ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

36、1500本安打おめでとう

2007年07月30日 | Weblog
イチロー選手が大リーグ通算1500本安打を達成しました。
日本プロ野球で1278本、アメリカで1500本。
合計で2778本+1=2779本(2007年7月30日現在)
現在33歳のイチローが生涯安打数を何本にするのか楽しみです。
40歳まで現役としてあと7年×200本=1400
2779+1400=4179本
4000本まで届くか、またピート・ローズの史上最多安打、通算4256本にどこまで近づけるか興味は尽きません。
ピート・ローズは私がアメリカにいた頃シンシナティ・レッズで活躍していた名選手です。
ハッスルプレイが印象的でサードにヘッドスライディングする姿を今でも覚えています。
しかし、1989年に野球賭博に関わったため、永久追放処分を受け、今も球界には関われないままです。
彼の球界復帰を望む声は後を絶ちません。

サードへヘッドスライディングするローズ選手


去年の12月にシアトルに行ったときセイフィコ・フィールドのゲート前で撮ったものです。
イチロー選手の写真が大きく飾られていて、まさにマリナーズの看板です。
前夜のストームの名残で黒い雲がたちこめていました。
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35、ニューヨークでテニス

2007年07月25日 | Weblog
34、ニューヨークの夏」で書いたように、ニューヨークで何かやろうとするといろんなことができます。
ゴルフをやろうとすれば、ゴルフ場はたくさんあり手頃な値段で楽しむことができます。
また、ゴルフのトーナメントもよく行われているので一流のプレイを見ることができます。
この10年間でUSオープンが3回ニューヨーク州で行われました。
1980年に青木功がジャック・ニクラウスと死闘を演じ、準優勝したバルタスロール・ゴルフクラブは隣の州ニュージャージー州にあります。
ここを訪ねたことがありますがニューヨークから1時間くらいでした。

北へ1時間も走ればスキー場もたくさんあります。
1932、80年に開催された冬季オリンピックの開催地レークプラシッドはニューヨーク州北部の町です。
野球、フットボール、バスケットボールなどのスポーツ。
美術はメトロポリタン美術館、グッゲンハイム美術館、MOMA(近代美術館)、・・・。
音楽はメトロポリタンオペラ、カーネギーホール、エブリフィシャーホール、・・・。
それぞれの分野で超一流に触れることができます。

私はいろんな経験をしましたが一番熱心に行ったのはテニスでした。
テニスの経験はありませんでしたが、ボルグが5連覇を達成した1980年のウインブルドンでのボルグとマッケンローの戦いをテレビで見てテニスに興味を持ちました。
さっそく、その年のUSオープンを見に行きました。
それから帰国する前年の1992年まで13年間毎年見に行きました。

USオープンを見て、自分でもやりたいと思いテニスを始めました。
ニューヨークのちょっとした公園にはテニスコートがあり、年会費を払えば自由に利用できます。
年会費はその当時35ドルくらいだったと思います。
この市営のテニスコートはニューヨークの5つのボロー(区)にたくさんあります。
私はクイーンズでよくプレイしましたがブルックリンにも友人がいてブルックリンでもやりました。
セントラルパークの中にも市営のコートがあります。
USオープンが開かれるUSTAテニスセンターでもプレイできます。
もちろん、センターコートではできませんが、周りにはコートが30以上あります。

また、クイーンズ・カレッジでもよくテニスをしました。
ここも会員制で、やはり35ドルくらいだったと思います。
アメリカの大学は一般の人にも施設を開放したり、カルチャー・クラスを開いたりしています。
英語のクラスもあっていろんな国の人が勉強していました。

このクイーンズ・カレッジはサイモン&ガーファンクルのポール・サイモンが卒業した
大学です。
二人はクイーンズ区のフォレスト・ヒルズに住んでいた幼なじみです。
小学校、中学校、高校まで一緒で、ポールはクイーンズ・カレッジにアート・ガーファンクルはコロンビア大学に行きました。

フォレスト・ヒルズにはいろんな国の人が住んでいて国際色豊かです。
頭にお皿のような帽子をかぶり、髭を生やしたトラディショナルなユダヤ人も多く住んでいます。(屋根の上のバイオリン弾き・Fiddler on the Roofのお父さんテヴィエのような人)
サイモンとガーファンクルもユダヤ系アメリカ人です。

