元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「新少林寺 SHAOLIN」

2011-12-11 06:43:23 | 映画の感想(さ行)

 (原題:新少林寺 SHAOLIN)時代設定の相違などを承知の上で言わせてもらえば、80年代に作られた「少林寺」のシリーズよりもヴォルテージの落ちる出来映えである。理由は明白で、主演俳優の活劇に対する素養の差だ。

 リー・リンチェイ(ジェット・リー)の驚くべき体術を大々的にフィーチャーした旧シリーズは、物語の内容をあれこれ言う前にヴィジュアル面で観客をねじ伏せてしまった感がある。対してこの新作の主役であるアンディ・ラウとニコラス・ツェーは有名スターではあるが、アクション専門俳優ではない。だからワイヤー等の映像ギミックに頼らざるを得ず、結果としてどこにでもあるような香港製活劇のルーティンしか示されていないのだ。

 ならばストーリー面には見所があるのかというと、これがどうも気勢が上がらない。20世紀初頭の辛亥革命の時代。清国の権威は地に落ち、中国各地で内乱が勃発していた。登封市にある少林寺の僧侶たちは、戦争によって傷ついた民衆の支援に奔走していたが、残忍な将軍の候杰は少林寺に逃げ込んだ敵の大将を殺した上、寺に対して侮蔑的な振る舞いをして去っていく。しかしやがて候杰は部下・曹蛮の裏切りに遭い、すべてを失った彼は、少林寺に保護を求めるようになる。

 本来ならばかつて無礼な態度を取った候杰を受け入れる義理は無いのだが、そこは博愛精神を説く仏の道を遵守する由緒正しい寺院だ。候杰にも救いの道を示し、彼が出家するきっかけを作ることになる。だが中国の利権を狙う欧米列強とも手を組んだ曹蛮は、邪魔者を抹殺すべく少林寺に兵を進める。

 要するに、どんなに外道な人生を歩んでいたとしても、仏に帰依すれば救われるという宗教的な構図を掲げた映画だ。しかし、この図式を納得できるレベルにまで高めるには、並の演出力ではダメである。少なくとも活劇が得意のベニー・チャンの手に負えるネタではないことは確かだ。結果として居心地が悪く安定感を欠く作劇になってしまった。

 同サイズの少林寺のセットが炎上するクライマックスシーンは迫力があるが、カタルシスはそれほどでもない。結局、本作の一番の見所は少林寺の厨房係を演じるジャッキー・チェンのパフォーマンスだろう。コミカルな動きで次々と敵をKOしていく様子は、往年の彼の代表作を見るようだった。逆に言えば、ジャッキーのコメディ・リリーフがなければ、さほど観る価値のない映画だと言える。
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