ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

122、バッテリー・パーク

2008年03月31日 | Weblog
マンハッタンの最南端にある公園がバッテリー・パークです。
ニューヨーク港に面し、その先には大西洋が広がりヨーロッパへと続いています。
ニューヨーク港にはエリス島があり、アメリカン・ドリームを求めてヨーロッパから船で渡ってきた人達が最初に移民手続きをしました。
現在は移民博物館になっています。
その南には自由の女神で有名なリバティ島が見えます。
ヨーロッパから渡ってきた人達はロウアー・マンハッタンに入植し、北に柵(ウオール)を作りました。
柵があったところがウオール・ストリートとなり世界金融の中心地となっています。

1812年の米英戦争の際、ニューヨーク防衛のためマンハッタン沖合の岩礁の上に砦を建設しウエスト・バッテリーと名づけました。
この砲台は1度も実戦で使われることはありませんでした。
その後、マンハッタンとの間が埋め立てられ、公園として整備され砦の名に因んでバッテリー・パークと名付けられました。
(バッテリーは電池のバッテリーとして知られていますが「砲台」の意味もあります。)
埋め立てにはトレード・センターを建設する際に出た膨大な土や岩が使用されました。
公園の南にある砦の跡(Castel Clinton)は現在、エリス島、リバティ島、スタッテン島へのフェリー発着地となっていて、
観光客やスタッテン島からの通勤客でにぎわっています。
エリス島に移民審査局が建設される前は、ここが移民受け入れセンターでした。

私は旅行関係の仕事をしていたこともあり、バッテリー・パークにはよく行きました。
また、トレード・センターで働いていたときには窓からバッテリー・パーク、ニューヨーク港、エリス島、自由の女神が一望できました。

写真はチューリップが満開のバッテリー・パークとロウアー・マンハッタンのビル群です。
前は海、後ろにはマンハッタンの摩天楼がそびえ、春になると様々な花が咲き、野生のリスが走り木に登って遊びます。
ストリート・パフォーマンス、野外コンサート、フリーマーケットなども開かれ年間400万人が訪れます。

121、ニューヨークで花見

2008年03月27日 | Weblog
日本列島は桜前線が北上中です。
アメリカで桜といえば、ワシントンDCのポトマック川岸の桜が有名ですが、ニューヨークでも桜が見られます。
セントラルパークにも桜の木があり、ニューヨーカーを楽しませます。
イーストリバーの真ん中にあるルーズベルト・アイランドには桜がたくさん植えられていてマンハッタンから良く見えます。
ハドソン川対岸のニュージャージーには桜が何十本もある公園があります。
この辺は日本人が多く住んでいて花見の季節にはシートを敷いて日本式の花見をします。(公共の場でのアルコールは禁止)

ニューヨークで最も有名な桜の名所はブルックリン・ボタニカルガーデンのチェリーブロッサム・フェスティバル(Cherry Blossom Festival)で、
4月下旬に行われます(八重桜が多い)。
和太鼓や日本舞踊などのパフォーマンスが行われ屋台が出て花見気分を盛り上げます。
日本庭園もあり、日本人も多く集まりますがアメリカ人も桜と日本文化を味わいに来ます。
池では錦鯉が泳いでいます。
植物園なのでいろんな花が咲き木々の緑と桜のピンクがマッチします。
ここの桜は八重桜が多く色鮮やかですが、しだれ桜やかいどう桜などいろんな種類の桜があります。
私は、友人が近くに住んでいたので毎年花見に行っていました。

120、こうもり

2008年03月23日 | Weblog
今日、オペレッタ「こうもり」に出演しました。
「108、ワルキューレ」でも書きましたが、ニューヨークにいた頃はオペラには全く関心ありませんでした。
3年ほど前から興味を持つようになり時々鑑賞に行きます。
また、あるオペラ団体の合唱部に所属し時々公演に参加しています。
舞台の後ろの方でその他大勢で歌ったり、簡単な演技をしてオペラを体感しています。
今まで「カルメン」、「魔笛」、「フィガロの結婚」、「こうもり」等に出演しました。

オペラOperaという語は「作品」を意味するラテン語Opusの複数形に由来していて、大部分が歌唱で進められるため「歌劇」と言われています。
オペラが出来上がるまでには、原作、次に台本、それに基づく作曲、上演のための演出という流れがあります。
それを歌手、合唱、オーケストラ、衣装、舞係、照明、その他、さまざまな関係者が1つの「作品」を作り上げて行きます。
この「作品」作りには観客も含まれていて、観客の拍手、かけ声、盛り上がりが「作品」を作り上げていく大きな要素の1つになっているので同じ「作品」は二度とできません。
今日の公演には100人余りの関係者が参加し、1000人の観客と一緒に1つの作品を作り上げました。(その他、50人程の子供たちもダンスを披露してくれました。)


119、モニュメントバレー

2008年03月20日 | Weblog
ユタ州南部からアリゾナ州北部にかけての地域一帯に西部劇の世界が広がっています。
砂漠の中に雨風によって風化・浸食されたメサといわれるテーブル形の台地や、さらに侵食が進んだビュートといわれる岩山が点在し、まるでモニュメント(記念碑)が並んでいるように見えます。

古くからナバホ族の居住地域で紀元前2000年頃からこの地に住んでいました。
現在はナバホ族の居留地になっていて正式名はモニュメントバレー・ナバホ・トライバル・パーク(Monument Valley Navajo Tribal Park)と言います。
ナバホの人々が管理、運営する公園で国立公園ではありません。
現在も風化が進んでいて岩山の形は徐々に変化しているので何千、何万年後には今の姿も変わってしまうでしょう。
ロッキー山脈から鉄分を大量に含んだ川が下流地域一帯に沈泥となって堆積し、鉄分の酸化によって大地は茶褐色になっています。
透き通った青い空と赤茶けた広漠たる荒野のコントラストが鮮やかです。

モニュメントバレーはバスで通過しましたが砂漠の中にまっすぐな道が地平線の彼方まで続いています。
バスの窓から見える風景はこれぞまさに西部といった風景で、砂漠の中に点在する赤いメサやビュートの岩陰からインディアンが現れそうで、まるで駅馬車に乗っているようです。
ジョン・フォード監督が撮影に利用した地点はジョン・フォード・ポイントと呼ばれていて「駅馬車」、「黄色いリボン」、「荒野の決闘」、「アパッチ砦」など多くの西部劇がここで撮影されました。
その他、「2001年宇宙の旅」、「イージーライダー」、「バック・トゥ・ザ・フューチャーⅢ」、「フォレスト・ガンプ 一期一会」などもモニュメントバレーで撮影されています。

118、Happy St Patrick's Day

2008年03月17日 | Weblog
今日3月17日はセント・パトリックス・デイです。
ニューヨークの5番街では盛大なパレードが行われます。
15万人が行進し、300万人の観衆が5番街を埋め尽くします。
アイリッシュ(アイルランド人)のお祭りですが、厳しい冬が終わって春の訪れを告げるお祭りなので、多くの人がこの日を待ちに待って祝います。
この日はニューヨークが緑に染まります。

友人のアイリッシュの女性に聞いたところ、緑のクローバー、虹、金貨がアイリッシュのシンボルだそうです。
彼女は日本人の男性と結婚して日本に住んでいます。
「2、ニューヨークが緑に染まる」を参照




117、1993年のスーパーストーム

2008年03月16日 | Weblog
今日、CNNニュースを見ていたら1993年のスーパーストーム(大嵐)のことを言っていました。
このときの嵐は3月12~15日にかけてアメリカ東海岸を襲い、270人の死者をだし、数10億ドルの損害をもたらしました。
1、出発と帰国」でも書きましたが、嵐の翌日16日の朝ケネディ空港を出発し17日の昼頃成田に着きました。
16日の朝は雪は降っていませんでしたが、前日までの雪が50cmくらい積もっていて無事に空港までたどり着けるのか、飛行機は飛ぶのか心配したことを覚えています。
ニュースを見ていて、積もった雪の中をケネディ空港に向かったことを思い出しました。
そういえば、今日は3月16日で、ニューヨークを発ったのが15年前の今日でした。

116、円高

2008年03月15日 | Weblog
23日、12年ぶりに1ドル100円を割り込み99.77円をつけました。
14日、再び99.88円をつけ連日の99円台突入となりました。
政府・日銀は更なる円高を阻止するための介入について、現時点では「市場の動向を注意深く見守る」、「急激な変動は好ましくない」と言って静観しています。
今回の円高について、米景気後退による「円高ではなくドル安」と見る向きもあり、「95~90円まで円高が進む」という見方もあります。
円高が進むと輸出企業は大変です。

私の場合アメリカに送金したりアメリカから送金されてくるので、どちらに推移してもあまり関係ありませんが送金するタイミングは気にしています。
「69、プラザ合意」を参照

115、ニューヨーク州知事辞任

2008年03月13日 | Weblog
ニューヨーク州知事が買春容疑で辞任しました。
売春組織の顧客リストに名前(偽名)が載っていたもので、このような事件は時々起こります。
というより、たまたま発覚しただけですが。

エリオット・スピッツァー知事(48)は高級売春組織「エンペラーズクラブVIP」の常連客で、同クラブを複数回利用し総額8万ドル(約800万円)以上支払ったようです。
知事が同州司法長官時代に組織売春を摘発し、こうした犯罪に激しい怒りを示していたのが皮肉に見えます。

「ミスター・クリーン」と呼ばれた敏腕検事で、大手企業がかかわった証券スキャンダルなどの捜査を指揮して注目され、2006年秋の知事選に民主党から立候補し、当選しました。
また、企業不正を次々に摘発し「ウォール街の保安官」と呼ばれていました。
民主党の若手ホープで、将来の大統領候補と言われていましたが、その芽は無くなったようです。
後任にはデビッド・パターソン副知事(53)が昇格し同州初の黒人知事となりますが、同氏は盲目で全米初のことです。

「94、ティファニーで朝食を」を参照

114、I WILL FOLLOW HIM

2008年03月13日 | Weblog
この曲は私が中学生の頃ラジオでよく聴いていた曲です。
その頃は部屋で勉強もせず、外国の音楽に夢中になっていました。
アメリカン・ポップス、カンツオーネ、シャンソンなどラジオから流れてくる曲は電波に乗って海外の香りを運んできました。
これ等の音楽を聴きながら、いつかアメリカに行ってみたいと思っていました。

“I WILL FOLLOW HIM”はリトル・ ペギー・ マーチが1963年に歌って大ヒットしました。
発売後たった4週で全米TOP 10にランクされ、6週にして第1位に輝きました。
このとき、リトル・ペギー・マーチは15歳1ケ月で、それまでブレンダ・リーが持っていた15歳7ケ月を抜いて最年少記録を樹立しました。
1948年3月8日ペンシルバニア州フィラデルフィアで生れ、小さいときから歌っていました。
(ということは、可愛かった少女も今年、大台に乗ってしまったことになります。私も同じ1948年生まれですが大台まであと数ヶ月あります)

愛称はペギー、当時は小柄で3月生まれということもあって、リトル・ペギー・マーチの芸名でデビューしました。
“ I WILL FOLLOW HIM”で有名になったペギー・マーチ(後、リトルが取れる)はその後も夢見る17才、涙のウェディング・マーチなどをヒットさせます。
日本にも度々来て日本語の歌(霧の中の少女など)を日本語で歌ったり、オリジナルの曲をリリースしています。
「忘れないわ」という曲は日本人アーチストとの競作でしたが、ペギー・マーチ盤が最もヒットしました。
彼女の歌う日本語は外国人が歌う、たどたどしさや訛りが無く自然です。

“I WILL FOLLOW HIM ”の原曲は“CHARIOT”という曲で、邦題は“恋のシェリオ”です。
作曲者はJ.W. Stole & Del Romaですが、これはイージー・リスニングで有名なフランク・プールセルとポール・モーリアのペン・ネームです。
邦題“恋のダウンタウン” で知られるイギリス人のペトゥラ・クラークが、1962年にフランス語で歌ってヨーロッパでヒットさせました。
また、“アル・ディ・ラ”を歌ってサンレモ音楽祭で優勝したイタリア人のベティ・クルティスがイタリア語で歌っています。
ペトゥラ・クラークは英語でも歌っていて歌唱力は抜群です。
ベティ・クルティスの透き通った伸びのある歌声はカンツオーネ風です。
これをアメリカでヒットさせたのがリトル・ペギー・マーチの“I WILL FOLLOW HIM ”です。
ペトゥラ・クラークやベティ・クルティスに比べると歌唱力では劣りますが、
15歳のティーンエージャーが初恋(?)のボーイフレンドのことを歌っているラブソングとしてはその雰囲気が良く出ていて、リトル・ペギー・マーチの初々しい歌声が魅力的です。
  
*ちなみに“CHARIOT”とは古代ギリシャ、ローマの“二輪戦車”のことです。
預言者エリアが炎のCHARIOTに乗って天に登ったという、旧約聖書にも出てきます。
  映画“炎のランナー”の原題は「CHARIOTS OF FIRE」で主題曲もヒットしました。
   また、ゴスペル“Swing Low, Sweet Chariot”でもCHARIOTという言葉が使われています。
  “恋のシェリオ”は恋の二頭立て馬車、とでも言うのでしょうか。

この「I WILL FOLLOW HIM 」は1992年の映画“天使にラブソングを” の中でゴスペル調にアレンジされて歌われています。
この曲を映画で知った人も多いのではないかと思います。
最初この映画をニューヨークで見たときは懐かしい歌がいっぱいある映画、という印象でした。
その後ビデオで何回か見ているうちに「I WILL FOLLOW HIM 」にはもっと深い意味がある気がしてきました。
映画の原題は“SISTER ACT”で修道女が主人公です。
彼女たちが「I WILL FOLLOW HIM 」を歌うのはローマ法王の前です。
カトリック信者にとってローマ法王は主イエス・キリストの代理のような存在です。
Sisterたちは、信仰決意としてこの歌を歌っています。
当然ラブソングの「I WILL FOLLOW HIM 」とは歌詞も変えてあります。
リトル・ペギー・マーチの歌ではI Will Follow himですが、映画ではI Will Follow Himになっています。
英語で大文字の「Him」はイエス・キリストをさします。
「彼に付いていく、彼がどこに行こうと、彼こそ私の運命」という歌詞は 「主についてゆく、主がどこにいかれようと、我がさだめは主のみともに・・・」という信仰の決意になります。
また「Ever since he touched my hand I knew」と言う箇所は「彼が私の手に触れてから」となっていますが、
映画では「Ever since he touched my heart I knew」で「主が私の心(魂)に触れて以来」とhandがheartなっています。
さらに、歌の途中からWe Will Follow Himと複数形になります。
これは歌っているSisterたちが私達と歌っているだけでなく、全ての人々という意味が込められていると思います。
乗り乗りの歌に、法王も思わず身体を揺らせ、手拍子を取っています。

最近ゴスペルを歌い始めました。
今歌っているのは、勿論「I WILL FOLLOW HIM 」です。
「AMAZING GRACE」も歌っています。
ニューヨークにいるとき黒人の教会に何度か連れて行ってもらいました。
そこで聞いたゴスペルは魂の叫びとでもいうのか、聖歌隊と礼拝者が一体となって主イエス・キリストを全身で賛美していました。
You Tube
映画「Sister Act」のゴスペル調
リトル・ペギー・マーチ

113、きぼう

2008年03月11日 | Weblog
土井隆雄さん搭乗のスペースシャトル「エンデバー」が2008年3月11日午前2時28分(アメリカ東部時間)、
ケネディー宇宙センターから予定通り打ち上げられました。
今回は国際宇宙ステーション(ISS)で過ごす12日間を含め、16日間の宇宙滞在となります。
エンデバーには7人の乗組員が搭乗していて、主なミッションは日本の実験棟「きぼう」の船内保管室をISSに運びます。
「きぼう」の各部位や機材は3度に分けISSに運ばれ取り付けられますが、今回はその第一便になります。

「きぼう」は、日本がISS計画に参加した1985年から20年以上の年月をかけて開発されてきました。
そこでは、微小重力、真空、広大な空間的広がりといった宇宙特有の環境を利用してさまざまな実験、観察が計画されています。
完成すれば日本独自の実験施設ができ、長期滞在が可能になります。

ケネディー宇宙センターについては「97、チャレンジャー爆発事故」を参照