ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

181、やった、ベスト16だ!

2008年08月31日 | Weblog
ニューヨークのフラッシングメドウで行われているテニスのUSオープン3回戦で、錦織圭選手は世界ランキング4位のダビド・フェレール選手(スペイン)を破る金星を挙げ、日本人男子として71年ぶりにシングルス4回戦進出を果たしました。
現在のランキング制度が確立した1973年以降のグランドスラムで、日本人男子が世界ランキングトップ10の選手を破ったのは初めてです。
グランドスラム以外では1992年に松岡修造選手が同2位のステファン・エドベリ選手(スウェーデン)に勝った例があります。

180、45年目の夢

2008年08月31日 | Weblog
「41、私には夢がある(I have a dream.)」でも書きましたが、 1963年8月28日、ワシントンDCのリンカーン記念堂前で黒人公民権運動の行進に参加した25万の人びとにむけてマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が演説しました。
45年後の同じ8月28日(2008年)アメリカ大統領選でオバマ氏が黒人初の民主党大統領候補に指名され、受諾演説を行いました。
45年前は黒人の投票権は事実上制限されていました。
あれから45年、68年のキング牧師の暗殺から40年、ついにここまで来たかと感慨深いものがあります。
今回の選挙戦では白人の多くがオバマ氏を支持しているのも時代の変化を感じます。
しかし、まだまだ人種差別的考えは根強くあり、貧困の問題など多くの問題を抱えています。
キング牧師の“夢(Dream)”が実現するのは何時の日になるのか?
11月の「一般投票」12月の「選挙人投票」でアメリカ合衆国大統領に選ばれるか非常に興味あるところです。

179、がんばれ錦織

2008年08月30日 | Weblog
テニスのUSオープン第4日の28日、男子シングルス2回戦で、錦織圭選手がロコ・カラヌシッチ(クロアチア)を破り、日本人男子では1973年の神和住純以来、35年ぶりの3回戦進出を決めました。
グランドスラムでは95年のウィンブルドンベスト8の松岡修造以来です。
3回戦では第4シードのダビド・フェレール(スペイン)に挑戦しますが、金星を期待。
ウインブルドンや北京オリンピックでは腹筋痛で苦しんでいたので予想外(失礼)の活躍です。
試合の途中で大きすぎる短パンをトイレに行って着替えてくる余裕もありました。
錦織選手の試合には多くの日本人や報道陣が集まって応援していますが、私がUSオープンを見に行っていた頃は日本人はそれほど多くいませんでした。

女子では、杉山愛選手がオルガ・ゴボルツォワ(ベラルーシ)に4-6、7-6、6-1で勝ち、2年ぶりに3回戦へ進出しました。
最も注目していた第1シードのアナ・イバノビッチ(セルビア)がジュリー・コアン(フランス)に敗れる波乱がありました。

178、PS41

2008年08月27日 | Weblog
これは子供たちが通っていた小学校の名称で、ニューヨークの公立学校には番号が付けられています。
PSはPublic Schoolで「ニューヨーク市立第41小学校」になります。
ニューヨークはメルティングポット(人種のるつぼ)と呼ばれ、多数の民族・文化が溶けあっていて公立学校もいろんな国の子供たちが集まっています。
我が家にも子供の友達が遊びに来ましたが白人、黒人、インド人、ユダヤ人、中国人、韓国人など国際色豊かでした。
「明日に架ける橋」など、数々のヒット曲で知られる“サイモンとガーファンクル”はクイーンズ区フォレストヒルズにある「PS164」で出会い、後にデュオを組みました。
フォレストヒルズはユダヤ系の人が多く、彼ら二人もユダヤ系アメリカ人です。
日本人も多く住んでいて私も住んだことがあります。
写真は次女がPS41の3年生のときのクラス写真です。

177、万博のシンボル

2008年08月26日 | Weblog
マンハッタンの東へ6マイル(約10キロ)の所に広大な公園があります。
フラッシング・メドウ・コロナパークで、公園の面積は約508ha、ニューヨーク市の公園としてはブロンクス区のペルハム・ベイ・パークに次ぐ広さです。
一帯にはテニスの4大大会の1つUSオープンが行われるUSTAビリー ジーン・キング・ナショナル・テニスセンター、大リーグニューヨークメッツの本拠地シェイ・スタジアム、クイーンズ美術館、ニューヨーク科学館、動物園、サイクリング・ロードなどいろんな施設があり市民のリクリエーションの場として親しまれています。
2008年には、約6億6300万ドルを投じて建設された水泳センター、フラッシング・メドウズ・コロナ・パーク・プール・アンド・リンクが完成しました。
オリンピックサイズの室内プール、NHLの規定を満たすアイスリンクがあります。

ケネディー空港に降り立った人が車でマンハッタンに向かっていると、右前方に大きな地球儀が見えます。
ステンレスのフレームでできた巨大な地球儀「ユニスフィア」で、もともとは1964年のニューヨーク万国博覧会のシンボルでした。
(大阪万博の“太陽の塔”のようなもの?)
万博終了後もそのまま残され、今はフラッシング・メドウ・コロナパークのシンボルになっています。
この辺一帯に多くのパビリオンが設置されました。
クイーンズ美術館はニューヨーク市のパビリオンだった建物を改装し、1972年にオープンしました。
その他、万博の建物を利用した施設も幾つかあります。
マンハッタンから近く、広いスペースが取れることもあり1939年にも万博が開催されています。
私の家はここから北東6キロ程のところでしたので、朝晩この「ユニスフィア」を見ながらマンハッタンに通いました。

176、USオープンテニス

2008年08月25日 | Weblog
8月25日にテニスのUSオープンが始まります。
レーバーデイ(9月1日)を挟んで9月7日までニューヨーク郊外フラッシング・メドウズで開催されます。
広大なフラッシング・メドウズ・コロナパークの一角にあり緑豊かです。
USオープンについては何度か書きましたが、ニューヨークに住んでいた頃は家も近かったので毎年見に行きました。
休みの日には朝から夕方までセンターの中で過ごし、仕事のある日はナイトセッションに行きました。
センターコートを始め30以上のコートがあり世界の一流選手が試合をしています。
プログラムを見ながらお目当ての選手が試合をするコートに走ります。
夕方になると試合を終えた選手が明日に備えて練習するのを見ることが出来るのも楽しみです。
7時頃からナイトセッションがセンターコートで行われ、注目の試合が組まれますが、ここは入れ替わりで昼間のチケットでは入れません。

私がいた頃はUSTAナショナル・テニスセンターと呼ばれていましたが、現在はかつての名選手の名を冠してUSTAビリー ジーン・キング・ナショナル・テニスセンターと呼ばれています。
センターコート「アーサー・アッシュスタジアム」は2万3千人以上を収容する世界最大のテニススタジアムです。
近くにあるラガーディア空港から飛び立つ飛行機が上空を通過し、その騒音もUSオープン名物で選手を苛立たせることがあります。

今年(2008年)も見所豊富です。
2004年 から4連覇しているロジャー・フェデラーは去年までの圧倒的な強さはなく5連覇は黄信号です。
NO1の座についたラファエル・ナダルの初優勝なるか?
今年は全仏オープン4連覇、ウィンブルドン初優勝、北京オリンピック金メダルと絶好調ですが、グランドスラムではハードコートでの優勝はまだありません。
女子は、2004年スベトラーナ・クズネツォワ、2005年キム・クライシュテルス、2006年マリア・シャラポワ、2007年ジュスティーヌ・エナンと年替わりです。
エナンが引退した今年はさらに混戦が予想され、誰が優勝するか全くわかりません。
アナ・イバノビッチ、イェレナ・ヤンコビッチのセルビア勢が第1、第2シードで、セルビア勢初の優勝なるか注目です。
一昨年覇者のマリア・シャラポワが怪我で欠場するのは残念ですが、今年も数々のドラマが生まれることでしょう。

日本勢では、15年連続出場の杉山愛、4年連続出場の中村藍子、初出場の錦織圭の活躍が期待されます。

175、背面跳び

2008年08月25日 | Weblog
北京オリンピックが終わりました。
北島康介選手の平泳ぎ100、200の連覇、ソフトボールの金メダルなど日本人選手の活躍に感動した17日間でした。

オリンピックで最も衝撃を受けた出来事は「背面跳び」を見たときです。
1968年メキシコオリンピック陸上の男子走高跳でディック・フォスベリー(米)が初めて跳んだスタイルで、最初見たとき一瞬何が起こったのか分かりませんでした。
それまでの跳躍スタイルは「ベリーロール」と呼ばれ、前を向いて頭、胸からバーを下に見ながら越えるものでした。
背面跳びは助走の最終局面で曲線を描ように走りこみ、バーに対して身体を横に向けて飛び上がります。
バーを越える瞬間に身体を仰向けにして上体を大きく反らして空を見ます。
腰、臀部がバーの上を通過した直後に身体を前に折り足を持ち上げ背中や肩からマットに着地します。
この新しい跳び方はフォスベリー・フロップ(Fosbury Flop)と呼ばれました。
メキシコオリンピックでは唯一人このスタイルで跳んだフォスベリーが当時の五輪記録2m24で優勝しました。
走り高跳び界に大きな変化を与え走高跳の革命と呼ばれました。
以後の記録向上に貢献し、現在国際大会などでは全ての選手がこのスタイルで跳んでいます。

同じメキシコオリンピックの男子走り幅跳びでボブ・ビーモン(米)が跳んだ8m90の驚異的な記録も驚きでした。
それまでの記録を55センチも上回る世界記録で、これは1991年の世界陸上選手権(東京)でマイク・パウエル(米)によって更新されるまで、23年間も破られることはありませんでした。
(8m90は現在もオリンピック記録として残っています)
私はこのときの試合をラジオで聞いていましたが一瞬耳を疑いました。
当時は考えられない記録でした。
これは2400mの高地で空気抵抗が少ない乾燥した気候、ジャンプのときの記録公認上限の追い風2m/秒が原因のようです。
40年後の北京オリンピックの優勝記録がサラディノ(パナマ)の 8m34なので、8m90のすごさが分かります。
40年前の記録を下回ったのはおそらく男子走り幅跳びだけだと思います。

174、歪んだスフィアー

2008年08月24日 | Weblog
バッテリーパークの中にある歪んだ「スフィアー」です。
以前はワールドトレードセンター・プラザに建っていたフリッツ・クーニングの彫刻です。
トレードセンターは7つのビルから成る複合施設で中心に広いプラザがありました。
そこには噴水やさまざまな彫刻がありトレードセンターで働く人たちの憩いの場で、昼休みにはランチを食べる人で賑わっていました。

写真のスフィアーは崩壊したビルの下敷きになって瓦礫に埋もれていましたが、奇跡的に原形をとどめたまま掘り出されました。
同時多発テロの追悼記念碑としてバッテリーパークに移されました。
歪んだ金属が惨劇の生々しさを今も伝えています。
私はトレードセンターで働いていたとき毎日プラザに行ってこれらのオブジェを見ていました。

173、記録はどこまで伸びるか?

2008年08月21日 | Weblog
北京オリンピックでウサイン・ボルト(ジャマイカ)選手が20日に行われた陸上男子200メートル決勝で19秒30の世界記録で優勝しました。
ボルトは16日の100メートル決勝でも、これまでの記録を0秒03更新する9秒69の驚異的な世界新記録を打ち立てたばかりです。
オリンピックの100メートル、200メートルをともに世界新で制したのは史上初の快挙です。
その走りを見るとまだ余裕があり、向かい風0.9メートルの中での走りで記録はさらに伸びそうです。

これまでの世界記録は1996年のアトランタオリンピックでマイケル・ジョンソン(米国)がマークした19秒32でした。
ジョンソンの記録も驚異的なもので「100年は破られない記録」と言われていましたが、ボルトは12年であっさり破ってしまいました。
アトランタオリンピックで世界新をマークしたジョンソンにあこがれ、12歳から陸上を本格的に始めたというボルトがジョンソンを超えた瞬間でした。

100メートルと200メートルは同じ短距離種目ですが走り方は異なります。
100メートルはスタートダッシュから真っすぐ先のゴールに向かって一気に駆け抜けます。
200メートルはスタート直後にコーナーを回るのでコーナリングのテクニックやペース配分が必要です。
オリンピックで両種目を制したのは1984年ロサンゼルス大会のカール・ルイス(米国)以来24年ぶり9人目です。
男子で100メートルと200メートルの世界記録を同時に保持するのは、史上3人目です。
(私も中学時代200メートルを走ったことがありますが、序盤に飛ばしすぎると後半疲れて足が上がらずフラフラになり、序盤にセーブすると先行され追いつくのは至難の業です)
ボルトは序盤からリードし、コーナーではすでに他を引き離して独走態勢に入り、直線ではさらに加速し、圧勝しています。
常識を破る規格外の能力を備えています。
200メートルを19.30秒で走ると単純計算で、1秒で10.36メートル、0.1秒で1.36メートル進むことになります。
2位のクロフォード(米国 )のタイムは19秒96なので約7メートル差を付けてゴールしたことになります。
東京オリンピック100メートルで優勝したヘイズは「褐色の弾丸」と呼ばれ、ボルトは「稲光」と呼ばれました。

172、スタッテンアイランド・フェリー

2008年08月19日 | Weblog
スタッテンアイランドはニューヨーク市を構成する5つの区(ボロー)のうちの1つです。
その名の通りニューヨーク湾の中にある島で、そこに行くには船か橋を使います。
スタッテンアイランドとブルックリンを結ぶベラザーノ・ナロウ・ブリッジは、かつては世界最長の吊り橋でした。
ニューヨークシティーマラソンは橋の袂の公園から出発しこの橋を通過します。
何万人もの人の群が渡る姿はテレビなどでよく見る光景です。

この島はマンハッタンの南にあり、マンハッタンで働く人が多く住んでいます。
特にウオール・ストリートのある金融街に近く、フェリーでの通勤が一般的です。
写真はマンハッタンの最南端にあるバッテリーパークからスタッテンアイランドに向かうフェリーの上から遠ざかるマンハッタン島を見ています。
まるで海に浮かんでいるようです。
以前はワールド・トレード・センターの二本のビルがひときわ高くそびえていました。
写真には写っていませんが、左に自由の女神が見えます。