元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」

2009-02-20 06:25:51 | 映画の感想(は行)

 (原題:The Curious Case of Benjamin Button )面白くない。理由は、この“年を経るほどに若返っていく主人公”という特異な設定が、何のメタファーにもなっていないからだ。単なるホラー映画やコメディならばともかく、2時間40分もかけて描く大河ドラマでこういう奇を衒ったモチーフを真ん中に持ち出すからには、確固としたコンセプトと堅牢なプロットが必要だが、本作にはそれが全くない。ただ“目先が変わって興味を引きやすいから”という下世話な意図で採用したとしか思えないのだ。

 冒頭近くに逆回りに時を刻む駅の大時計が出てくるが、時は第一次大戦直後で多数の犠牲者を出したことが市民の心に暗い影をさしていた頃にこういう小道具を出してきたこと自体は納得できる。つまり“時間が逆回りになって、死んだ者達が生き返って欲しい”という願望の象徴だ。しかし、このことが主人公の誕生が、一見リンクしているようで実はまったく関係のないことは作劇の未熟さとしか言いようがない。

 主人公は、ただ漫然と生まれて漫然と自分の道を進んでいくだけで、狂言回しとしての役割さえ与えられていない。ならばファンタジー性を前面に出してキッチュな路線で行くかというと・・・・それも不発。主人公が仲良くなる船長の造型などフェリーニの匂いが感じられるが、そのテイストを活かすような工夫も皆無だ。それどころか、交際相手との関係性などヘンに生臭くて中途半端にリアルなので、ストーリー展開がチグハグになっている。

 逆方向に年を取るベンジャミンの“若い頃”は、見かけは年寄りでも心の中は若者なのだから少しは悩んだりヤケっぱちになったりして当然だと思うのだが、それもない。いつも達観したようなポジションに落ち着いているというのは、一種の偽善ではないかと思う。須川栄三監督の「飛ぶ夢をしばらく見ない」のヒロインのように、一度“普通に”老人になって、それから若返るという筋書きにした方がまだ説得力があっただろう。

 脚本はあの愚作「フォレスト・ガンプ/一期一会」のエリック・ロスで、なるほどイヤミったらしいほど超然とした主人公像は共通している。しかし、少なくとも「フォレスト・ガンプ」にはアメリカ現代史を俯瞰しようというコンセプトがあった。対して本作はそれっぽい素振りはあるが、実質は見事なほど何もない。加えて監督が奥深いドラマなんて絶対作れないデイヴッド・フィンチャーなのだから、良い映画になるはずもないのだ。

 ブラッド・ピットの老けメイクは巧妙で、ケイト・ブランシェットの熱演も評価して良いとは思うが、二人とも俳優としての存在感が先に出ていて役柄からは完全に浮いている。クラウディオ・ミランダによるカメラワークは万全で、衣装デザインや美術も悪くないのに、出来がこれではそれも虚しい。正直、アカデミー賞候補にならなければ最初から観ていなかった映画だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする