であるとも言えるのである。

 さらに、普段聴いている音楽ジャンルと好きな映画音楽の形態が一致するとは限らない。私はラップだのヒップホップだのといったサウンドは嫌いだが、「ドゥ・ザ・ライト・シング」や「JUICE」などの音楽は好きである。また、映画音楽としての久石譲作品には幅広いファンがいるが、それ以外の久石の音楽はポピュラーとは言えない。映画というフィルターをかけることにより、別の付加価値を聴き手にもたらしているのだ。

 逆に言えば、映画に使われる音楽というのは、そのジャンルの音楽を愛好している層以外の普通の映画ファンをも、その映画を観ている間はその音楽ジャンルを好きにさせるような存在感がなければならないと思う。

 もっとも、映画自体より音楽の方が目立ってしまうのも考えものだ。確かにレベルの低い映画音楽は願い下げだが、“音楽は良かったけど映画の内容は忘れた”では意味がない。あくまで映画の中の音楽は“本編”の従属物であるべきだろう。場合によっては音楽を一切使わない映画作りだってあるのだから。
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