放送大学多摩学習センターに借りていた本を返却に行きました。
ついでに、附属図書館にネットで申し込んだ本を6冊、学習センターの図書館で4冊、都合、10冊の本を借りてきました。帰りに、同窓会の会長さんを見つけ、面識がなかったのですが、挨拶をしておきました。お忙しい中、5分ぐらい立ち話をしていただきました。まだ、卒業していないので同窓会には入れないのですが、卒業後には入会したいと思います。
ちなみに、本日はオープンキャンパスだったようですが、図書館だけの訪問です。
ついでに、附属図書館にネットで申し込んだ本を6冊、学習センターの図書館で4冊、都合、10冊の本を借りてきました。帰りに、同窓会の会長さんを見つけ、面識がなかったのですが、挨拶をしておきました。お忙しい中、5分ぐらい立ち話をしていただきました。まだ、卒業していないので同窓会には入れないのですが、卒業後には入会したいと思います。
ちなみに、本日はオープンキャンパスだったようですが、図書館だけの訪問です。
三井アウトレットパーク入間の隣はコストコです。
買い物帰りで、大量に商品を買い込んだ人々が満ち溢れていました。見に行きたかったのですが、会員じゃないと店内に入ることができません。会費は年間4,200円!とてもじゃないけど、元がとれないので遠目で見るだけにしておきました。
買い物帰りで、大量に商品を買い込んだ人々が満ち溢れていました。見に行きたかったのですが、会員じゃないと店内に入ることができません。会費は年間4,200円!とてもじゃないけど、元がとれないので遠目で見るだけにしておきました。
天気が悪い中、「三井アウトレットパーク入間」へ家内と一緒に行ってきました。
お盆休みにも掛かっているので、大変混み合っているかと思いきや・・・待ち時間ゼロ、すぐに駐車場に入ることができました。ショッピングモールもそれほど人混みでごった返しているわけではなく、快適に買い物ができました。
で、三井アウトレットパーク入間の風景は以下の通りです。
お盆休みにも掛かっているので、大変混み合っているかと思いきや・・・待ち時間ゼロ、すぐに駐車場に入ることができました。ショッピングモールもそれほど人混みでごった返しているわけではなく、快適に買い物ができました。
で、三井アウトレットパーク入間の風景は以下の通りです。
土曜日の7時台はチャンネルをザッピングすることが多い。
そんな中、「サワコの朝」という番組にぶち当たり、ゲストのリクエスト曲ということで平井堅の「僕は君に恋をする」がかかっていた。
いい曲だな~と思っていたら、なんと、サビの部分がZIGGYの「GLORIA」じゃないか!
ネットを検索してみたところ、この「事実」に気がついた方も多数いるようで「パクリ」の指摘が結構あった(笑)
といいつつ、このことは致し方ないことでもある。人類が「音」というものを愛し始めて何万年も経ている。すべてのメロディは、誰かしらが、既に、先に発見しつくしているのである。そう、もう出尽くしているといるのであり、影響を受けるか、受けないか、あるいは、その度合いが大きいか、小さいかというだけの差しかない。
その昔、大学までスクーターで登校していた。その時間、自分で作ったメロディに、勝手な歌詞をつけて歌いながらかっ飛ばして?いただのだが、その中の1曲のサビの部分が、後日、某グループの爆発的ヒット曲となった曲と酷似していることに気がついた(笑)。
年次からすると、私の方が「先」のはずなのだが、この現象は、きっと、どこかに共通の母体とする「メロディ」が存在し、お互いが、深層心理の中で、そのメロディの影響を受けて曲を作り上げた結果だと考えられる。
漫画でも、某大御所が「パクった」だの「パクられた」だの騒ぎを起こしたりしているが、技法というものがある以上、同じような構図になるのも仕方がないだろう。どうしても気になるなら裁判で判決を得るしかないのかもしれない。
私の場合、情報発信者が満足する、あるいは情報受信者が満足する状況にあるなら、それで十分だと思うのだが、剽窃という疑義があり、許容できないのであれば、客観的な第三者に判断を仰ぐしかないと思っている。
そんな中、「サワコの朝」という番組にぶち当たり、ゲストのリクエスト曲ということで平井堅の「僕は君に恋をする」がかかっていた。
いい曲だな~と思っていたら、なんと、サビの部分がZIGGYの「GLORIA」じゃないか!
