元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「おとうと」

2010-02-14 07:16:12 | 映画の感想(あ行)

 風格のある良作であり、受ける感銘も大きい。また、山田洋次監督の前作「母べえ」と同じく、こういう映画が屹立した存在価値を持ってしまう現在の社会に対して問題意識を持たずにはいられない。その意味でも見逃してはならない作品である。

 東京の下町で小さな薬局を営むヒロインは若い頃に夫を亡くし、一人娘を女手ひとつで育ててきた。その娘が結婚することになり喜ぶ彼女だが、式の当日に行方知れずだった問題児の弟が突然現れ、披露宴をメチャクチャにしてしまう。このあと映画は今の主人公の家族と、不肖の弟に苦労させられた昔の家庭の境遇、そしてヒロインを取り巻く街の住人達の親子関係をも描くことにより、人間にとっての家族の重要性を正攻法で浮き彫りにしてゆく。

 主人公は娘の他に亡き夫の母親とも同居している。考えてみればイレギュラーな取り合わせだが、違和感はない。それは、死んだ夫の存在感が今でも残された者達の心に印象付けられているからだ。やくざな弟さえも、夫の生前の心配りにより家族の一員として迎え入れられている。メンバーの一人が欠けていても家族たり得る彼らの在り方に呼応するように、周囲の人間もしっかりとした家族関係を維持している。

 対して、娘の結婚相手は身内よりも世間体を優先する俗物だ。人間関係もデジタルで割り切っている。こういう奴にはまともな家族を作り上げる力はなく、当然の事ながら結婚生活は早々と終わりを告げるのだが、作者は彼に昨今の殺伐とした世相を投影させている。

 見かけ上は家族の体を成していて不自由ない生活を送っていても、相手の心を思い遣ることがない冷血な人間が増えている。それが今の日本の社会の鬱屈とした状態に繋がっているのだ・・・・と、まるでリベラル派のシュプレヒコールのような主張が、見事に通用してしまう世の中。山田監督はそれを見越して本作を作り上げたのだ。

 終盤紹介される身寄りのない人々を看取る市民団体の存在は、そのテーマを一層際立たせる。見ず知らずの他人を終わりまで面倒を見る。言うまでもなくこれも“疑似家族”だ。不肖の弟は、形式上は本当の家族には恵まれないように見えて、最後は立派に家族の一員に組み入れられているのだ。そしてこのラストは「男はつらいよ」シリーズの幻の結末を連想させ、その意味でも感慨深い。

 吉永小百合の演技はまあ悪くは無いが、それよりも笑福亭鶴瓶がアクの強さを控えた好演で光る。そして蒼井優に抑えた演技をさせているのも納得だ(何しろ彼女に好き勝手やらせると、主役すら食ってしまうから ^^;)。富田勲の音楽も素晴らしく、今年度前半を代表する日本映画の収穫である。
コメント
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