マンハッタンから東へ10キロくらいのところにあり、静かな住宅街です。
日本人も多く住んでいましたが70年代後半から韓国人や中国人が多く住むようになって日本人は郊外へと移っていきました。(今でも多く住んでいます。)
私も住んだことがあります。
マンハッタンに近いし、サブウエイも通っていて便利です。
日本人学校もここにあり(ニューヨーク周辺には何ヶ所かある)、土曜日には日本人の子供が集まってきます。
秋には運動会も行われ日本人の交流の場になります。

写真は1987年のUSオープン(ナイターのセンターコート)
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34、ニューヨークの夏

2007年07月21日 | Weblog
ニューヨークの夏は温度が30度を超える日が続きますが、日本のような蒸し暑さはあまりありません。
日陰に入ると爽やかさを感じます。
セントラルパークに行くと日光浴をする人、ジョギングをする人、昼寝をする人などさまざまな形で夏を楽しみます。

ニューヨークはアメリカ大陸の東に端あり、大西洋に面しています。
私が住んでいたロングアイランドはその名の通り東西に細長い島で、海水浴場やヨットハーバーなど海のレジャーには事欠きません。

北の方へ40分も車で走れば山もあります。
ベアー・マウンティンではキャンプやフィッシングなども楽しむことができます。
ここは春夏秋冬いつでも楽しめるリゾートです。
Bear Mountain Innのクリスマス・フェスティバルは有名です。

ハドソン川の河風に涼をとりながら切り立った岩肌を眺め、ゆったりとした船旅も良いでしょう。
1時間ほどするとウエスト・ポイント(陸軍士官学校)が見えてきます。
ハドソン川流域には観光スポットがたくさんあり、アメリカの田舎町とも言う原風景が広がってイます。
この川沿いの地域をハドソン・バレー(Hudson Valley)といいます。

ゴルフ場もたくさんあり手ごろな値段で楽しむことができます。
もちろん、大リーグ観戦は欠かせません。
ナイターを見ながら右手にホットドッグ、左手にビールを持って熱くなるのも良いでしょう。

*ニューヨークでは華氏100度を超えることはまずありませんが、南部の砂漠地帯では時々あります。
テキサスに住んでいた友人から今日は100度(degree)を超えて暑かったという電話がかかってきたこともあります。
日本人には華氏もぴんときません。
30、のマグロ釣り」では重さ(パウンド)をキロに換算する方法を書きましたが、
今回は華氏から摂氏への換算方法を書いてみます。

華氏の32度が摂氏0度になります。
華氏から摂氏に換算するには華氏温度から32を引いて2で割ります。
例えば、華氏100度は100-32=68 68÷2=34℃です。
    華氏70度は70-32=38 38÷2=19℃です。
ニューヨークの冬は華氏でマイナスになることもあります。
    華氏32度以下はマイナスになります。
    華氏20度は32-20=12 12÷2=6 マイナス6℃です
華氏0度は32÷2=16 マイナス16℃です
    華氏0度以下は32にマイナスの温度を足して2で割ります。
    華氏マイナス4度は32+4=36 36÷2=18 マイナス18℃です。
この方法はとっさの時の換算方法で正確ではありませんが、大体の目安になります。
1.8で割るとより正確ですが暗算で計算すときは2で割って2~3度足します。 
華氏32度から遠ざかるほど誤差が拡大します。
華氏100度は100-32=68 68÷1.8=37.77778度で約38度です。
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33、プリマス植民地

2007年07月14日 | Weblog
プリマスプランテーション(Plymouth Plantation)1620年にイギリスからメイフラワー号に乗ってきたピリグリム・ファーザーズによって開かれた開拓村です
開拓時代の生活を再現していて、12戸の入植者の家、先住民のキャンプ跡、物々交換の場となった砦の集会所などが再現されています。
当時の衣装をつけた人が開拓時代の生活を再現して見せてくれるので、その当時にタイムスリップした気分になります。
彼らはこの地で自給自足の生活をしていました。
プリマス植民地はアメリカ合衆国の出発の地です。
以後続々と建設された植民地の先がけとなり、1776年の独立へと続いていきます。
神を敬い、人々を愛する良心を重んじるアメリカの精神的ふるさとです。

日本人は神という概念がありませんが、アメリカ人に「神を信じますか?」という質問は成り立ちません。
神(GOD)は彼らの生活の一部になっています。
それはキリスト教の神です。
しかし、最近はいろんな人種の人が住むようになってきたので多様化されてきているようです。
私がアメリカに行った1973年ごろは日曜日にはほとんどの商店は休みでした。
日曜日は仕事を休んで教会に行のが当然のことと考えられていたのです。
しかし、80年代に入ると日曜日も開いている店が多くなり、その後日曜日に閉まっている店は無くなりました。
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32、メイフラワー2世号

