ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

131、ジェイコブ・ジャビッツ・コンベンションセンター

2008年04月28日 | Weblog
130、サブウエイ」でニューヨークの地下鉄、7ラインが西に2駅延長されると書きましたが、このニュースを聞いたとき「あ!ジェイコブ・ジャビッツ・コンベンションセンターまでサブウエイが伸びるんだ」と思いました。
現在の終点、Times Square-42 Streetから10 Avenue-41 Street、11 Avenue-34 Streetまで西南に2駅延長されます。
11 Avenue-34 Streetは34ストリートの西の端、ハドソン川のすぐ近くです。
この辺りは昔はpier(埠頭)としてとして利用されていましたが、1970年、80年代前半は廃港となっていて治安の悪い地域でした。
1986年に11~12アベニューと34~39ストリートに囲まれた広大な土地に、ニューヨーク最大のコンベンション・センターができました。

このセンターではいろんな会議や見本市などが行われ、年間300万人以上の人が訪れます。毎年春にはニューヨーク国際オートショー(New York International Auto Show)が開催されます。
秋に行われるNYCマラソン直前には「ランニングエキスポ」というイベントが行われ、3万人を超えるランナーはここでゼッケンを受け取ります。
大会記念のグッズ、ウエア、シューズなどもここで販売されます。

34ストリートは、以前はマンハッタンの繁華街でしたが現在は42ストリートから57ストリートの方に中心が移っています。
しかし、今もにぎわっていてこの通り沿いには有名な建物がたくさんあります。
8アベニューの33丁目には中央郵便局、その向かいにはマディソンスクェア・ガーデンとペン・ステーション。
7アベニューには世界最大のデパート、メイシーズ。
5アベニューの角にはエンパイアステート・ビルがあります。




130、サブウエイ

2008年04月24日 | Weblog
ニューヨーク市はマンハッタン、ブロンクス、クイーンズ、ブルックリン、スタッテンアイランドの5つのボロー(区)から成っていますが、サブウエイはスタッテンアイランドを除く4つのボローをカバーしています。
もともと別の私鉄3社(IRT、IND、BMT)をニューヨーク市が統合したもので、ラインは複雑で「ニューヨークのサブウエイを乗りこなせれば一人前のニューヨーカーだ」と言われるほどです。
全長1,056km、468の駅があり、そのネットワークの密度は世界一で年間利用客数は10億人を上回ります。
サブウエイは地上の交通渋滞に左右されず便利で、自転車を持って乗ることもできます。
ニューヨークに初めて地下鉄が走ったのは1904年で100年以上の歴史があります。
以前はサブウエイ・マップ(路線図)は無料でもらえましたが、現在も無料のようです。

ニューヨークの地下鉄の良い点は、距離に関係なく料金が一定で、改札を出なければ乗り換え(Transfer)自由で追加料金は必要ありません。
私がニューヨークに住んでいた頃はトークンToken(日本の5円玉のように穴が開いている)というメダルを買って、ターンスタイルTurnstileと呼ばれる改札機に入れました。
スリット(穴)にトークンを入れ、回転式バーを押して中に入ります。
昔の回転式バーはごっついものでしたが、最近はスマートになっています。

渡米した1973年頃は50セントくらいだったと思います。
その後、75セント→1ドル→1ドル25セントと少しずつ値上がりし、日本に帰った1993年頃は1ドル50セントだったと思います。

現在(2008.4)は2ドルで、トークン以外にも1日乗り放題7ドル50セント、7日25ドル、14日47ドル、30日81ドルなどのプリペイドカード(メトロカード)があり、将来はクレジットカードも利用できようになるようです。
メトロカードはバスとの相互乗り換えも可能です。
マンハッタンは南北に長い島なので地下鉄も縦に走っている路線が多く、北に行くのはUptown、南に行くのはDowntownとホームに書かれています。
電車は路線ごとに数字やアルファベットが書かれているのでどのラインが何処へ行くのか良く確かめて乗ります。
駅と駅の間隔は1~2分で、5区間でも10分あれば到着します。
また、Expressと書かれた電車もあり、駅を幾つか飛ばして走ります。(各駅停車はLocal)
デューク・エリントンの“Take the A Train”は、ジャズのスタンダード・ナンバーで、8番街急行線(8th Avenue Express)のことで、路線名はもちろん“A”です。
「51、A列車で行こう」を参照

