元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ちゃんと伝える」

2009-09-06 06:44:54 | 映画の感想(た行)

 これは良い映画だ。何より、あの園子温監督がこういう“誰が観ても理解出来るヒューマンドラマ”を撮ったことが驚きである。聞くところによると監督自ら父親を看取った体験があるとかで、製作動機としては十分頷ける。とはいっても、そのへんの“難病もの”とは完全に一線を画するアプローチを敢行しており、屹立した作家性を十分印象付けているのはサスガと言うしかない。

 高校の教師でサッカー部の名コーチとしても知られていた父親が突然ガンで倒れる。会社員の息子は母と共に毎日のように病院に父を見舞うが、かねてより体調不良を自覚していた彼もまたガンであることが健康診断の結果判明してしまう。しかも、病状は父親よりも悪く、自分の方が先に逝くかもしれない。両親にも婚約者にも言い出せないまま、家と職場と病院を行き来する日々を過ごす。

 この設定は実にヘヴィだ。撮りようによっては、重くて辛い愁嘆場の連続になってしまうシチュエーションである。しかし本作は描く視点を少し変えてみることで、観る者にいらぬ“負担”をかけず、それでいて普遍性を持った感銘を与えることに成功している。それはタイトル通り、人の生死が情報を“ちゃんと伝える”ことの分岐点になっているという、透徹した考え方だ。

 この映画では登場人物が病気で苦しむ様子はあまり出てこないし、治療を受けている場面さえない。そんなことは描く必要はないのだ。そもそも親しい人が死ぬとなぜ悲しいのか。それはその人が持っている“情報”の提供が隔絶されるからだ。本来ならば有用な“情報”をずっと発信していかなければならない存在、周囲の人に影響を与え、彼らの心の一部を形成してしまうはずの主体が、突然消失してしまう空虚感が横溢するからである。もうその人からは“情報”はもらえない。だからこそ、生きている間に“ちゃんと伝える”ことが必要なのだ。

 逆に言うと“ちゃんと伝える”ことを怠れば、残るのは後悔の念だけだ。主人公は高校生の頃は父親の教え子であり、サッカー部では選手とコーチの関係だった。通常の親子関係より濃密なものがあったはずなのに、やっぱり“伝える”あるいは“伝えられる”ことに関しては不十分ではなかったのかと思い悩む。ラストでの、今度は自分が“伝える”立場としての覚悟を持つ主人公の姿が感動的なのも、作者のスタンスが強固である故だろう。

 主演のAKIRAは「山形スクリーム」に続いての登板だが、演技が板に付いてきた感じだ。奥田瑛二と高橋惠子の両親も味わい深い存在感を発揮している。そして最も印象的なのはヒロイン役の伊藤歩だ。考えてみれば園子温監督は女の子を可愛く撮ることが得意だったが(笑)、それを勘案してもここでの彼女は素晴らしい。凛とした清潔感が画面を引き締める。若い割にキャリアは長い彼女だが、これは代表作の一つになるであろう。
コメント
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