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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ジョイ・ラック・クラブ」

2009-03-24 06:34:06 | 映画の感想(さ行)
 (原題:The Joy Luck Club )93年作品。ニューヨークのチャイナ・タウンを舞台にした中国系移民の物語。を展開する。エィミー・タンのベストセラー小説を香港出身のウェイン・ワン監督が映画化したもので、ハリウッド製ムービーでは珍しいキャストはもちろんスタッフも含めたアジア人主導の作品だ。

 亡き母の友人3人と親戚たちが集まるパーティで、母の代わりに雀卓を囲む主人公ジューンの回想シーンから映画は始まる。この集まりは“ジョイ・ラック・クラブ”と勝手に呼んでいたが、その名とは裏腹な彼女たちの親娘2代にわたる激動の人生。ジューンの母親は若い頃、戦火から逃れる途中、生まれたばかりの双子の姉妹を捨ててしまう。ところがこの姉妹は生きていて、ジューンは彼女たちに会いに中国へと旅立つ、今夜はその壮行パーティなのだ。

 映画はオムニバス形式のように、彼女たちの半生(回想シーン)を綴っていく。母たちの世代は時代の波をもろに受け翻弄される。不幸な結婚をして生まれた子を手にかける母親。金持ちの家に金で買われて嫁に行き、子供同然の幼い夫と鬼のような姑に苦しめられる母親。特に強烈に印象に残ったのは、母親の一人が子供だった頃のエピソードだ。若くして未亡人になった彼女の母親は、好色な金持ちに強引に誘われて妾になる。小さな子供を抱えた彼女は亡き夫の両親からは人扱いされ、金持ちの第四夫人として他の夫人からもひどい扱いを受ける。この張藝謀監督「紅夢」を思わせるエピソードはしかし、正攻法の張りつめた演出で観る者の心を打たずにはいられない。

 一方、娘たちのエピソードはぐっと現代的だ。世代間のギャップ、そして苦労してアメリカに渡った移民一世と英語しかしゃべれない二世との微妙な確執が興味深いが、ここで描かれるのは普遍的な親子のドラマである。中でも、小さい頃“天才”と言われていた娘は歳を重ねるたびに“普通の子”になってしまったという主人公の独白には、子供なりのエゴと子に過度の期待をかける親のエゴが絶妙にあらわされている。他にも気の弱い娘が異常に計算高い夫に悩まされる話とか、白人と結婚した娘が味わうちょっとした気まずい雰囲気、などなど、人種性別を超えて広くアピールする面白さを感じさせることは確かだ。

 大河ドラマ的内容と家庭劇をうまくレイアウトした監督の力量には感心するが、何よりも登場人物を信じきっている作者のポジティヴな視点が快い感動を呼ぶ。茶系をベースにした温かい色彩(本当に透き通るように美しい映像である)と効果的な音楽。キュウ・チンやツァイ・チンをはじめとする女優たちも実に素敵。少しメロドラマが強調されることもあるが、丁寧に作られた佳篇であることは間違いない。
コメント
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