元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「カラフル」

2010-09-04 06:40:38 | 映画の感想(か行)
 原恵一監督の新作ということで期待したのだが、イマイチ煮え切らない出来だ。上映時間が長いわりに大事なところが描写されておらず、しかもそれをカバーするかのような説明的セリフに頼りっ放しである点が気に入らない。原作は森絵都の同名小説であるが、どうも脚色が上手くいっていないようだ。

 生前に重い罪を犯して輪廻できない魂の“ぼく”に天使のプラプラが話しかてくる。自分が何の罪を犯したかを思い出せば、もう一度現世に戻れるらしい。そこで“ぼく”は自殺を図った14歳の小林真の身体に数ヶ月間“ホームステイ”することになる。プラプラによると、そこで“修行”して生前のことを何か掴めば、道は開けるという。

 まず不満なのは、真が自殺しようとした動機が示されていないことだ。父親が頼りない、母親が浮気している、そして想いを寄せていたガールフレンドは援助交際している・・・・といった逆境が紹介されるが、ハッキリ言ってその程度で自殺するものなのだろうか。

 どうしても“それらが自殺の原因なのだ!”と決めつけたいのならば、背景をもっと描き込むべきだ。たとえば両親に対する鬱屈した心情を持っていたとか、好きな女の子に心酔しきっていたとか、いろいろと考えられるだろう。唯一納得出来そうだったのが“主人公はイジメに遭っていたらしい”というモチーフだが、ラスト近くにチラッと触れる程度にしか紹介されておらず、説得力はない。

 タイトルの意味は“人はひとつの色ではなく、いく通りもの色を持つ存在で良い”というテーマを現しているものだが、私なんか“そんなことが主題になり得るものなのか”と思ってしまう。日々能動的に生きていれば、人間の心は多様性を持っていることに誰でも思い当たるものだ。

 大事なのは“たくさんの色を持っているから、それで良い”ということではなく“たくさんある色の中から、どれを表に出すべきか”である。それを会得していくことが成長というものだ。内面がカラフルであることを“発見”しただけで満足してもらっては困る。しかも、それをさも重要であるかのように多量のセリフで粉飾するに及んでは、観ているこちらも盛り下がるばかりだ。

 しかし、本作には素晴らしい部分もある。それは、友人が出来ないと思い込んでいた主人公が、早乙女くんというクラスメートと仲良くなる場面だ。この早乙女くんの性格設定が最高で、とても優しく人当たりが良い。善良さを絵に描いたようなキャラクターである。真は彼と知り合うことにより、物事を前向きに考えるようになる。友達がたった一人出来るだけでも、人間はこうも変わるのだ。

 二人が廃線になった電車の路線を訪ねて歩いたり、安い靴屋に入ったり、夕日に照らされたコンビニの前で買ったばかりの菓子類をパク付くシーンなど、別にどうというシークエンスでもないのに観ていると胸が熱くなる。そして真が早乙女くんが志望する高校に自分も行きたいと家族に訴えるシーンは、涙なくしては観られない。

 これに比べれば、ハイライトであるはずの“主人公の生前の罪が判明するくだり”なんかどうでもいい。そしてプラプラの正体が分かる場面も蛇足でしかない。そんなオカルティックな仕掛けは、主人公の内面的変化を追ったリアルな展開の前では色あせてしまう。

 原監督らしい丁寧な絵作りは印象的で、声の出演も上手い。私のような手練れの映画ファンならば作劇面での欠点が目に付いてしまうが、十代の観客には観賞後得るものも多いだろう。なお、この原作は前に中原俊監督により実写映画化されている(99年)。出来ればそちらの方も見てみたいものだ。
コメント
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