goo blog サービス終了のお知らせ 

生涯学習の部屋

資格取得数243。6つの修士と20の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

退院~♪

2008年06月22日 19時21分52秒 | その他
ヴィッちゃん、復活して帰ってきました!

休みの日は、ハンドルを握らないと落ち着かないような状況であり、24時間ぶりに運転できるのは、感激の極み!

でも、カーナビなのに、道を間違ったりして、少々憂鬱な気分・・・


振り返ると、本日は、事務的に忙しい一日でした。

・停滞?していたブログの更新を行いました。
・机の上をきれいにしました。
・髪を切りました。
・車を引き取る前に、家内と「立川中華街」にてランチをいただきました。
・ヤマダ電機に行きました。
・ダイクマにも行きました。
・車に初めてガソリンを入れました。
・スーツを取りに行きました。
・傘が折れたので、新しい傘(普通の傘と折りたたみ傘)を家内に買ってもらいました。
・管理しているメーリングリストに参加者を登録・削除しました。

まだまだすることはたくさんあるのですが、ちょっとづつやっていきます。無理は禁物。まだ、自分自身、本調子ではないのだから・・・



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冗長・・

2008年06月22日 10時58分20秒 | ちょっと立ち止まって・・・
おととい上司から、「お前は話がくどい!」といわれた。

ふと、自分のブログを見ても、「話が長い」し、「内容が重い」。

短い文章をかける人がうらやましいです。

ただ、短く書いたり話したりすると、どうしても、読み手の想像が入り込む余地が多くなり、自分の書いた真意が伝わらないこともある。で、補足、注釈等加えているうちに「長~~~~~~~~~~~~~~~い文章」が出来上がってしまう。

千字、2千字当たり前のこのブログ・・・さぞかし、読者の方もご苦労なさっていることでしょう。でも、書いてるほうも、気がついたら結構な時間が過ぎていてビックリすることもあるんです。

ついてきてくださっている方々に、感謝!
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テレビを見ながら・・・

2008年06月22日 10時50分43秒 | ちょっと立ち止まって・・・
例の宮崎事件が放送されている。

そもそも、女性を性の対象として見ることに、男としての尊大さというか、傲慢さがにじみでる。辟易する。

こういう話題は今まであまりかかないのだが・・・

私は、きれいな女性はきれいだと思うし、素敵な女性は素敵だと思う。憧れることもあれば、目標とすることもある。(ただ、きれいな女性には、何か勘違いしている女性もいる。そういう人は私としてはNGである)

そう、「すばらしい人に感動する」だけのことである。男性でも同じなのだが、どちらかというと、女性の方が、マインドとかモチベーションとか、意欲ってものが高い気がする。大学関連の懇親会でも、大学院のこととか、学習のことを根掘り葉掘り聞いてくるのは7:3ぐらいの割合で女性の方が多い。

ありがたいことに、自分の性格なのか、性別を意識しない友達がたくさんできている。「男女間で友情は成り立たない」なんて、短絡的に考える人もいるが、少なくとも私には関係のない言葉である。だって、女性の友人ができれば、友人が2倍できることになるのだから。

人見知りが激しいため、昔は女性と話すこともままならなかったが、結婚したこと、9割が女性という職場で6年近く働いてきたことで、あまり、「男」「女」の別を感じなくなった。

「面白い人」は「男」でも「女」でも、おもろい話をしてくれるし、自分と違った考え方に「へ~!」「ほ~!」と感じることが非常に楽しい。そう、知らないことを知る楽しさ=生涯学習に繋がる考え方といえるだろう。

だからこそ、男性のときでもそうなのですが、女性のときも相手を尊重する気持ちが大切といえるのではないでしょうか?そう、「女性」というより「知性」が好き。そういう気持ちでいれば、色々と面白い話を聞かせていただけるものです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学習の第二歩

2008年06月22日 10時23分56秒 | 生涯学習
学習というものは、得てして辛いものと捉えられがちである。

その証拠に、多くの学生が「本日休講」という表示を見ると、狂喜乱舞することの方がおおいことがあげられる。また、講義も早く終わるほうが感謝される。

「時間一杯まで授業を続けてくれないと困ります!」っていう学生は少ないよな・・・

そのとおり、学習というのは「辛い」という側面がある。できれば、簡単に知識や知能を習得したい。でも、いにしえの偉大なことわざのとおり「学問に王道なし」である。

しかし、同じ学習時間を投下しても、結果が大きく変わることがある。それは、学習することの目的や目標がはっきりしているか、否かである。

何のために学ぶか、いつまでに何をやるか、自分のゴールはなにか、ゴールに到達したときの自分の姿はどうなのか・・・・そういったことがはっきりしている人は、伸びるスピードも桁違いにはやい。

それとは逆に、ただ単に、時間が過ぎていくのを待っている、モチベーションの低い人は学習の成果は上がらない。むしろ時間のムダ。

だから、学習を取り組んだら、色々と学習の意味を紙に書いてみる。そして、それをいつも自分のソバにおいておく。もし、学習意欲が低下したら、初心に戻ってみる。

何故、自分が学習を志したのか?