電車の時刻表はありますが全く当てになりません。
来た電車に乗る、という感覚ですが、ラッシュアワーは2~5分、昼間は10~15分、深夜は20分間隔が目安になります。
地下鉄は24時間動いていますが夜10時過ぎると運行数が減り、11時過ぎには乗客も少なくなるので、人のいる車両に乗った方が安全です。

かつては落書きをされた車両が名物でしたが、現在は落書きはほとんどありません。
最新車両は落書きを簡単に消すことができる素材(ステンレス)が使われています。
評判の悪かった地下鉄ですが新車両導入や駅の改築などによって綺麗になり、犯罪も減少しています。
私が利用していた頃は“汚くて危険”と言われていましたが幸い一度も危ない目に会うことはありませんでした。

地下鉄構内ではいたる所でミュージッシャンと出会います。
MTA公認のミュージッシャンで毎年100組ほどがオーディションで選ばれます。
演奏を聴いたら開いたギターケースなどにチップを入れます。

ニューヨークのサブウエイは現在も拡張中です。
マンハッタンには地下鉄路線はたくさんありますが、レキシントン・ラインより東側は縦に走る路線がありませんでした。
1929年に計画されながら実現しなかった2アヴェニュー路線の工事が開始されるようです。(2008年開始、2013年完成予定)
また、7ラインが現在の終点Times Square-42 Streetから、10 Avenue-41 Street、11 Avenue-34 Streetまで西南に2駅延長されます。

写真は1980年頃のサブウエイで、内も外も落書きだらけでした。

129、トンネルを抜けると高架だった

2008年04月19日 | Weblog
128、シェイ・スタジアム」で地下鉄の窓から球場の照明が見えた、と書きましたが、
ニューヨークの地下鉄はマンハッタンでは地下を走っていますが、ブロンクス、クイーンズ、ブルックリンでは高架のところが多くなっています。(地下を走っているラインもありますが。)
これは建設費の関係だと思います。

ご存知のようにマンハッタンは完全な島になっているので、そこに出入りするには橋、トンネル、船を利用します。
地下鉄もマンハッタンから出たり入ったりするにはトンネルを潜ります。
(橋を走っているラインもあります。)
ヤンキー・スタジアムやシェイ・スタジアムも地下鉄で行くと、駅は高架になっています。

私がよく利用していた7ラインはマンハッタンから東に走っています。
朝マンハッタンに行くときは朝日に輝く摩天楼に向かいます。
マンハッタンに近づくにつれて、ビルが大きくなってきます。
帰りは夕日に映え、徐々に遠ざかる摩天楼を見ながら帰ります。
高架になっているので街並みが上から見え、アパートの屋上が見えたりします。

128、シェイ・スタジアム

2008年04月18日 | Weblog
シェイ・スタジアムは大リーグニューヨーク・メッツの本拠地で、マンハッタンから6マイル(約10キロ)東にあります。
マンハッタンから車で行くにはミッドタウン・トンネルを潜ってI-495(ロングアイランド・エクスプレスウェイ)やクイーンズボロー・ブリッジを渡ってノーザン・ブルバードを走ります。

グランドセントラル駅始発のロングアイランド鉄道(LIRR)でも行けますが、地下鉄7番線で行くのが便利です。
7番線は42nd St(タイムズスクエア駅)からクイーンズ区のフラッシング駅まで走っていて、途中グランドセントラル駅を通過します。
マンハッタンから乗り換え無しで30分ほどでWillets Point-Shea Stadium駅に着きます。
(終点フラッシング駅の1つ手前)
試合がある日はメッツのユニフォームを着た人や、グローブを持つ人などを電車の中で見ることができます。
それぞれのスタイルでベースボールを楽しみます。
駅の北にシェイ・スタジアムがあり、南にはテニスの4大大会の1つUSオープンが行われるUSTAナショナル・テニスセンターがあります。
すぐ近くにラガーディア空港があり時々離着陸する旅客機の爆音が響きわたります。
これはナショナル・テニスセンターでも同じです。

