元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「少年メリケンサック」

2009-03-01 06:51:13 | 映画の感想(さ行)

 結果として“宮崎あおいは可愛い!”という以外は見所はない(爆)。まあ、本作の低調ぶりは鑑賞する前から分かっていたことだ。何せ宮藤官九郎という作家は、面白そうなキャラクターを作ることは得意だが、肝心のドラマのストーリーラインの形成とかプロットに筋道を付けるとか、そういう脚本家に必要であるはずのことは全く出来ないのである(今回は監督も担当しているので尚更だ)。

 本作も同様で、昔は美系だったが今は単なるオッサンと化したパンクバンドが全国ツアーに繰り出して大騒動を巻き起こすという設定はコメディとして不自然さはないし、イイ年こいてパンクにのめり込むロートルどものキャラ造型も申し分ない。しかし、展開の粗雑さには呆れるばかりである。単純に“オヤジ連中の大爆走と、それに巻き込まれる世話役の若い女”という図式ならば、筋書きは一本道のはずである。つまりは“最初はサマにならないが、やがて熱意が認められてブレイクする”といった持って行き方だ。

 だが、この映画は何を考えたのかメンバーの兄弟の確執や、それにまつわる昔からのエピソードやら、レコード会社の社長のロックへの拘り具合とか、とある主要キャラクターの回想場面やら、余計なものを数多く詰め込んでしまっている。しかも、そのどれもが整理されて居らず行き当たりばったりに流れるだけ。だいたいこういうネタで上映時間が2時間を超えること自体、作劇の不手際でしかない。あと30分は削ってタイトに仕上げるべきだった。

 それから最も気になったのは、劇中でのライヴ場面の扱いだ。ただギャーギャー喚き立てるだけでまったく音楽の体をなしていない。確かにパンクは騒々しいが、英米の名の知れたパンクバンドの音楽性はかなり高かった。日本にもそれに追随した“似非パンク”が一時期はびこったのは想像に難くないとはいえ、こんなにヒドいのはあまりいなかったのではないか。これではロックではなくお笑い芸人のネタでしかない。

 そもそも“少年メリケンサック”のデビューが81年というのも納得できない。パンクは70年代末でピークを迎え、それ以降は大して見るべきものはない。80年代に入ってハードコアなパンクをやるなんて“証文の出し遅れ”だ。この映画の作者はロックに対するリスペクトをほとんど抱いていないのだろう。以前観た「デトロイト・ロック・シティ」もそうだったが、日本映画は音楽を扱うとまるでサマにならないことが多い。これは日本人は音楽が好きではないことが背景としてあると思われる。

 果敢にコメディエンヌに挑戦した宮崎はノリは良くてチャーミングだが、よく考えると別に彼女ではなくても上野樹里とか加藤ローサあたりでも十分やれた役柄だ。佐藤浩市や木村祐一、田口トモロヲ、勝地涼らもキャラは立っているが、彼らにとっては“軽く流した”という程度ではないだろうか。クドカン映画好き(および宮崎のファン)以外は観る必要はないシャシンである。
コメント
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