ようやく元旦!
2017年まで生きながらえることができました。生まれたのが1967年なので今年50歳となります。思えば長く生きたものです。ネットを検索すると、平均寿命が50歳を超えたのが1947年。私の生まれるのが20年ほど早ければ、平均的に、人生を終えていることとなります。
新年できる限り、暗い話はしないつもりなのですが、なんせ、この時期、思い出すのが一休宗純の「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」という歌。そう、うかれているうちに、一歩一歩、我々は冥土に近づいているのです。仕事に専念するあまり、退職して、「仕事」も、「名誉」も、「地位」も、「職場の仲間」も、何もかも失った後に、気が付いたら何も残らない人生だったってことにならないよう、毎年、この時期、警鐘を鳴らしているつもりです。
職場で作った友人は、かなりの高い確率で職場を離れることでフェイドアウトしていく可能性が高いのです。なんせ、それぞれを繋いでいる因子が「仕事」ですから。退職したのちに、することがないということがどれだけ恐ろしいことか。想像するだけで、身震いしてしまいます。最近は定年延長で働く機会は増えていますが、人生80年として、60歳で仕事から離れてしまったとすると、残り20年=人生の1/4をどのように過ごせばいいのでしょうか。今のうちに、幅広にライフワークを広げておかないと・・・と「健康・いきがいづくりアドバイザー」の有資格者の私は思ってしまうわけでして。
野生の動植物的な生き方をするのなら、子孫を残せばそれでおしまいなのかもしれません。しかし、我々は人間です。子孫を残そうが、残すまいが、個人として尊重されます。ただ、その生き方において、「社会的に尊重される人生を送ることができるのか?」ということが、社会的動物である人間に課された使命なのではないでしょうか。
働くことで社会に貢献することは、非常に尊いことです。あるいは、仕事をしていなくても、自分以外の他者に影響を与えることができれば、それは、人として生まれ、生きてきたことの貴重な成果といえるでしょう。ただ、我々の人生は、思いのほか長い。本来、自然が与えた「人間」という生物のプログラムからすれば、長すぎる人生を生き延びてしまうのが現状です。そう、平均寿命的には、本来、人間は50歳どころではなく、もっと早い段階で死すべき生物なのです。それを医療の発展や、食糧事情の改善、衛生環境の整備等々により、どんどん命を伸ばしてきてしまったのです。
それは、自然のプログラムに反することであり、我々人間は、その対価を支払うべきなのではないか・・・というのが私の実感なのです。自然の摂理に反し、考え、知恵をつけ、それを未来に継承する手段を得た人間。だからこそ、その結果得た人生を、無為に過ごすことは、人間以外の動植物に対して失礼な話ではないかと思うのです。
そんなことを考えていると、既に、元旦も残り8時間となっておりました。
2017年まで生きながらえることができました。生まれたのが1967年なので今年50歳となります。思えば長く生きたものです。ネットを検索すると、平均寿命が50歳を超えたのが1947年。私の生まれるのが20年ほど早ければ、平均的に、人生を終えていることとなります。
新年できる限り、暗い話はしないつもりなのですが、なんせ、この時期、思い出すのが一休宗純の「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」という歌。そう、うかれているうちに、一歩一歩、我々は冥土に近づいているのです。仕事に専念するあまり、退職して、「仕事」も、「名誉」も、「地位」も、「職場の仲間」も、何もかも失った後に、気が付いたら何も残らない人生だったってことにならないよう、毎年、この時期、警鐘を鳴らしているつもりです。
職場で作った友人は、かなりの高い確率で職場を離れることでフェイドアウトしていく可能性が高いのです。なんせ、それぞれを繋いでいる因子が「仕事」ですから。退職したのちに、することがないということがどれだけ恐ろしいことか。想像するだけで、身震いしてしまいます。最近は定年延長で働く機会は増えていますが、人生80年として、60歳で仕事から離れてしまったとすると、残り20年=人生の1/4をどのように過ごせばいいのでしょうか。今のうちに、幅広にライフワークを広げておかないと・・・と「健康・いきがいづくりアドバイザー」の有資格者の私は思ってしまうわけでして。
野生の動植物的な生き方をするのなら、子孫を残せばそれでおしまいなのかもしれません。しかし、我々は人間です。子孫を残そうが、残すまいが、個人として尊重されます。ただ、その生き方において、「社会的に尊重される人生を送ることができるのか?」ということが、社会的動物である人間に課された使命なのではないでしょうか。
働くことで社会に貢献することは、非常に尊いことです。あるいは、仕事をしていなくても、自分以外の他者に影響を与えることができれば、それは、人として生まれ、生きてきたことの貴重な成果といえるでしょう。ただ、我々の人生は、思いのほか長い。本来、自然が与えた「人間」という生物のプログラムからすれば、長すぎる人生を生き延びてしまうのが現状です。そう、平均寿命的には、本来、人間は50歳どころではなく、もっと早い段階で死すべき生物なのです。それを医療の発展や、食糧事情の改善、衛生環境の整備等々により、どんどん命を伸ばしてきてしまったのです。
それは、自然のプログラムに反することであり、我々人間は、その対価を支払うべきなのではないか・・・というのが私の実感なのです。自然の摂理に反し、考え、知恵をつけ、それを未来に継承する手段を得た人間。だからこそ、その結果得た人生を、無為に過ごすことは、人間以外の動植物に対して失礼な話ではないかと思うのです。
そんなことを考えていると、既に、元旦も残り8時間となっておりました。