ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

1963、4度目

2013年07月31日 | Weblog
宇宙飛行士の若田光一さんが4度目の宇宙に行きます。
11月に国際宇宙ステーション(ISS)に行き、約半年間の長期滞在になります。
後半の2カ月間は6人の乗組員をまとめる船長(コマンダー)の大役を務めます。
日本人初で、アジア人初の船長です。
29日、訓練中の宇宙航空研究開発機構筑波宇宙センターで記者会見し、ミッションのロゴマークに漢字の「和」を入れ、「日本の素晴らしさ、文化を紹介しながら、みんなの力を最大限に出せるリーダーシップを発揮したい。」と抱負を語りました。
スペースシャトルでISSに行っていた前3回の出発前の訓練はアメリカNASAで行われていましたが、今は「N」の字も出てきません。
4度目はロシアのソユーズ宇宙船で行きます。
1958、次世代有人宇宙船」を参照

記者会見で抱負を語る若田さん

1962、裏庭で

2013年07月30日 | Weblog
6月1日に成田を発ちシアトルに帰ったリアム君が久しぶりに登場です。
シアトルからメールが届きました。
シアトルはカナダ国境に近く、かなり北に位置していますが、この時期30度くらいになります。
裏庭で水遊びをし、アイスを食べて遊んでいるようです。

チョコ味の特大アイスで、顔中チョコだらけです。

ワシントン州の愛称はエバーグリーンで大きな木も多く、リアム君の家も裏庭は鬱蒼としています。(シアトルといってもダウンタウンではなく郊外)
裸で遊んでいて蚊に刺されないかと心配ですが、シアトルには蚊はいないそうです。
蚊の北限は日本では秋田県や岩手県辺りだそうです。
シアトルの緯度は北緯47度くらいで、北緯43度のサッポロより北です。
北海道にも蚊はいないようですが温暖化の影響で生息地は北に広がり、今世紀末には北海道に及ぶと予測されています。
ニューヨーク市の緯度は北緯40度で、青森市と同じくらいです。
ニューヨークにいた時、蚊に刺されたような気がします?

1961、ヤンキースの一員で

2013年07月29日 | Weblog
7月28日(日本時間29日朝)、昨年12月にユニフォームを脱いだ松井秀喜氏の引退セレモニーが、ニューヨーク・ヤンキースの本拠地ヤンキー・スタジアムで行なわれました。
松井選手の背番号55に因んで、今季55試合目のヤンキー・スタジアムでの試合に合わせたものです。(実際は雨天中止によって55試合目ではなかった)
ヤンキースは松井氏と「1日契約」を結び、ヤンキースの一員としての花道を用意しました。
MLBには、チームに貢献した元選手と1日だけ契約して、過去の栄光を讃えるという文化があります。
ヤンキースに在籍したのは7年間です。
期間はそれほど長くはありませんでしたが、デビュー戦での満塁弾、ワールドシリーズMVPなど強烈な印象をニューヨーカーに与えました。
誠実な人柄は辛口で知られるニューヨークのメディア、ファンからも愛され、チームメートからも慕われました。
インタビューで「本日、ヤンキースと契約することが出来て、ヤンキースの選手として正式に引退することが出来て本当に光栄だと思います。ヤンキースの皆さんには感謝の気持ちで一杯です。一番憧れた場所で選手として終われるのは、これ以上に幸せな事はないです。」と語っています。
憧れの場所でヤンキースの一員として選手生活を終えました。

引退セレモニーでピンストライプのユニフォームを着る松井氏

1960、無事保護

2013年07月28日 | Weblog
ニューヨークで行方不明になっていた埼玉県の男子高校1年生(15)が無事保護されました。
研修ツアー(21人)でニューヨークを訪れ、24日午後メトロポリタン美術館を見学した後、宿泊先に向かう途中で一行からはぐれ、連絡が取れなくなっていました。
同日午後5時45分ごろ、サブウエイを乗り換える際にはぐれてしまったようです。
ラッシュ時で、一行は声で連絡が取り合える範囲に乗車していましたが、目的地の駅で点呼した際いないことが分かりました。
ニューヨークは5時になると一斉に家に帰るので、午後5時45分ごろは最も混雑する時間です。
行方不明になってから約1日半後の26日午前、タイムズスクエアに1人でいるところを、報道で知っていた米国在住の日本人に声をかけられ保護されました。
タイムズスクエアは、26日にツアーの研修で訪れる予定だった場所で、男子生徒はそこに行けば仲間に合流できると考えたそうです。
この間2晩、どこで過ごしたのか?
携帯電話は宿泊先のスーツケースの中にあり、当時は所持していなかったようです。
携帯を持っていればすぐに連絡がとれたと思いますが。

発見されたタイムズスクエアと行方不明のチラシ。
メトロポリタン美術館とタイムズスクエアの位置関係は「77、セントラル・パークの東と西」の地図を参照

私がニューヨークに行った1973年には携帯電話はありませんでした。
ニューヨーク初観光はトレードセンターでした。
このとき、最初に教わったのは公衆電話のかけ方でした。
電話がかけられれば迷子になっても連絡がとれます。
当時の電話代は10セントで、10セント硬貨(ダイム)を持っていくように言われました。
今は携帯電話が普及しているので公衆電話を探すのも大変だと思います。
就活中のスーパーマンは仕事が見つかったのかな?

1959、またも世界が驚く

2013年07月27日 | Weblog
22日朝、JR南浦和駅で電車とホームの間20cmの隙間に30歳代の女性が挟まれました。
女性を救出するため、乗客や駅員ら約40人が協力して30トンを超える車両を押し、隙間を広げて女性を救出しました。
このニュースはアメリカ、イギリス、イタリア、ロシア、韓国、中国、香港、タイなど、多くの国で報道されました。
日本人の連帯意識、絆、協力精神などに世界が驚いています。
震災直後の日本人にも世界が驚嘆しました。


米CNNテレビはキャスターが「日本から素晴らしいニュースです」と前置きし、40人が協力して車両を押す写真と共に「生死に関わる状況で、駅員と乗客が冷静に協力した」と称賛。「おそらく、日本だけで起こりうること」として、電車が約8分後に通常運転を再開したことも合わせて伝えました。

1958、次世代有人宇宙船

2013年07月26日 | Weblog
2011年のシャトル引退後、米国はISSに行く手段を持っていません。
ロシアの宇宙船「ソユーズ」に頼っていますが、いつまでもこのままでいるわけにはいきません。
米航空宇宙局は、米国独自の輸送手段を取り戻すため、ボーイングの「CST100」と新興宇宙企業スペースXの「ドラゴン」、宇宙機器メーカー・シエラネバダの「ドリームチェイサー」の三つの有人宇宙船の研究開発費を援助し、次世代有人宇宙船の開発を急いでいます。
アメリカの威信をかけて早く完成したいところですが、いつ完成するかは不透明です。

日本人初のコマンダーとして2013年末頃からISSに行き、約6ヶ月間滞在期間中の指揮をとることになる若田光一宇宙飛行士も「ソユーズ」で行きます。
若田さんにとって4度目の宇宙滞在になりますが過去3回はスペース・シャトルで行きました。
歌姫サラ・ブライトマンさんも「ソユーズ」で行きます。
アメリカの威信はどうなったのか?
シャトルが引退する前に次世代有人宇宙船を開発しておくべきだった。

1957、それでも辞めない

2013年07月25日 | Weblog
辞めるけど続ける」と言って、なかなか辞めない全柔連の上村会長に辞任勧告です。
内閣府の公益認定等委員会は23日、公益財団法人・全日本柔道連盟の上村会長を呼び、8月末までに責任の所在を明らかにし、適切な措置を講じて体制を再構築するよう求める勧告書を手渡しました。
事実上の辞任勧告です。
これに対し会長は辞任より「改革、改善を優先させる」考えを示しました。
自浄能力が無く「改革、改善」ができないから、内閣府が安倍首相名義の勧告書を手渡したのに。
それでも辞めないようです。
「全柔連」よ、どこへ行く。

上村全柔連会長(右)に勧告書を手渡す稲田行政改革相(左)
早くスッキリしないとオリンピック種目から外されるかも?
最も、現在のオリンピック種目は「柔道」ではなく「Judo」ですが。

参院選で大敗した民主党も混乱しています。
細野幹事長は海江田代に辞表が提出し、受理されました。
党の方針に反して無所属候補を支援した菅直人元首相に海江田代表は自発的な離党を提言しましたが、「離党する考えはない」ようです。
党の方針に従わなくても離党しません。

1956、ロイヤルベビー誕生

2013年07月24日 | Weblog
英国中がロイヤルベビー誕生に沸いています。
英王室は、ウィリアム王子の妻、キャサリン妃が第1子となる男児を出産したと発表しました。
現地時間の7月22日午後4:24、ロンドンのパディントンにあるセント・メアリー病院で生まれ、体重は約3800グラムです。
王位継承順位はチャールズ皇太子、ウィリアム王子に続き3位となります。

バッキンガム宮殿の前庭には多くの人々が集まって祝福しました。


誕生の翌日午後7:13、ロイヤルベビーお披露目。病院前
この後、ウイリアム王子自らが運転する車で病院を後にしました。
王室ではこれまで、子どもの世話をベビーシッターや家庭教師に任せてきましたが、ウィリアム王子とキャサリン妃は、極力育児に参加したいと考えているようです。

1140、20億人が見守る」を参照
ロイヤルベビーも世界中が見守りました。

1955、墓石建つ

2013年07月23日 | Weblog
昨年2月に突然亡くなった歌手のホイットニー・ヒューストンさんの墓石が1年以上たって建てられました。
墓石は涙型で、彼女の最大のヒット曲の歌詞「アイ・ウィル・オールウェイズ・ラブ・ユー」という追悼の言葉が刻まれました。
亡くなった直後はフィーバーが続き、墓にファンが殺到するので一時閉鎖されていました。
ニュージャージー州、ウェストフィールドにあるフェアビュー墓地で、父親の隣で静かに眠ります。

1954、予想通り

2013年07月22日 | Weblog
21日、第23回参院選の投開票が行われ、予想通り与党が圧勝し衆参の「ねじれ」が解消されました。
昨夜は1時過ぎまで各局テレビの開票速報を見ていました。
各党の党首や幹事長がコメントしていましたが、自民党の石破幹事長を見た途端「あ、アンパンマンだ!」と、思わず叫んでしまいました。(家内と一緒に見ていた)
応援演説で各地を回っていたそうです。


こんがり焼けた顔は丸く、左右のほおも丸く膨らんでいました。
いつもは目じりが吊り上って人相が悪い石破氏(失礼)ですが、昨夜は目じりが下がってにこにこでした。
自民党大勝を象徴しています。