ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

896、住宅街

2010年08月30日 | Weblog
スポーケンには長女の夫の両親が住んでいます。
彼らの家は閑静な住宅街にあり、広い道の両側に芝生のある家が並んでいて、庭の芝生はきれいに刈り込まれています。
それぞれの家は特徴的で、個性的な造りです。
私たちが行ったのは5月の中旬で新緑と、ハナミズキを始めとした花々がきれいでした。


895、スポーケン

2010年08月29日 | Weblog
865、ミニ大陸横断」でシアトルを出発しI-90を東に進んできましたが、スポーケンに到着しました。
この間270マイルで雪山草原牧場ファーム砂漠渓谷など、いろんな姿を見ることができました。
スポーケン(Spokane)はワシントン州東部に位置し、シアトルに次ぐ州第2の都市で、現地ではスポケーンと発音されています。
すぐ東はアイダホ州です。

892、RATTLESNAKE

2010年08月26日 | Weblog
シアトルに戻ります。
コロンビア渓谷の展望台近くに「WATCH FOR RATTLESNAKES」の看板がありました。
「ガラガラヘビに注意」の看板です。
西部劇でおなじみで、砂漠に生息する毒蛇かと思っていましたが草原、森林、砂漠など様々な環境で生息しているようです。
危険を感じると尾の重なった脱皮殻を激しく振るわせて音を出して威嚇しますが、この音が赤ちゃんをあやすガラガラのように聞こえることから「rattle=ガラガラ」の名がつけられたそうです。

891、車の音

2010年08月25日 | Weblog
トヨタ自動車は3代目『プリウス』に取り付ける「車両接近通報装置」を30日から販売開始する、と発表しました。
装置の価格は1万2600円(取り付け費用別)
ハイブリッド車(HV)や電気自動車(EV)は以前から静かすぎて歩行者や自転車などは車が接近しても気付かず、事故につながる危険があると言われていました。
特に視覚障害者等から対策を求める声が上がっていました。
三菱自動車や日産自動車のEV車にも同様の装置が装備される予定だそうです。
589、予想通り」を参照

890、狙いうち

2010年08月24日 | Weblog
高校野球ではグランドの熱戦も盛り上がりますが、応援も力が入ります。
応援歌を聞いていると我々の時代に演奏していた曲も多く、今の高校生が知らないんではないかと思われる曲もあります。
「ポパイ・ザ・セーラーマン」、「コンバットマーチ」、「鉄腕アトム」「宇宙戦艦ヤマト」、などなど。
極めつけは山本リンダの「狙いうち」で、多くの高校で演奏しています。
テンポ良くのりのりで、タイトルの「狙いうち」のごとく、ここ一発の時にはぴったりです。
アニメソングも多く演奏されますが「タッチ」は定番です。
我県の今夏の代表校はタッチの作者、あだち充氏の母校で、あだちさんも応援に駆けつけました。
関係ありませんが、この高校は私の家のすぐ近くにあります。
変わったところでは「暴れん坊将軍」や「水戸黄門」があります。
今の高校生は時代劇などあまり見ないと思いますが、必ずといっていいほど聞こえてきます。
格闘技の試合でよく聴く「ウイウイル・ロック」も闘志を盛り立てる曲です。
意外だったのはエルビス・プレスリーの「ラブミーテンダー」が演奏されていたことです。
ロックの王様エルビスの曲としては静かなバラードですがうまくアレンジされていました。
その他、「サウスポー」、「海のトリトン」、「ドカーン」、「アフリカンシンフォニー」、「蒲田行進曲」、「恋のフーガ」、「コパカバーナ」、・・・。

なつメロが多いのは、高校野球は高校生だけの大会ではないからだと思います。
グランドでプレイするのは高校生ですが、スタンドでは父母やOBなども一緒に戦っています。
幅広い年代層が一体になるには、誰もが知っている曲で世代を超えた曲が演奏されるようです。
その他甲子園では県の代表としてその地域の歌なども演奏されます。
You Tubeにはそれぞれの母校の応援風景を投稿しているものもたくさんあります。
狙いうち
367、甲子園の思い出」を参照」

889、史上最速投手

2010年08月23日 | Weblog
今夏の高校野球は興南(沖縄)が春夏連覇を達成しましたが、島袋投手や準優勝した東海大相模の一二三投手など好投手が多くいました。
私の中で「史上最速投手」は誰か?と聞かれれば躊躇なく尾崎行雄と答えます。(日本人投手)
プロ・アマを通して最速だと思っています。
1961年、浪商高校2年時の夏の甲子園で優勝投手となり、怪童と呼ばれました。
前年夏の甲子園から三度にわたる法政二高の柴田勲との対決は名勝負として語り草になっています。
2年で高校を中退し、当時としては破格の契約金6000万円で東映フライヤーズに入団しました。(現在はドラフト制度があるので2年中退でのプロ入りはできません)
1年目の1962年に17歳で開幕を迎え20勝9敗、防御率2.42で新人王を獲得しました。
1964年から1966年まで3年連続で20勝を記録し、1965年には27勝を挙げて最多勝を獲得します
しかし酷使によって肩を痛め、その後何度か復活を試みますが以前の球威が戻ることはありませんでした。(1973年に29歳で引退)
期間は短かったのですが強烈な印象があります。
尾崎のボールは早いだけでなく重く浮き上がり、揺れながらキャッチャー・ミットをえぐる感じです。
それから約半世紀、尾崎以上のボールは見ていません。
これは、あくまでも私の印象で、今まで見た投手の中で最もインパクトがあったということだと思います。
尾崎行雄のボールが「史上最速」と呼ぶ人は多く、特に尾崎のボールを間近で見たアンパイアに多くいます。
技術の向上や科学的トレーニングなどによって陸上競技の100mの記録など、ほとんどの競技で時代と共に記録は伸びています。
陸上競技や水泳などの記録が残るものは一目瞭然ですが採点競技ではどちらが上とは言えず、女子体操のコマネチの10点満点と最近の9.90は比較できません。
選手の体力が向上し、投手の投げるボールも進歩していますが、「史上最速」もスピードガンでは計れないものがあります。
171、史上最速の男」を参照
*100年ほど前東京市長を務め「憲政の神様」と呼ばれた尾崎行雄と同姓同名。
317、タイダル・ベイスン」を参照

888、真紅の優勝旗沖縄へ

2010年08月22日 | Weblog
史上6校目の春夏連覇、そして沖縄に初の真紅の優勝旗が渡ります。
春の選抜で優勝し、夏の大会で優勝を目指していた沖縄興南が見事春夏連覇を果たしました。
一度の優勝はある意味でラッキーな部分もありますが、連覇というのは本当の実力が無ければできません。
特に準決勝では序盤で5点リードされての逆転勝利は1998年の横浜高校を思い出し、興南優勝の予感がしました。
この年松坂大輔(現ボストン・レッドソックス)を擁して春夏連覇を成し遂げたときも準決勝で6点差を逆転し、決勝でも勝って優勝しました。
6点リードされたときは春夏連覇はだめかと思いましたが奇跡的勝利でした。
今年の興南も同様の春夏連覇でした。

春夏連覇で思い出すのは1962の作新学園が達成した初の快挙でした。
春の選抜高等学校野球大会で優勝し史上初の春夏連覇を目指していましたが、夏の大会直前にエースの八木沢荘六が赤痢にかかるというハプニングが襲い、連覇は絶望と思われました。
しかし控えだった加藤斌が主戦投手として夏の大会を制しました。
367、甲子園の思い出」を参照