ネットを検索してみたところ、この「事実」に気がついた方も多数いるようで「パクリ」の指摘が結構あった(笑)
といいつつ、このことは致し方ないことでもある。人類が「音」というものを愛し始めて何万年も経ている。すべてのメロディは、誰かしらが、既に、先に発見しつくしているのである。そう、もう出尽くしているといるのであり、影響を受けるか、受けないか、あるいは、その度合いが大きいか、小さいかというだけの差しかない。
その昔、大学までスクーターで登校していた。その時間、自分で作ったメロディに、勝手な歌詞をつけて歌いながらかっ飛ばして?いただのだが、その中の1曲のサビの部分が、後日、某グループの爆発的ヒット曲となった曲と酷似していることに気がついた(笑)。
年次からすると、私の方が「先」のはずなのだが、この現象は、きっと、どこかに共通の母体とする「メロディ」が存在し、お互いが、深層心理の中で、そのメロディの影響を受けて曲を作り上げた結果だと考えられる。
漫画でも、某大御所が「パクった」だの「パクられた」だの騒ぎを起こしたりしているが、技法というものがある以上、同じような構図になるのも仕方がないだろう。どうしても気になるなら裁判で判決を得るしかないのかもしれない。
私の場合、情報発信者が満足する、あるいは情報受信者が満足する状況にあるなら、それで十分だと思うのだが、剽窃という疑義があり、許容できないのであれば、客観的な第三者に判断を仰ぐしかないと思っている。
前期の放送大学取得単位10単位と、今期の放送大学学部5単位、及び、大学院8単位を合計すると、累計取得単位数が746単位となりました。
はるか昔に目標として設定した1,000単位に対し、74.6%の達成率となります。
途中で、達成率をカウントするむなしさ、はかなさ、愚かしさを認識し、前期の放送大学の単位は計上することすらしていなかったようなのですが、まあ、途中経過を報告するくらいはいいだろうと思い直したわけでございます。
自分の性格なのか、それとも、それが悟りの境地なのかわからないのですが、資格にしろ、学位にしろ、単位にしろ、最初は数や達成率を病的に追ってしまっていたのですが、途中で、そんなことどうでもいいと思えるようになってしまうのです。というか、むしろ、その表面的に見える「数」の呪縛から、解き放たれる感じでしょうか。
そういえば、昔、「年間100万円分の本を読む」という「行」をおこなっていたときがありました。都度都度、本をエクセルシートに記録して、金額の累計を算出する。5年間ぐらい続けていましたが、途中でアホらしくなってやめてしまいました。そんな記録をとらなくても、年間100万円以上の本を読んでいるし、記録をとったからといって、それが何の役に立つわけでもない。
ただ、同じ本を読んでしまった際、最初の数文字入れただけで、本の名前が自動的に出てくるので、そういう意味では、「同じ本を読んじまったよ!」って確認にはなるのですが・・・
そう、同じ本って読んでしまうんです。うすうす、途中で、「読んだような気がするな・・・」と思うのですが、同じネタで、複数本を書く作家さんもいるので、絶対同じ本とは限らない。加えて、「本を開いたら、かならずすべてのページをめくり、完全読破をするべし」という戒律もあるので、途中でやめることができない。それは、手に取った、運命の本に対する冒涜につながり、読書の神様の手痛いしっぺ返しにつながる悪行と、私は定めています。
借りた以上、買った以上、その本は完読しないと、本の巡り会わせが悪くなることを、私は経験上悟りました。そして、本を愛し、読み続けることで、思わぬ名著、良書に巡り会う確率が高くなることも経験的に悟りました。
時々、文庫などで、どうしても「過去に読んだはずだ」という気持ちが沸き起こることがあります。そういう場合は、最後まで読み進むと「この本は○○とうい本を文庫版にしたものです」と最終ページに書かれていることもあったりします。そんなときは、「名前を変えただけかよ!!」って思うこともあるのですが、まあ、再び、その本にめぐり合えたことを感謝することとしています。
とはいえ、資格、学位、単位は、読書等とは違い、自分の学びを客観的に証明する機能があります。故に、積み上げることは、無駄ではないですし、将来、思わぬところで、自分自身を助けてくれるかもしれません。なんせ、資格、学位、単位は一朝一夕で取得できないという性格も持ち合わせているのです。特に、必置資格(事務所を開設する場合、絶対必要とされる法的資格)の場合は、その資格次第で転勤したり、逆に転勤が阻まれたりすることもあります。他者が資格を持っていなければ、どうしようもないからです。あるいは業務独占資格の場合は、資格≒仕事といった間柄となります。
悪癖で無い限り、何かにつけ、続けることは良いことです。無論、ムリして続けるのは毒ですが、適度に継続するために、目標をもち、それを時々、公表することも、学ぶ上では効果的と思います。ですので、時々、この取得単位の記事を書き続けることといたします。
はるか昔に目標として設定した1,000単位に対し、74.6%の達成率となります。
途中で、達成率をカウントするむなしさ、はかなさ、愚かしさを認識し、前期の放送大学の単位は計上することすらしていなかったようなのですが、まあ、途中経過を報告するくらいはいいだろうと思い直したわけでございます。
自分の性格なのか、それとも、それが悟りの境地なのかわからないのですが、資格にしろ、学位にしろ、単位にしろ、最初は数や達成率を病的に追ってしまっていたのですが、途中で、そんなことどうでもいいと思えるようになってしまうのです。というか、むしろ、その表面的に見える「数」の呪縛から、解き放たれる感じでしょうか。
そういえば、昔、「年間100万円分の本を読む」という「行」をおこなっていたときがありました。都度都度、本をエクセルシートに記録して、金額の累計を算出する。5年間ぐらい続けていましたが、途中でアホらしくなってやめてしまいました。そんな記録をとらなくても、年間100万円以上の本を読んでいるし、記録をとったからといって、それが何の役に立つわけでもない。
ただ、同じ本を読んでしまった際、最初の数文字入れただけで、本の名前が自動的に出てくるので、そういう意味では、「同じ本を読んじまったよ!」って確認にはなるのですが・・・
そう、同じ本って読んでしまうんです。うすうす、途中で、「読んだような気がするな・・・」と思うのですが、同じネタで、複数本を書く作家さんもいるので、絶対同じ本とは限らない。加えて、「本を開いたら、かならずすべてのページをめくり、完全読破をするべし」という戒律もあるので、途中でやめることができない。それは、手に取った、運命の本に対する冒涜につながり、読書の神様の手痛いしっぺ返しにつながる悪行と、私は定めています。
借りた以上、買った以上、その本は完読しないと、本の巡り会わせが悪くなることを、私は経験上悟りました。そして、本を愛し、読み続けることで、思わぬ名著、良書に巡り会う確率が高くなることも経験的に悟りました。
時々、文庫などで、どうしても「過去に読んだはずだ」という気持ちが沸き起こることがあります。そういう場合は、最後まで読み進むと「この本は○○とうい本を文庫版にしたものです」と最終ページに書かれていることもあったりします。そんなときは、「名前を変えただけかよ!!」って思うこともあるのですが、まあ、再び、その本にめぐり合えたことを感謝することとしています。
とはいえ、資格、学位、単位は、読書等とは違い、自分の学びを客観的に証明する機能があります。故に、積み上げることは、無駄ではないですし、将来、思わぬところで、自分自身を助けてくれるかもしれません。なんせ、資格、学位、単位は一朝一夕で取得できないという性格も持ち合わせているのです。特に、必置資格(事務所を開設する場合、絶対必要とされる法的資格)の場合は、その資格次第で転勤したり、逆に転勤が阻まれたりすることもあります。他者が資格を持っていなければ、どうしようもないからです。あるいは業務独占資格の場合は、資格≒仕事といった間柄となります。
悪癖で無い限り、何かにつけ、続けることは良いことです。無論、ムリして続けるのは毒ですが、適度に継続するために、目標をもち、それを時々、公表することも、学ぶ上では効果的と思います。ですので、時々、この取得単位の記事を書き続けることといたします。
現在、放送大学の教養学部に在学しているため、私には機構の学士を受験する資格はない。
黙って受験すれば受験はできるし、学位も取得できるはずであり、実際、大学に所属しつつ、学位を取得している人もいるだろう。だが、ルールをないがしろにすることは、私の学びにおいてはNGなので、そのような裏技を使うつもりもないし、使わない。
二重学籍についても、調査に調査を重ねて、しかるべき手順に従って挑戦している。それぐらい、細心の注意を払っているつもりなのだが、それでも、想定外のルール違反があったら許して欲しい。だが、その場合は、入学願書、募集要項、HP等で調べてもわからないもののはずのものだと思っている。なんせ、そういう文書や情報を集めるのが研究のテーマ(いや、単なる趣味か?)なのだから。
さて、放送大学を卒業し、再入学をしなかった場合、機構の学位に再度挑戦するつもりなのだが、充足したと思っていた学士(学芸/国際関係分野)の単位が2単位不足していることが判明した!
といっても、かなり辛めにカウントしているため、本当は充足しているはずなのだが・・・
放送大学で「国際関係法」の後釜科目として開設された「地球的課題と法」は、やっていることが「国際関係法」なので、当然国際関係分野の単位になるはずなのだが、怖くてカウントできない。あるいは産業能率大学大学院の「グローバルパーチェシングと実践研究」なんかも、正直、「国際物流」なのだが、やはり、カウントしていない。「地球の将来を考える」という科目も、カウント外である。
それぐらい単位に対して厳格にならないと、安心して出願することはできない。私の感覚として、年に2回しか受験できず、しかも2万5千円という少なからぬコストを投下し、単位判定は機構の独断という環境において、ギリギリかつ自分贔屓でカウントした単位で勝負を挑むのは、「百戦あやうからざる」危険度満点の挑戦に見えてしまう。
リスクを最小に抑えるためには、余分な単位も併せ持つ「バッファー」というものが必要といえよう。
ちなみに、学士(学芸/比較文化分野)も、受験資格まで残すところ4単位である。この分野の取得済単位として、「文化」というキーワードを含むカウント外単位が11単位もある。まず、大丈夫だと思うのだが、それでも、怖くて「バッファー」扱いである。例示された科目名と齟齬のないものだけカウントしている。
やはり、事前照会できるサービスの導入が望まれる。修士論文にも書くつもりだが、こんな機構の独断を許すような単位判定は無駄なコストがかかりすぎて受験者軽視も甚だしい。コストをとってもいいから、試験申し込みの前に、修得済単位が学位取得に必要な単位を充足しているか事前判定を取り入れてもらいたい。
というのが、機構の試験を11回受験したものからのお願いである。
黙って受験すれば受験はできるし、学位も取得できるはずであり、実際、大学に所属しつつ、学位を取得している人もいるだろう。だが、ルールをないがしろにすることは、私の学びにおいてはNGなので、そのような裏技を使うつもりもないし、使わない。
二重学籍についても、調査に調査を重ねて、しかるべき手順に従って挑戦している。それぐらい、細心の注意を払っているつもりなのだが、それでも、想定外のルール違反があったら許して欲しい。だが、その場合は、入学願書、募集要項、HP等で調べてもわからないもののはずのものだと思っている。なんせ、そういう文書や情報を集めるのが研究のテーマ(いや、単なる趣味か?)なのだから。
さて、放送大学を卒業し、再入学をしなかった場合、機構の学位に再度挑戦するつもりなのだが、充足したと思っていた学士(学芸/国際関係分野)の単位が2単位不足していることが判明した!
といっても、かなり辛めにカウントしているため、本当は充足しているはずなのだが・・・
放送大学で「国際関係法」の後釜科目として開設された「地球的課題と法」は、やっていることが「国際関係法」なので、当然国際関係分野の単位になるはずなのだが、怖くてカウントできない。あるいは産業能率大学大学院の「グローバルパーチェシングと実践研究」なんかも、正直、「国際物流」なのだが、やはり、カウントしていない。「地球の将来を考える」という科目も、カウント外である。
それぐらい単位に対して厳格にならないと、安心して出願することはできない。私の感覚として、年に2回しか受験できず、しかも2万5千円という少なからぬコストを投下し、単位判定は機構の独断という環境において、ギリギリかつ自分贔屓でカウントした単位で勝負を挑むのは、「百戦あやうからざる」危険度満点の挑戦に見えてしまう。
リスクを最小に抑えるためには、余分な単位も併せ持つ「バッファー」というものが必要といえよう。
ちなみに、学士(学芸/比較文化分野)も、受験資格まで残すところ4単位である。この分野の取得済単位として、「文化」というキーワードを含むカウント外単位が11単位もある。まず、大丈夫だと思うのだが、それでも、怖くて「バッファー」扱いである。例示された科目名と齟齬のないものだけカウントしている。
やはり、事前照会できるサービスの導入が望まれる。修士論文にも書くつもりだが、こんな機構の独断を許すような単位判定は無駄なコストがかかりすぎて受験者軽視も甚だしい。コストをとってもいいから、試験申し込みの前に、修得済単位が学位取得に必要な単位を充足しているか事前判定を取り入れてもらいたい。
というのが、機構の試験を11回受験したものからのお願いである。
既に卒業は確定しているのですが、今期履修した学部の単位についても無事取得できていることが確認できました。
博物館経営・情報論 A
日本政治外交史 B
能・伝統と現代 合格
一度は落とした日本政治外交史ですが、こちらも2単位取得です。そもそも、「国際政治」とか「外交」とかは、かなり苦手な部類の科目で、本当なら履修したくないという深層心理がありました。
それを、機構の学士(学芸/国際関係分野)の受験資格を得るために、無理やり履修した結果、「B」という成績に終わったようです。
とはいえ、こうでもしないと苦手な科目を学習する機会は永遠にこないと思うので、それなりに、よい影響を与えてくれたと思っています。
後ほど確認しますが、これで機構の学士(学芸/国際関係分野)の単位数での受験資格は充足したはずです。ひとつ目標に到達できた気分です。
博物館経営・情報論 A
日本政治外交史 B
能・伝統と現代 合格
一度は落とした日本政治外交史ですが、こちらも2単位取得です。そもそも、「国際政治」とか「外交」とかは、かなり苦手な部類の科目で、本当なら履修したくないという深層心理がありました。
それを、機構の学士(学芸/国際関係分野)の受験資格を得るために、無理やり履修した結果、「B」という成績に終わったようです。
とはいえ、こうでもしないと苦手な科目を学習する機会は永遠にこないと思うので、それなりに、よい影響を与えてくれたと思っています。
後ほど確認しますが、これで機構の学士(学芸/国際関係分野)の単位数での受験資格は充足したはずです。ひとつ目標に到達できた気分です。
ライさんから「システムWAKABA」で成績照会が可能になったとの連絡をいただき、私も、今年度の成績を確認することとしました。
・発達心理学特論 ○A
・才能と教育 A
・現代社会心理学特論 A
・国際政治 B
無事、4科目計8単位修得となりました!絶対、不合格と思っていた「国際政治」が合格していた上に、「B」ということで、全く、ラッキーとしかいいようがありません。
先生の温情におすがりしたようなものでしょうか。感謝いたします。
これで、放送授業は残すところ、あと4単位となりました。
無論、一番大事なのは修士論文なのですが、単位のメドは概ね完了です。
・発達心理学特論 ○A
・才能と教育 A
・現代社会心理学特論 A
・国際政治 B
無事、4科目計8単位修得となりました!絶対、不合格と思っていた「国際政治」が合格していた上に、「B」ということで、全く、ラッキーとしかいいようがありません。
先生の温情におすがりしたようなものでしょうか。感謝いたします。
これで、放送授業は残すところ、あと4単位となりました。
無論、一番大事なのは修士論文なのですが、単位のメドは概ね完了です。