ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

1994、予想外れる

2013年08月31日 | Weblog
今日のブログのタイトルは「日本人全滅」の予定でした。
2年前のブログのタイトルと同じでは「まずいな」、と思っていたら予想が外れて良かった。
現在行われているテニスのUSオープンで次々と日本人選手が一回戦で敗退する中唯一、一回戦を突破した奈良くるみ選手が二回戦も突破しました。
29日に行われた二回戦で第19シードのソラナ・キルスチャ選手(ルーマニア)を7-5、6-1で破り、四大大会初の三回戦進出を決めました。
21歳の大学生が快挙です。

チルステア選手を破り握手する奈良選手
三回戦で元世界NO,1、第9シードのエレナ・ヤンコビッチ選手(セルビア)と対戦します。
*速報:第一セットはヤンコビッチ選手が6-4でとりました。

1993、金、金、金

2013年08月30日 | Weblog
去年のロンドンオリンピックで史上初の金メダルゼロに終わったが男子柔道が元気です。
現在リオデジャネイロで行われている柔道世界選手権で、開幕から60キロ級の高藤直寿(20)、66キロ級の海老沼匡(23)、73キロ級の大野将平(21)が3日連続金メダル獲得し、金メダルラッシュです。
「どうしたニッポン、何があったんだ?」、という感じです。
ロンドンオリンピック後、監督が代わり、なかなか辞めなかった全柔連の上村会長がつい最近辞任しました。
体制一新し、士気も高まったようです。


金メダルを獲得した3選手と井上康生監督
選手も監督も若返った。


1992、50年

2013年08月29日 | Weblog
昨日28日は1983年8月28日のキング牧師の「ワシントン大行進」から50年目で、リンカーン記念堂の前で50周年の式典が行われました。
黒人差別撤廃を訴えた公民権運動指導者マーチン・ルーサー・キング牧師による「私には夢がある」の歴史的演説は公民権法成立に大きく前進しました。
これに先立つ24日、キング牧師が演説したリンカーン記念堂を中心に数万人が集まり、差別のない社会の実現に向け行進が行われました。
集会でキング牧師の長男、マーチン・ルーサー・キング(3世)氏が演説し、「郷愁にひたる時ではない、やらなければならないことが多くある。」と語り、いまでも相次ぐ人種偏見による暴力の根絶や、白人に比べて失業率の高い黒人の経済状況の改善などを呼びかけました。
アメリカでは今でも根強い人種差別が存在します。
1948、無罪評決」を参照
5年前黒人初の大統領が誕生し、オバマ大統領が就任演説をしたのはキャピタル・ヒルから西、リンカーン記念堂に向かって行われ、キング牧師と対話する感じです。

今年は公民権法案を議会に提出したジョン・F・ケネディ大統領が暗殺されてから50年目です。(11月22日)
節目の年に長女・キャロライン・ケネディ氏が駐日米大使として着任します。(9月)

1991、目指せUSオープン

2013年08月28日 | Weblog
昨日、26日にUSオープンが開幕した、と書きました。


シアトルのリアム君もテニスを始めたようです。(2日前にメールで送られてきた)
将来はUSオープン出場?
長女(リアム君の母)も子供の頃テニスをしていました。(遊び程度)

リアム君の家の近くの公園にはテニスコート、陸上競技場、フットボール・フィールドなどがあります。(去年5月シアトルに行ったとき撮った)

1990、ルーズベルト・アベニュー

2013年08月27日 | Weblog
ニューヨークの夏の終わりを告げるイベント、テニスのUSオープンが26日始まりました。
四大大会最後の大会です。
男子は全豪優勝した世界ランク1位のジェコビッチ、全仏優勝のナダル、全英優勝のマレーの優勝争いで混戦模様。
女子はセリーナ・ウイリアムスが有力。
日本のエースで世界ランク12位、四大大会過去最高の11シードの錦織圭選手はベスト8以上を目指していましたが、世界ランキング179位のダニエル・エバンズ(英国)に4-6、4-6、2-6で、まさかの初戦敗退。
予選を通過した添田剛選手に期待。
女子はクルム伊達公子選手、土井美咲選手、予選突破した奈良くるみ選手が出場。
出場予定だった森田あゆみ選手は腰を痛め欠場。

会場はニューヨーク市郊外のUSTAナショナル・テニスセンターです。
マンハッタンの東クイーンズ区の広大な公園、フラッシング・メドウ・パーク(Flushing Meadow Park)にあります。
松坂投手が入団したニューヨークメッツの本拠地・シティ・フィールドはルーズベルト・アベニューを挟んで北にあります。


ルーズベルト・アベニューで、上を7トレインが走っています。
駅(Mets - Willets Point)の北(左)にシティ・フィールド、南(右)にUSTAナショナル・テニスセンターがあります。
前方(東)はフラッシング(7トレインの終点)、後方(西)はマンハッタン。
904、USオープンテニス2010」の図を参照
1816、7 train」のルーズベルト・アベニューは上の写真よりマンハッタン寄り。

1989、やっと出会う

2013年08月26日 | Weblog

NHK大河ドラマ「八重の桜」も3分の2が過ぎた昨日25日、襄と八重が出合いました。
1875(明治8)年、10年ぶりにアメリカから帰国し京都に学校を創ろうとしていた襄と、兄覚馬を頼って京都に来ていた八重が出会います。
これから襄ゆかりの地、安中も出てくるでしょう。
今までは会津藩の悲劇ばかりが描かれていましたが、ドラマも新時代到来です。
2回目放送時に子役の襄(新島七五三太)と覚馬が出合った場面の回想シーンがありましたが、これも演出の妙。
1765、ヒット間違いなし」を参照

