元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「英雄の条件」

2009-02-04 06:31:13 | 映画の感想(あ行)
 (原題:RULES OF ENGAGEMENT )2000年作品。今のアメリカ映画界は中東での米国の振る舞いに対する批判的な視点が目立つが、少し前まではこういう一方的なアメリカ支持の映画が撮られていたことには脱力してしまう。イエメンでアメリカ大使館を包囲したデモ隊に米軍が発砲。事態を重く見た米政府は、作戦の指揮を執ったチルダーズ大佐を軍法会議にかけるが、大佐は無実を主張する。彼はベトナム戦争時の戦友で弁護士のホッジスに調査を依頼し、法廷闘争に挑む。

 原題を直訳すれば“交戦規則”であり、当然映画の焦点は大佐のデモ隊への銃撃命令がその規定に準じたものであるのかどうかということに収斂していく。しかし、これは出来レースなのだ。よく考えてみれば誰だって分かることだが、大佐に罪がなかったとしたら、命令系統の主管である軍当局(つまりは米国政府)に責任があるのだ。しかし、そうなると国際問題にまで発展する。よって、何が何でも大佐一人に罪を負ってもらわなくてはならない。だが、娯楽映画という作品の性格上、そうなってしまうのは気勢が上がらない。ならばどういう決着の付け方をするか・・・・このあたりが、いかにも夜郎自大な当時のアメリカ映画のスタンスを目の当たりにするようでやりきれない。

 早い話が、大佐の判断は正しくて、彼が所属する軍の行動にも何も問題はなくて、もちろん米政府にも悪影響を与えないという“結論”をデッチあげているのだ。槍玉に挙げられている“交戦規則”に抵触しないような条件、それはデモ隊が一方的な“悪の集団”であることを強調することである。しかもその“真相”は映画の途中まで伏せられているという阿漕さだ。

 確かに、銃を振りかざして襲ってくれば、それがたとえ女子供であろうとも戦時法上では「敵」であり、応戦して掃射してしまうのは当然。その意味では大佐の行動は正当なんだろうけど、こんなやりきれない話を大作映画っぽく仕上げてもらっても観る方は楽しくも何ともない。

 ウィリアム・フリードキンの演出は重厚で、トミー・リー・ジョーンズとサミュエル・L・ジャクソンの演技も見応えがあるのだが、筋書きがこれでは評価する気にはなれない。アメリカ人の保守派以外には何ら存在価値のない映画である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする