大澤センセと北田センセの対談本です。
発刊時に、書店で横積みになっていたから、気になって買っていたのです。
2004年から2007年にかけて行われた対談が元になっていると。
背景として、大澤真幸センセ『虚構の時代の果て』を承けて、
北田暁大センセ『嗤う日本の「ナショナリズム」』を書いている最中だと。
興味深く読んだはずなんだけれど、あまり、感想をうまく書けないなぁ(汗)。
それに、読んでからだいぶ経ってしまって、北田センセ『嗤う~』と、頭の中でゴッチャになっているのだ(笑)。だけれど、この2冊によって「我々は、90年代を終えられないでいる」的なお話がやはり印象に残っているかなぁ。というか、ボクに「あ、そっか。うまくゼロ年代に乗り換えられなかったんだ/かもしれない」という自覚を芽生えさせられたな、と。
そんな感じ。
あと、この対談での、三島由紀夫と「アイロニカルな没入」の件。
時期的に同時並行で、宮台真司センセと北田暁大センセの対談『限界の思考』でも触れられています。
というか、北田センセが、「大澤センセとの対談の時に、大澤センセが宮台センセの振る舞いを、こんな風に解釈してましたけれど~」と質問して、
宮台センセが「それは違う!」と。「大澤さんもヤキがまわったな」だの「無教養に過ぎる」だの(笑)。
発刊時に、書店で横積みになっていたから、気になって買っていたのです。
2004年から2007年にかけて行われた対談が元になっていると。
背景として、大澤真幸センセ『虚構の時代の果て』を承けて、
北田暁大センセ『嗤う日本の「ナショナリズム」』を書いている最中だと。
興味深く読んだはずなんだけれど、あまり、感想をうまく書けないなぁ(汗)。
それに、読んでからだいぶ経ってしまって、北田センセ『嗤う~』と、頭の中でゴッチャになっているのだ(笑)。だけれど、この2冊によって「我々は、90年代を終えられないでいる」的なお話がやはり印象に残っているかなぁ。というか、ボクに「あ、そっか。うまくゼロ年代に乗り換えられなかったんだ/かもしれない」という自覚を芽生えさせられたな、と。
そんな感じ。
あと、この対談での、三島由紀夫と「アイロニカルな没入」の件。
時期的に同時並行で、宮台真司センセと北田暁大センセの対談『限界の思考』でも触れられています。
というか、北田センセが、「大澤センセとの対談の時に、大澤センセが宮台センセの振る舞いを、こんな風に解釈してましたけれど~」と質問して、
宮台センセが「それは違う!」と。「大澤さんもヤキがまわったな」だの「無教養に過ぎる」だの(笑)。