1988、背番号16

2013年08月25日 | Weblog
メジャー昇格の見込みが薄かったインディアンスからFA(自由契約)になり、ニューヨーク・メッツ入りした松坂選手は契約翌日の23日、約1年ぶりにメジャー復帰登板を果たしました。
メッツの本拠地シティ・フィールドで行われた強打のデトロイト・タイガース戦でした。
2回までに2本のホームランを打たれ5失点で、不安の初先発でした。
3回からの3イニングは1人も走者を出さず、今後に期待が持てます。
メッツのテリー・コリンズ監督は、「ラスト3イニングの内容はベリー、ベリーグッド」と、途中で立て直した松坂を評価しています。

背番号は「16」です。
これは元エースのドワイト・グッテン選手が付けていた背番号です。
松坂に対する期待を感じます。
次回の登板では結果を残さなければなりません。

1987、波乱の人生

2013年08月24日 | Weblog
22日午前7時頃、新宿区のマンションの前で倒れている藤圭子さんが発見されました。
自殺とみられています。
1969年に「新宿の女」でデビューし、「女のブルース」などのヒット曲を連発しました。
最も印象に残っているのは「圭子の夢は夜ひらく」です。
多くの歌手が歌っていますが最もインパクトがあるのは「圭子の夢は夜ひらく」です。
園まりさんの「夢は夜ひらく」、「圭子の夢は夜ひらく」がヒットしたしたとき、そのメロディは聞いたことがありました。
学生時代に飲み会などで歌っていたのは違う歌詞でした。
原曲は、練馬少年鑑別所で歌われていた曲を曾根幸明氏が採譜・補作したもので、歌詞の異なる様々なバージョンがあります。

私生活では結婚、離婚をくり返し、波乱の人生でした。
1979年、突然引退を表明しアメリカに渡りました。
しばらく藤圭子の名前を聞きませんでしたが、再びその名を聞いたのは長女・光(宇多田ヒカル)が大ブレークしたときでした。
そして今回。

1986、快挙×2

2013年08月23日 | Weblog
21日、日米の野球で快挙が2つありました。
日本では全国高校野球選手権で前橋育英高校が初出場初優勝を飾りました。
19日に行われた順々決勝の常総学院戦では9回2死まで0-2とリードされ、最後(?)のバッターも2塁ゴロで万事休す、と誰もが思いました。
しかし2塁手のエラーで首の皮が繋がり、この回同点に追いつき、延長10回裏サヨナラ勝ちしました。
このとき優勝を確信しました。
強いだけでは甲子園で優勝できません。
奇跡的、神がかり的な何かが必要です。

優勝して喜ぶ育英ナイン
全く関係ありませんが、前橋育英高校は私の家の近くにあります。
高校野球については「1981、じぇじぇじぇ」などを参照

アメリカ大リーグではヤンキースのイチロー選手が日米通算4000安打を記録しました。

4000安打を記録し、観客に挨拶するイチロー選手(ヤンキースタジアム)
4000安打以上打った選手は過去2人しかいません。
タイカップの4189本、ピートローズの4256本。
次の目標は世界記録の4257本。
1741、イチロー2年契約」などを参照

*タイカップ:首位打者12回。9年連続(1907~1915)、3年連続(1917~1919)
野球殿堂入り選手第一号(1936年)
1911の年間安打数248本は、1920に257本のジョージシスラーに抜かれるまで1位。
そのシスラーの記録を抜いたのが2004年のイチロー(262本)

1985、誰?

2013年08月22日 | Weblog
19日、オリビア・ニュートン・ジョンさんが所有するフロリダ州の豪邸で、銃で撃たれた男性の遺体が見つかった、というニュースがありました。
遺体が発見された当時、ニュートン・ジョンさん夫妻は不在だったようです。
男性はこの住宅で働いていた42歳の請負業者で、地元メディアは自殺と伝えていますが現地警察は詳細を明らかにしていません。

オリビア・ニュートン・ジョンといえば、私がアメリカにいたころ活躍した歌手、女優で絶大な人気がありました。
74年「愛の告白」が全米1位になりグラミー賞2部門を獲得、翌75年「そよ風の誘惑」も1位になり、「ザナドゥ」「フィジカル」などのヒットを連発しました。
ラジオからはいつもオリビアの歌が流れていました。
杏里さんの「オリビアを聴きながら」のオリビアはオリビア・ニュートン・ジョンさん。
この曲はカラオケでもよく歌われていて、私の知り合いもよく歌います。
帰国してからはオリビアの名前をあまり聞きませんでしたが、今回の事件で久しぶりにオリビアの名前を聞きました。
1978年のミュージカル映画『グリース』でジョン・トラボルタと共演し、ヒットしました。
ニューヨークの映画館で観ました。
私の中ではこのときのイメージがあり、顔もそのままでした。

左は最近のオリビアで「誰?」といった感じです 右はグリースのオリビア
「カントリーロード」、「ジョーリーン」なども耳に残っています。
You Tubeにはオリビアの曲がたくさんあります。