ニューヨークには以前ドジャースやジャイアンツも本拠を置いていましたが1957年カリフォルニアに移ってしまいました。
ニューヨークの球団がヤンキースだけになってしまい、1962年にナショナルリーグのチームとしてメッツが新設され、ユニフォームにはドジャース、ジャイアンツのチームカラー、ブルーとオレンジを採り入れました。

1962年の発足1年目はメジャー最低の40勝120敗を喫します。
その後も成績は芳しくなく4年連続で100敗以上を喫し、最下位が続いてお荷物球団といわれていました。
この弱さが反って憎めない愛すべきチームとしてファンが増え、常勝球団ヤンキースと人気を二分するようになります。
そんなメッツに奇跡が起こります。
1969年には初めてリーグ優勝し、ワールドシリーズでも「ボルチモア・オリオールズ有利」の予想を覆し、4勝1敗でワールドチャンピオンに輝き「ミラクル・メッツ」と呼ばれました。
ブロードウエイでは盛大な優勝パレードが行われ、当日の天気予報はニューヨークの天気を「晴れ、ところにより紙吹雪」と粋に祝福しました。
私はこのときの優勝は日本で新聞で知りましたが、ニューヨークでは相当盛り上がったようです。
アメリカ人の友人は「ミラクル・メッツ」の優勝とパレードのことをいつも興奮しながら話していました。

その後再び低迷が続きますが1986年2度目のミラクルが起こります。
この年はエースのドワイト・グッデン、主砲のダリル・ストロベリーなど若い世代の選手が活躍しました。
ワールドシリーズでは、ボストン・レッドソックスに2勝3敗と王手をかけられてシェイ・スタジアムに戻ってきました。
第6戦も敗北まで「あと1球」と追い込まれながらも逆転優勝し「ミラクル・メッツ」、「アメージング・メッツ」と呼ばれ17年ぶり2回目のワールド・チャンピョンになりました。
この試合は歴史に残る熱戦となり後々までの語り草になりました。
3対3のまま延長戦となり、レッドソックスは10回表に2点をリードします。
この時点で敗北を覚悟し、10回裏のメッツの攻撃が始まる前に多くのメッツファンはスタジアムを後にしました。
レッドソックスは2アウトを取り、68年ぶりのワールドチャンピオンまであとアウト1つと迫りました。
しかしメッツは粘りを見せ、2アウト2ストライクからゲーリー・カーターがレフト前にヒットを放ち、代打ケビン・ミッチェルも2ストライクと追い込まれながらセンター前にヒットを放って続きます。
さらにレイ・ナイトも2ストライクに追い込まれながらセンター前にタイムリーヒットを放ち、1点差に詰め寄ります。
次打者ムーキー・ウィルソンも追い込まれながらファウルで粘り、7球目がワイルドピッチとなってミッチェルが還り5-5の同点に追いつきます。
ウィルソンは10球目をファーストへの高いバウンドのゴロを打ちます。
この打球が沈むように微妙にバウンドが変わって一塁手が痛恨のトンネル、打球がファウルグラウンドを転々と転がる間に二塁からナイトがホームに還り、メッツが劇的なサヨナラ勝ちを収めます。
ナイトはホームインと同時にベンチを飛び出したメッツナインにもみくちゃにされました。
メッツは第7戦も勝って2度目のワールド・チャンピョンになりました。

9部9厘手中にしたワールド・チャンピョンを逃したレッドソックスは「バンビーノの呪い」にかけられていると言われ、痛恨の出来事でした。
レッドソックスが「バンビーノの呪い」から開放され、ワールド・チャンピョンになるのはそれから18年後の2004年です。
2007年にも松坂大輔、岡島秀樹選手等の活躍でワールド・チャンピョンに輝いたのは記憶に新しいところです。

この「さよなら勝ち」のシーンははっきり覚えています。
職場のワールド・トレード・センターにはいつも車で通っていましたが、この日はたまたま地下鉄の7ラインで行きました。
仕事が終わって帰る途中、地下鉄の窓からシェイ・スタジアムのライトが輝いているのが見えたので試合をしているのが分かりました。
終点のフラッシングで降りてバスを待っているとき、バス停前の店のラジオが試合の実況放送をしていました。
対戦成績2章3敗で第六戦も2点リードされた10回2死でランナー無しで「メッツは負けた」と思いました。
そこからの逆転は上述した通りで、興奮した状態でバスに乗ったのを覚えています。
(私の家はフラッシングから東北へ5キロくらい行ったところでした。)

その後再び低迷が続いていましたが、2000年には、14年ぶりにリーグを制し、
ワールドシリーズでヤンキースと「サブウエイシリーズ」を戦いましたが1勝4敗で3度目の軌跡は起こりませんでした。
これはワールドシリーズで行われた唯一の「サブウエイシリーズ」です。
21、サブウエイシリーズ」を参照
ちなみにメッツとはメトロポリタンズ(都会っ子)を縮めた言い方です。

127、ヤンキー・スタジアム

2008年04月13日 | Weblog
「ヤンキー・スタジアム」、その響きは私にとってアメリカの象徴のようなものでした。
学生時代は後楽園球場に巨人戦を見によく行きましたが、そのころからヤンキー・スタジアムには行ってみたいと思っていました。
渡米してからは毎年ヤンキースの試合を見にこのスタジアムに行きました。
しかし、このスタジアムで試合が行われるのは今年が最後になります。

ヤンキー・スタジアムは1923年からヤンキースの本拠地として数々のドラマを演出してきました。
開場から50年後の1973年のシーズン終了後に大改修工事か行われ(1974-75年)、現在の球場は1976年4月に開場しました。
大改修から30年経った2004年に新スタジアム建設が発表され、2006年に工事が始まりました。
来年(2009年)から新スタジアムが使用されます。
そういえば、現スタジアムの西は駐車場でその北には広大な空き地がありました。
そこに新スタジアムが完成されるようです。
今年は最後の年ということで、MLBオールスターゲームが7月15日に開催されます。
2008年のシーズン終了後にこのスタジアムが取り壊されるのは寂しい限りです。

また、1956年から1973年まではNFL の ニューヨーク・ジャイアンツがこのスタジアムで試合をしていましたが、
現在はニュージャージーにあるジャイアンツ・スタジアムを本拠地にしています。

ヤンキー・スタジアムは、マンハッタンの北、ハーレムリバーを挟んだブロンクス区にありグランドセントラル駅からサブウエイで約30分です。
車で行く場合はスタジアムの西に駐車場がありますが南側にも幾つかあります。

ヤンキースはワールド・シリーズを26回制覇していますが、2000年を最後にワールドチャンピョンから遠ざかっています。
今年こそは優勝し、松井秀喜選手にはチャンピョン・リングを手にしてほしいと思います。

私がニューヨークにいた頃のヤンキースで一番印象に残っているのは1977年のドジャースとのワールド・シリーズ第6戦で
レジー・ジャクソン選手が放った3打席連続本塁打(すべて初球)で、テレビで見ていて感動したのを覚えています。
この年ヤンキースはワールド・シリーズを制し、1962年以来のワールド・シリーズ優勝ということでニューヨーク中が盛り上がりました。
翌1978年も優勝し連覇しています。
1980年代に入るとヤンキースは長い低迷期に入りましたが、1996年に18年ぶりのワールドチャンピョンになり復活しました。


126、ニューヨークで野菜づくり

2008年04月10日 | Weblog
マンハッタンに住んでいたときは庭がありませんでしたが、郊外に移ってからは毎年庭の一部でトマト、キュウリ、ナスなどの野菜を作っていました。
この時期になると日本と同じように、ホームセンターや植木屋さんなどに野菜や花の苗が並び、それらを購入して栽培します。

郊外ではこのように家庭菜園を楽しむ家が多く、隣のおじさんもいろいろ作っていました。
トマトなどは雨除けをしなくても結構良い実が生りました。
私の住んでいたのはマンハッタンから車で30分くらいの所でしたが、緑の多い静かな住宅街で、日本から来た友人が「軽井沢のようだ」と言っていました。
隣のおじさんは「ドクター」で大きな家と庭があり、いろんな木や花が植えられていました。

野菜の呼び方
ナス:エッグ・プラント(形から想像できますが、ダチョウの卵より大きいのがある。)
スイカ:ウオーター・メロン(水分の多いメロン。楕円形で大きい)
白菜:チャイニーズ・キャベツ(アメリカではキャベツはよく食べますがスーパーでも白菜はあまり見ません。チャイナタウンや韓国の八百屋にはたくさんあります。)

125、ガソリン価格

2008年04月07日 | Weblog
暫定税率の期限切れでガソリンの値段が下がっています。
15年前に日本に帰ったとき驚いたのはガソリン価格の高さでした。

私がアメリカにいた頃は1ガロン(gallon)が1ドル以下でした。
1ガロンは約3.8リットルなので、リッターに換算すると20~30円という感覚で、満タンに入れても10ドルくらいでした。
日本に帰って初めてガソリンを入れたときびっくりしました。
満タンに入れても1000円ちょっとだろうと思ったら、何と4000円もしました。
アメリカでも日本車に乗っていて、日本に帰ったとき同じ車種の車を買ったのでタンクの大きさは同じだと思います。
アメリカ人は大型車で安いガソリンを大量に撒き散らしながらハイウエイを飛ばしていました。

しかし、最近の原油価格の高騰でガソリンの値段がうなぎ上りです。
1ガロン3ドル以上になって、4ドル近くするところもあるようです。
地域によって値段が違います。(一般に東海岸より西海岸の方が高め)
こうなるとリッターに換算すると100円近くになってしまい、日本とそんなに変わらなくなってしまいます。(暫定税率の期限切れで120円前後のところが多い)
今度アメリカに行ってガソリンを入れたら逆ショックを受けると思います。
(満タンに入れて10ドルくらいと思ったら40ドルもして。)
ガソリン価格の高騰で燃費の良い日本車の売上が好調で、大型車の多いアメリカのメーカーは苦戦しています。(その他、日本車は故障が少ないなどの理由もあります。)

ちなみに、アメリカでもオイル・ショックがありました。
1973年の12月にアメリカに行った時は第一次オイル・ショック真っ只中で、
友人の車に乗せてもらってギャス・ステーション(アメリカではガソリン・スタンドのことをこう呼びます。)に行ったら車が長蛇の列でした。
友人に聞いたら「オイル・ショックで入れる量が制限されている」とのことでした。
当時の価格が幾らだったか覚えていませんが、それ以前の3倍くらいになったようです。
しかし、すぐ正常に戻りました。

123、ニューヨークの街路樹

2008年04月01日 | Weblog
96、マンハッタンのストリートとアベニュー」でも書きましたが、マンハッタンは縦(南北)に走るとアベニューと横(東西)に走るストリートが「碁盤の目」になっていています。
この町造りは1811年に始まりましたが当初の計画では街路樹は無く、20世紀初頭までは緑の無いコンクリートばかりの殺風景な町でした。
このような状況に市民の間から「町に緑を」と言う声が高まり、街路樹が植えられるようになりました。
70年ほど前に現在の緑豊かな町に生まれ変わりました。

マンハッタンというとビルとコンクリートというイメージがありますが意外と緑が多く、
特にストリート沿いは緑が豊かです。
現在ニューヨーク市には50万本の街路樹があると言われています。
セントラル・パークを始めとした公園もたくさんあり、4月から5月にかけては新緑がまぶしく輝きます。
根元をコンクリートに囲まれた厳しい環境ですが、元気に育っています。
これらの街路樹は樹木に関する免許を取得し、専門の知識を持った6000人のボランティアによって守られています。

写真はマンハッタンのストリートで、アパートの前は緑がいっぱいです。