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生涯学習の部屋

資格取得数243。6つの修士と19の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

すでにバレているかもしれないが・・・

2010年03月10日 22時59分15秒 | ちょっと立ち止まって・・・
既に賢明な方はうすうす気がつかれていると思う。

「ここのところブログの更新が頻繁であること」を。そう、私は既に、「書けない病」に冒されている。修士論文の口頭試問前後から、他の生産的なことをやろうとすると、極度の倦怠感にさいなまれている。

これから書かなければいけないもの、作成しなければいけないものは以下のとおりである。

3/20 産能大学OB・OG会のプレゼン資料(30分)
3/26 明星大学修士論文発表会のプレゼン資料(20分)
4/7  大学評価・学位授与機構のレポート(2万字他)

以上3つである。他にもオーダーが入るやもしれぬが、目先のことで精一杯。とはいえ、キャパオーバーで何も手付かず。ブログの更新や、部屋の整理、名刺作成等、負担のかからない作業系しか手につかない。

俗世では「燃え尽き症候群」ともいうそうな・・・

尊敬すべき、博士課程在学中で忙しい先輩からも「頑張ってね」とメールを頂戴したが、今は何も書けない。。。

困ったことこの上ない。。。
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名刺作成~♪

2010年03月10日 22時47分44秒 | 武蔵野大学大学院
明日は産業能率大学大学院の公開授業がある。これは、在校生の他に、修了生にもお声がかかる授業である。今回は、野村證券の寄附講座である。

経済同友会副代表幹事で野村アセットマネジメントの取締役会長からお話を伺えるとのことだ。残念ながら、本学における野村證券の寄附講座は今期で終了。

とはいえ、在学中にも9回通して聴講したし、その後も、2回ほど、公開授業に出席しているから、もう十分学習した。概ね、この手の授業は「サブプライムローン問題」を取り上げると相場が決まっているが、今回はどのような授業なんだろう。

楽しみである。

で、表題の名刺作成の件だが、フライング気味に「武蔵野大学バージョン」で作成しました。明日、本学に来る方で、欲しい人はお声をかけてください。
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放送大学の履修科目確定!

2010年03月10日 22時44分04秒 | 放送大学
家に帰ると放送大学から速達が届いていた。

それは、来期の「科目登録決定通知書」で、履修科目の一覧が添付されていた。以前、落選した面接授業も今回は当選!結局、17単位=93,500円の申し込みということとなりました。

明日にでもコンビ二で支払っておこうと思います。
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面白い!

2010年03月10日 05時43分47秒 | ちょっと立ち止まって・・・
生涯学習のことを書くと、必ずコメントを投稿してくださる方がいる。

例の私の生涯学習に否定的な方である。以前も、多くの方々から「不愉快だ!」とのコメントを頂いたので、公開せずに削除している。

中身を見ずに削除するのだが、確か、今回は「資格万能主義者」とか「あなたは研究者じゃない」みたいなことが書かれていたように思う。

メールで内容が配信されるので、ちらっと内容が見えてしまうのだ。削除した瞬間は結構激高しているのだが、削除した後に、「なかなか、面白いことを書いていたな~」と思ってしまった。削除してもったいなかったような気もする。

「資格万能主義者」って、面白い響きだな~。万能といわないまでも、この世の中に、いや、日本社会において、資格ゼロっていう人がいるのだろうか?ちなみに私の提唱する「資格」とは、「一般的な資格=職業資格」「学位(学歴)=教育資格」である。さて、学校の卒業証書も資格と考えるのだが、資格万能主義に反するために、「学校行ってません。何故なら、資格というものがなくても学習できるから」という人がいたら、お目にかかりたい。

パッケージ化された学習体系をPDCAに基づき学習するのが「資格」である。目標なく学習すると到達度がわからないし、評価もありえない。

ちなみに、学校とか合格証がなかった原始時代も、子どもから大人になるための資格=イニシエーションというものが存在する。これもモンローの教育史概説に記載されている。紙の資格ではないが、「子ども」から「大人」になる儀式である。「バンジージャンプ」や「刺青」「抜歯」などもそう。

責任のない子どもという立場から、責任ある大人の立場になるための通過儀礼はどこの国でも存在するとされる。日本でも元服式とかあった。社会が成人と認める=資格を与えることは、人類が本能的に構築した制度といえる。

以上考えていくと、「資格万能主義者」といわれること自体、栄誉なことかもしれない。毎度、毎度の不愉快なコメントだが、今まで資格界では誰も提唱したことがない「学術的な資格の話」ができて、感謝している。

さて、「研究者じゃない」という話だが、それも的を得ている。私は今までの研究者タイプではなく、「実践者」としての立場も並立している。自分で何もせずに、ただ、思いつきや本に書かれていることを鵜呑みにして論理を展開するつもりはない。

貴兄も、私のやり方に反対するだけじゃなくて、資格の50も取ってから書き込みをされるとよい。あるいは、学位を5つぐらい取ってから発言すべきである。資格マニアは社会的日陰者であるが、すくなくとも学習はしているのだ。その学習を生涯学習と認めず、反論ばかりするのは不平等である。

資格を否定するなら、卒業証書や学位記、あるいは運転免許等、すべて廃棄し、能力を証明しなくても生きていけることをご自身で実践されてからコメントしてください。でも、きっとあなたは、その資格の数々を手放すこともできないだろうし、それにもかかわらず、「あなたの考えは極論だ」とコメントされるのでしょうね・・・
コメント (2)
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