モンブランへご来店の皆様、こんばんは。
今日は秋の深まる中、男3人がテントをかついでキャンプに出かけたので、一人で留守番しています。
私も一緒に行く予定だったのですが、今週ひいた風邪からの回復が遅れたのでやめました。
数年ぶりのキャンプを楽しみにしていたので、しゅんけいもぱぴりおもずいぶんがっかりしていました。
申し訳ないです。
寒いだろうけれど、肉を焼きまくって楽しく過ごしてくれているといいなぁ。
最後に行ったキャンプは、まだ千葉県に住んでいた頃。
しゅんけいが1年生だったか、保育園児だったか。
家族で泊まれる大きなテントがなかったので、キノコの形をしたロッジに泊まりました。ハシゴで出入りするんですよ。
誰でも、そんなふうに記憶の糸をたどっていくことがあると思います。
2007年から1年ずつ昔へ。
去年はあんなことがあった、おととしはこうだった・・・。
甘かったり苦かったり、それぞれの糸の味がするでしょうね。
けれども、私の記憶の糸は途中でふっつり途切れているところがあるのです。
それは病気でずっと入院していた頃。
最初は命も危うく、2ヶ月間意識がありませんでした。
その前後も含めて、2004年の4月頃から2005年の明けくらいまで、私にはつながった記憶というものが何もありません。
オリンピックも全く知りません。
人生を振り返ったときに、こんなふうにすっかり消えてしまっているところがあると、それまでの記憶・それからの記憶にも、普通の人のようにしっかりと糸が通ってつながっているわけではないのではないか、ただ並べただけのビーズのように、ふとしたはずみでバラバラになってしまうのではないかと、漠然とした不安を感じることもあります。
それで今、がんばってブログを書いているのかもしれません。
私は日記をつけないので。
自分のささやかな人生の備忘録として。
しかし、苦痛を何も覚えていないというのは幸せなこととも言えるでしょう。
小学2年生の息子たちを抱え、病院で毎日私を見守り続けたぱぴりおが、その辛かった日々をまだ覚えているかと思うと、そちらの方がずっとかわいそうに思います。
でも、退院後なかなか順調に回復していかない私が、みじめな気持ちでいると
ぱぴりおはよく、「あの時に比べたらほんとうに良くなってよかったよ」と慰めてくれました。
ぱぴりおは、辛かった日々の記憶があるからこそ、未来に向かって、私のことも彼自身も励ますことができるのでしょうか。
彼は今頃、冷え込む中で焚き火でもつつきながらウイスキーを少しずつ飲んでいるでしょう。
辛かった頃の記憶を共有できなかった分、これからはそんな楽しい記憶を一緒につなげていけたらなと思います。
軍曹殿、今日は行けずに申し訳なかったでありますー。