変わりたかったから?
バカにされて悔しかったから?
目標とするすばらしい先輩がいたから?
ふとした機会に参加したセミナーで感動したから?
好きな人に追いつきたかったから?

色々と、きっかけがあったことでしょう。それを忘れてはならない。少なくとも、そのときの自分は燃えていたはずでしょう?

思い通りに学習が進まず、泣きたくなることもあることでしょう。しかし、それは、自分が成長するための負荷。その負荷を超えてこそ、頭に筋肉がつくわけです。

学習する変化こそ、惰性で過ごしてきた自分との決別であり、それは、結構辛いものです。動物としての人は、そもそも、易い方に流れるように出来ているわけですから。それを、ムリして、学習するのだから、最初は、とても辛いはずです。

でも、継続することで、かならず壁は越えることができる。だからこそ、継続するための「触媒=初心の確認」が必要になってくるわけです。

「逃げたいこと」「泣きたいこと」・・・そういう辛い目に、何度もあってきた自分だからこそいえること。

「継続は力なり」

今でこそ、色々の資格を保有し、いくつもの学位を取得していますが、元はといえば、ゼロ資格、ゼロ学位だったわけです。社会人になった時点で考えても、「経済学士」と「11の資格(英検3級、原付、空手初段も含む)」しかなかったわけです。

いつの間にか、一般の社会人ではありえないほどの学位や資格を取得し、これからも取得し続けるわけですが、継続学習の賜物といえるでしょう。

色々な本に、「資格を取得するだけでは意味は無い」とか「ペーパーライセンスは百害あり」とかかかれたりましますが、それは、資格=有利な転職と考えているから。資格は武器ではない。その考え方には共感しますが、だから、資格を取らなくてもいいという考え方には共感できない。

この世に無意味な学習はない。

「知らないことを知る」ことに、貴賎なければ、上下もない。それは、マスメディアに流れる、資格や学習を転職や就職と同一にとらえるから、そう、資格や学習を仕事の代替と考えるから、損とか得とかと言う話になる。

人として、有意義に生きていくための知恵の獲得

そんな風に考えると、学習も楽しくなってくる。

このブログの一貫した考え方=「昨日の自分より今日の自分、今日の自分より明日の自分の成長を夢見る」そのフレーズを最後に書いて筆をおきます。

(1846文字だって!)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

物騒な世の中・・・

2008年06月22日 09時49分55秒 | ちょっと立ち止まって・・・
サンデーモーニングで、凶悪事件の特集みたいなものをやっていた。

通り魔的無差別殺人・・・どうして、人を、こうも簡単に殺害することができるんだろうか?

私は「ハエ」一匹殺すことにも「かなりの抵抗」を感じてしまう。会社の女性なんかが、新聞を丸めて、ハエに襲いかかったときなんぞ、目の前が真っ暗になってしまった。

私の場合、ハエやハチの場合でも、できるだけプラスチック容器等で、上からそっと捕まえて外に逃がしてやる。同じように、水にはまった「蛾」や「蝶」なんかも、見捨てることができず、助けてしまう。

そんな自分だから、人を殺すなんて考えも及ばない。会社での人間関係が辛ければ辞めればいいし、経済的に大変なら、自己破産や公的援助を受ければいい。世の中、何かが、狂っているという思いがする。

確かに、太古の人々と比べて、要求されるスキルが高いことは事実である。そして、そのスキルを充足しないと、ややもすると、「負け組」として取りあつかわれることもあろう。

しかし、人と人との「友愛」、人間としての「博愛」、相手を思いやる「慈愛」・・・それぞれの「愛」こそが、今の世の中を変えていくキーワードだと思う。老若男女、すべての人に対する「愛情=思いやり」こそ、地位や名誉に超越する、最も大切なものではないでしょうか。

そして、その「愛」こそが、すべてを超越する崇高な理想だと私は信じてやみません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学習の第一歩

2008年06月22日 01時51分51秒 | 生涯学習
たまにはこういうネタもかかなければなるまいて・・・

なんせ、このブログは「生涯学習の部屋」って、仰々しいタイトルがついておるのだから。

そもそも、「生涯学習の部屋」なんて、一瞬の気の迷いでつけたタイトルであったが、まあ、それなりに気に入っている。もっとかっこいい名前もいいのだが、かれこれ、4年近くもこれ一本だ!

