江國香織さんの
「冷静と情熱のあいだ」の中の一節が
読んでから何年も経ったいまも、忘れられない。
『人の居場所なんてね、誰かの胸の中にしかないのよ』
そして、
その本のあとがきには、こんなことが書いてある。
人生というのは、
その人のいる場所にできるものだ、
という単純な事実と、
心というものは、
その人のいたいと思う場所につねにいるのだ、
というもう一つの単純な事実が
こういう小説になりました。
かなしく、さみしいことは、
生きている場所と別のところにこころが在ること。
遠くにある“わたしのこころ”を
わたしが見つけてしまうこと。
でも、
ほんとうにこころが在るべき場所を知ることって、
ひどく難しいことに思えてしまったりする。
わたしは、どこにいたいんだろう?
どこに、行きたいんだろう???
その問いに答えはあるのか、
それとも永遠に続く答えのでない問題なのか、
それさえ、わからないな。
きっと。
わたしが探していた場所はここだ!と気付く、
そんな瞬間がいつかくるはず。
わたしは絶対、ここにいたい!と思える、
そんな場所に出会えるはず。
ウルトラ・スペシャル「希望的観測」だけど、
未来を想像するときには希望的観測以外はいらないと
常日頃から思うように心がけているので、
そう、信じようと思う。
あまりの出会えなさに絶望したら、
そのとき、また、考えよう♪笑
わたしも、
いま、この前にいる、あなたも。
こころがいたい場所で、生きていかれますように。
「冷静と情熱のあいだ」の中の一節が
読んでから何年も経ったいまも、忘れられない。
『人の居場所なんてね、誰かの胸の中にしかないのよ』
そして、
その本のあとがきには、こんなことが書いてある。
人生というのは、
その人のいる場所にできるものだ、
という単純な事実と、
心というものは、
その人のいたいと思う場所につねにいるのだ、
というもう一つの単純な事実が
こういう小説になりました。
かなしく、さみしいことは、
生きている場所と別のところにこころが在ること。
遠くにある“わたしのこころ”を
わたしが見つけてしまうこと。
でも、
ほんとうにこころが在るべき場所を知ることって、
ひどく難しいことに思えてしまったりする。
わたしは、どこにいたいんだろう?
どこに、行きたいんだろう???
その問いに答えはあるのか、
それとも永遠に続く答えのでない問題なのか、
それさえ、わからないな。
きっと。
わたしが探していた場所はここだ!と気付く、
そんな瞬間がいつかくるはず。
わたしは絶対、ここにいたい!と思える、
そんな場所に出会えるはず。
ウルトラ・スペシャル「希望的観測」だけど、
未来を想像するときには希望的観測以外はいらないと
常日頃から思うように心がけているので、
そう、信じようと思う。
あまりの出会えなさに絶望したら、
そのとき、また、考えよう♪笑
わたしも、
いま、この前にいる、あなたも。
こころがいたい場所で、生きていかれますように。
はっきり分るといのも、
幸せの一つでしょうね。
いつも
ここではないどこかへ
そう思っていたよ。
でも今は
かつて夢見ていた
そこにいるのかもしれない
これも
幸せのひとつ
コンパスと同じだと思うよ
離れていると思っても
実は
大きな円を
描いてる
軸がぶれないように
見ててね。
身につまされます。。。(笑)
自分のいたい場所はここ!って
自信をもって言えることが
きっといちばんしあわせです。
隣の芝生が青く見える、ではないけれど、
「どこかにもっと自分のいるべき場所があるのかも」
なんて思ってばかりいたら
いつまでも「わたしのいつもいたい場所」は
見つからないような気がします。
“あきらめる”のではなくて
“現在をよりよく生きる”というか・・・
やっぱり、
「しあわせは自分のこころが決める」んですものね♪
ほんとう。
いまいる場所は
かつて夢見た場所なのかも知れません。
ひとって、足元は見えないものなのかな。
それとも、欲張りなのかな。
いまのわたしを、
時にはいつかのわたしの視線から
眺めて見ようと思います。
世界にあるすべてのものが、
きっと円を描いているんだと思うんです。
生まれて消えていくことも、
時代が流れていくことも、
軌跡を変えぐるぐる回っているように感じます。
ティファニーのアクセサリーで
「エターナル」というデザインのものがあるのですが、
まさに、そんなイメージです。
ふとした瞬間にひどく淋しい気持ちに
なることがありますよね・・・
わたしの場合は、
食べきれなかった野菜とか、
疲れて帰った日の暗い部屋とか、
ほんとうに淋しかったです。
でも、絶対に
“ひとりきり”じゃないから大丈夫です!
自分のこころの中に誰かがいたり、
誰かのこころの中にきっと「わたし」はいるはずです♪