生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

一面のどんぐり!

2009年10月31日 23時09分14秒 | 小平
小平に来て思うこと。それは、ここには、きっと、旧石器時代、人類が存在していたであろうことである。

小平は東京都の市町村でも、農業で上位に入ってくる都市である。しかも、この画像のように、秋口になると、どんぐりが道一面に転がっている。小平に来た当初は珍しくて、どんぐりを拾っていたが、目に付いたどんぐりを拾い集めたと仮定すると、きっと1日で部屋中がどんぐりだらけになるくらい、どんぐりに恵まれている。

玉川上水沿いには、イガイガのついた栗も落ちている。ちょっと、食べるには細っているが、ちゃんとした農家の栗園に行けば立派な栗がなっている。

無論、旧石器時代や縄文時代には「玉川上水」はなかったのだが、この自然における「どんぐり」の状況からすれば、きっと、人がいたんだろうな・・・と思うわけです。
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散歩の先は・・・

2009年10月31日 22時45分36秒 | 大学評価・学位授与機構
放送大学と学位授与機構のあたりをブラブラしてきました。

放送大学では面接授業をやっていました。そういえば、今回、論文にかまけて、面接授業を申し込むのを忘れていた!

半期に1科目~数科目申し込んでいるのですが、今回は見送りですね。

あと、学位授与機構。私の修士論文にも機構について触れています。指導教官に削除されなければそのまま残ることでしょう。

それにしても、大学評価・学位授与機構は私にとって大きな人生のターニングポイントだったのかもしれないですね。なんせ、機構の近くに住みたいということで、今の場所に引越ししたのですから。

最初に試験を受験したときは、「こんなに遠くて不便なところに機構があるなんて!」と憤慨していましたが、今や機構はご近所さんです。

あれから、わずか3年半で「文学」「経営学」「教育学」「商学」「社会科学」「社会学」「学芸」の7つの学位を授与されるとは、当時は思いもよらないことでした。

「学士ばっかりたくさんとっても仕方ない」というのは、仰せの通りなのですが、自分に足りない知識が身につく上に、学位としてそれが認められるというのは何物にも代え難い。なんというのか・・・そう、「人生の付録」というか、「大学院生の特典」というか、うーん、言葉としてなかなか言いづらいのですが、妙に、うれしいんだな・・・

修士の学位記を貰ったときも、それはうれしかったのだが、その喜びは時間を経るにつれ、右肩下がりに低下していく。それが、学位授与機構から、半年ごとに学位記を頂くと、うれしさが、また跳ね上がるような気持ちになる。

しかも、この学位、誰でも取れるのではなく「単位を積上げて」「論文書いて」「試験受けて」しかも、「現役大学生以外(ただし、大学院生はOK)」と言う条件をクリアしないと学位記は取れない。

加えて・・・なんと、大学院生って、過去の機構データによれば、意外と不合格になる確率が高いのです。色々なカテゴリーがあって、下から2番目に合格率が低い・・・

そんな中で、7連勝という実績は「凄い!」と思うのは自画自賛?かもしれませんが、いくつかポイントがあるのかもしれません。解答の書き方にも「ポリシー」があり、いつかブログで書いていきたいと思っています。

散歩の話が、何か思い入れの入った話になってしまいました。(1000字)
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そういえば・・・

2009年10月31日 22時42分26秒 | 大学評価・学位授与機構
本日の昼の話。

病のため、出不精になっていたのですが、家から学位授与機構が見えたので、散歩にいったのでした。
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フリーズ・・・

2009年10月31日 22時30分36秒 | その他
PCの前に座っても、何も打てない。

やるべきことはいくつもあるのだが、今一歩というところで立ち止まってしまう。論文優先で、当面更新するはずもなかったブログに手を出していること自体、「負け」の証拠である。

「人生の敗北者」とまではいかなくても、「現状逃避の臆病者」ぐらいの称号はいただけるかもしれぬ。

こんな後ろ向きのことを、くどくど書き綴るっていうのは「うつ病」の兆候なのかもしれぬ。「どこぞに、カウンセラーはいないのか!」と思ったら、自分がカウンセラーですってオチで締めくくってしまう。

自分という存在が「フリーズ」してしまっているのであろう。困ったことである。

何とか、体調は復調しつつも、モチベーションまで比例的に復調はしないようだ。エンジンがかかるまで、それなりに時間がかかるのかしら?自分がエンストしている。というより、バッテリーが切れているのだ。充電するしか方法がないのだろうが、その術(スベ)がみつからない。

本当に困っているし、参っている。まあ、人間ってこんなもんです。生まれたときから、死ぬまでトップギアで突っ走ることなんてできない。山あり谷あり。

私なんぞは、新幹線のごとく駆け抜けているように見えて、実は、都電荒川線ぐらいのノロノロとしたスピードで走っているようなもの。

で、現状、車庫に入ってメンテナンス中ってところかな?
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神無月の晦日に・・・

2009年10月31日 09時18分22秒 | ちょっと立ち止まって・・・
人生、うまくいかないときにはうまくいかないものである・・・

修士論文の追い込みをするべきタイミングに体調を崩し、刻一刻と期限に追われるが、やる気が全く起こらない。

付箋だらけの参考文献の山、放置されたままの論文の山・・・それぞれ、秋のハイキングコースのごとく、山、山、山のオンパレードである。

積みあがった本の一山を数えたら、39冊だった。よくもバランスを保っているものだ。机の上にも、参考図書の尾根が繋がる。

生涯学習って、こんなに苛酷なものだったかしら?そういう気持ちに憂鬱になる。

修士論文書きあがったら、やりたいことがいっぱいである。語学とか、資格とか、会計の勉強とか、旅行とか、母校の産業能率大学大学院で特別聴講生として、講座を履修するのもいいかな~と思っている。

もう、10月も終わり、そう神無月の晦日である。

自分の論文に、「生涯学習とは、やりたい学習だけをやればいいのだろうか」という類の文章を書いたが、まさに、やりたくない論文をやっている状況である。

生涯学習について明確な定義はない。すべての人ごとに、色々な形の生涯学習があるはずである。ややもすると、生涯学習は「自発性」が求められるため、自分の好きな学習だけをやっていればいいような論調になりがちである。

しかし、社会人の生涯学習は結果が求められる。何故なら、生涯学習振興法の第二条にかかれるように「学習に関する国民の自発的意思を尊重するよう配慮するとともに、職業能力の開発及び向上」が求められるからである。「職業能力の開発」が、すべて、和気藹々とした楽しいものであるわけがない。

つまり、社会人の生涯学習とは「自律」が求められるのである。自発的に目標を設定し、その目標に対して結果をださなければならない。それが、能力開発であり、子どもが健康のために「ニンジン」や「ピーマン」を食べさせられるがごとく、嫌と思ったことでも、自己の能力開発のために取り組まなければならない。

そう、自分のできない仕事から逃げるのではなく、果敢に立ち向かって、それを乗り越えなければならぬのと同義である。

って、かっこいいこと言っても、自分の論文が完成していない以上、負け犬の遠吠えと同じである。

やっぱ、修論を完成させた諸先輩方は偉大だな・・・と考える今日この頃である。(1000字)
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