「MBA学習道場」とか「ホップ、ステップ、ラーニング!」とか「ライセンス取得のちょとしたセンス」とか「学天市場」とか「小平塾」とか「通信制大学通信」とか、まあ、よくちまたで思いつくようなブログのタイトルをつけなかった自分に天晴れといいたい。で、なんか、昭和の時代のような古めかしい、古風な、アンティークなタイトルとなっている。

なんと、こんなくらだらぬ回顧録で300文字を越えてしまった!

本題の学習の第一歩であるが、なんせ、始めないことには始まらない。学習をするための第一歩は、一番エネルギーがかかるし、一番精神的な負担となるし、一番経済的な負担もかかる。

まよう時期ともいえるでしょうか?

何か始めなければならないと思い、雑誌や、ネットで自分とぴったりの学習手段を探し始める時期。そして、大多数の人間が、申込前の段階で挫折する。

様々な言い訳を考えながら・・・

「金がない」「時間が無い」「通えない」「仕事が忙しい」「遠い」「帰宅時間が遅くなる」等々・・・

何かアクションを起こすんだから、それ相応のハンデが生じるのはしょうがないじゃないか?にもかかわらず、現在の生活レベルを落とさないまま、学習の成果だけを望むのは、ちょっと、むしが良すぎるんじゃ~ないかい?

また、世間の評価っていうのは、投下したエネルギーの成果物を見るわけだから、一朝一夕でできるようなものは、あまり評価の対象とならない。無論、教養を深めるためにやるものは、そんな評価は度外視なので、好きなだけやって欲しい。むしろ、無欲の生涯学習の方が、その人の気持ちを伝えている。

自分のための学習なのだからなんでも良い。でも、同じ時間を投下するのなら、できるだけ、成果が形に残るものの方が、将来、使い勝手がよい。そして、それが、自分の自信に繋がることもあるわけで・・・

ここまでくれば、私の言いたいことは、わかっていただけるはず。そう、つべこべ言わず、申し込め!ってこと。

本がなければいつまでたっても読書はできぬ。切符を買わねば電車に乗れぬ。PDCAの一番最初、P=PLANを決め、D=DOしなければならぬのだ。

どんなにきつくて、苦しいことでも、それをやっている仲間がいるのなら、それは不可能ではない。やればできるんだ!出来ている人もいるのだ。同じ人間にできることなら、まあ、自分も努力すりゃなんとかなるだろう。

最悪、途中で、ドロップアウトしてもいいじゃん。それぐらいの、気楽な気持ちで一歩を踏み出せば、気がついたころには、終わりに近づいているはずだ。物事なんて、やってみれば、「意外と楽」ってことがたくさんあるのです。

だから、最初のとっかかりを、「えいやー」ってやってみて欲しいのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

損な性格・・・

2008年06月22日 01時20分47秒 | ちょっと立ち止まって・・・
まあ、自分の性格を振り返ると「損な性格」としかいいようがない・・・

今回、車を擦ってしまったのも、「人助け」のためであった。でも、その「人助け」も、結局は、なんら「人助け」にならなかった・・・

家内に話すと、「誰も、あなたの気持ちをわかってくれないのよね・・・」と慰められた。まあ、好きでやっていることだし、ほめてくれとも思わない。ただ、動物占いでいうと「ひつじ」であり、自分を犠牲にしても、やはり、おせっかいな人助け(と自分では思っているが、相手にとっては「有難た迷惑」かもしれぬ)をしなくてはならない気持ちとなる。

電車で席を譲るのもそう・・・点滴を打って、フラフラの状態でも人に席を譲ってしまう。

前に書いたかもしれないが、財布を拾って、落とし主に電話を掛けて、財布を拾った私が、仕事が終わったその足で、夜の川越街道をぶっ飛ばし、落とし主に財布を届けたこともあったっけ。

自分の大事にしているものも、結構、他人にあげてしまうし・・・

そう、基本的に、相手の「笑顔」を見るのが好きなんだろうな。

誰かを蹴落としてまで、自分が幸せになろうとは、なかなか思えない性格。それって、競争社会では、致命的な欠陥性格なのだが、そういう性格の私を好きになって一緒になってくれた家内には迷惑を掛けっぱなしである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする