元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

“泣ける映画”なんか嫌いだ。

2009-02-07 06:30:02 | 映画周辺のネタ
 掲示板などでは“泣ける映画を教えてください”という書き込みをよく見かける。私自身も“泣ける映画を紹介しろ”と実生活で言われることがある。しかし、そもそも“泣ける映画”とは何なのか。映画を観て泣けるかどうかは受け手の人生経験や知識・教養などで大きく違ってくる。いくら他人が滂沱の涙を流していても、自分は平然としていられる映画なんていくらでもある。そもそも“映画を観て泣く”という行為にどれほどの意味があるのか。

 これが“笑える映画を教えて欲しい”というのならば話は別だ。単純にコメディを紹介すればいい。たとえ笑えなくても、映画自体が当初から笑いをメインにしていることは誰でも分かるし、たまたま自分のツボと合わなかっただけだ。対して、最初から“泣き”を狙った映画ほどシラけるものはない。

 一方“泣ける映画とは感動できる映画のことだ”という意見もあろう。だが、いくら感動したからといって涙が出るとは限らない。本当に感銘を受けたときは、席を立つのを忘れて主題について深く考えたりすることが多いのではないだろうか。もちろん泣けてくる場合もあるが、それは感動できる映画に接した場合のリアクションのひとつに過ぎない。

 お涙頂戴映画が胡散臭いことは誰でも知っているのに、それでも“泣ける映画”に対するニーズが高いということは、泣く行為そのものがストレス解消を目的とした生理現象であることを意味している。映画を観て泣くことだけを求める層は、単に泣くことによって鬱憤を晴らしたいのであり、映画のテーマについて想いを馳せよう云々といった殊勝な考えはハナから持ち合わせていない。少しでも映画鑑賞に対して能動的であろうとする受け手は“泣ける映画を教えてください”という物言いの代わりに“感動できる映画や考えさせられる映画を教えてください”というセリフを用意するであろう。

 そもそも映画を“泣けるor泣けない”というような捉え方をすることに対しては愉快になれない。そんな“泣けるor泣けない”といった価値基準を優先させてしまうと、たとえば下世話な韓国映画と映画史に残るようなヒューマン大作とが同じレベルになってしまう。ヘタすると“泣ける分だけ韓国映画の方が好き”みたいなみたいな話になったりして・・・・(^^;)。

 もちろん、映画なんてのは大衆娯楽だから、映画を観て泣いてそれで満足するのも個人の勝手であるし、そういう観客向けの映画作りも否定できない。ただし、それだけでは寂しすぎる。ちなみに私は“泣ける映画を教えてください”と言われたら、“笑いすぎて涙が出てくる映画”もしくは“あまりのくだらなさに情けなくなって泣けてくる映画”を紹介することにしている(爆)。
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