2007年07月14日 | Weblog
ボストンから車で1時間ほど南に行ったところにある、小さな町プリマスに係留されています。
現在係留されているものは当時のものではなくメイフラワー号を模して復元された三本マストの帆船で、メイフラワー2世号と呼ばれています。
1957年にイギリスで建造され53日かけて実際に大西洋を航海して来ました。
181トンで、長さ35m、幅8mあまりで、船内にはピルグリム・ファーザーズが航海した当時の船内での生活が再現されています。

メイフラワー号( the Mayflower)は、ピルグリム・ファーザーズ(巡礼始祖たち)が1620年イギリス南西部のプリマスから、新天地アメリカに渡ったときの船の名前です。
11月19日にケープコッド、12月21日にプリマス沿岸に到達しました。
イギリスからアメリカに向けて大西洋を航海してくると位置的にケープコッドを通過してプリマスに到達することになります。

メイフラワー号はイギリスからアメリカまでの大西洋4,400kmを66日間かけて横断しました。
天候のせいか、または操縦が未熟だったせいか、イギリスのプリマス港をでてからアメリカ大陸のケープコッドをみるまでに64日かかり、予定よりも大幅に到着が遅れました。
ちなみにコロンブスは、スペインから46日で新大陸に着いています。
最初の冬に食料不足と病気で、半数以上が亡くなるという不運にみまわれましたが、先住民の助けにより、また不屈の努力でニューイングランド最初のプリマス植民地を築き、歴史に不滅の名を残しました。
当初はボストンよりも約1000キロも南の温暖なバージニア地方を目指してやって来ましたが、嵐のために北に流され、寒いプリマスに上陸したそうです。
翌1621年の秋、初めての収穫が行われ神の恵みに感謝しご馳走をいただいたことが感謝祭の始まりであるとされています。

メイフラワー2世号の近くにはピルグリム・ファーザーズが上陸第一歩をしるしたと言われる大きな石プリマス・ロック(Plymouth Rock)があり、1620と刻まれています。
アメリカでは神聖な“国家の礎石”と呼ばれています。
近くにはプリマス植民地があり当時の生活を再現しています。

写真はメイフラワー2世号とプリマス・ロック
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31、マグロの空輸

2007年07月11日 | Weblog
アメリカ人がスポーツフィッシングで釣ってきたマグロはほとんどが利用されずに捨てられていました。
彼らはマグロを釣る醍醐味に魅せられて夏の贅沢な遊びを楽しんでいたのです。
夏のレジャーシーズンにボストン沖にマグロがやってくるのも不思議です。

これを見て、日本に送ったら喜ばれるのではないかと思い空輸作戦を開始しました。
冷凍しないで生で送るにはどうしたら良いか試行錯誤し、思いついたのが丈夫な木箱を作って送る方法です。(昔のリンゴ箱を大きくしたような形)
長さ150センチ、横70センチ、高さ70センチ(正確な大きさは忘れてしまいましたが)の箱の中に大きくて丈夫なビニールを広げ、製氷機で作った3センチくらいの氷を10センチほど敷き詰めます。
その上に頭と尻尾を切り取ったマグロを入れ、横や上にも氷をぎっしり詰めます。
後はビニールで包み木箱のふたを釘で打って閉めます。
(氷とマグロを一緒にビニールで包んで箱に入れる感じですが、現在はこんな原始的な方法は使ってないと思います。)
これを空港まで運び日本に送ります。
(フライングタイガーという会社をよく使いました。この会社は朝鮮戦争やベトナム戦争で物資を運んで大きくなった貨物専門の飛行機会社です。)
飛行場までの時間と飛行機が飛び立つまでの時間氷が持てばOKです。
高度10000メートルは気温がマイナス20~30度なので貨物室は冷凍庫状態です。
日本まで約13時間、冷凍庫の中で表面の皮だけが凍って中の肉は生のままです。
成田から築地に着く頃には凍った表面も自然解凍されせりにかけられます。
日本ではバブルに入ろうとしていた時期で高級マグロが評判になりました。
そうなると大手の漁業会社や商社がこぞってボストンにマグロの買い付けに来て、浜値が一気に高騰しました。
最初は1パウンド25セントくらいで買い付けていたのが1パウンド10ドル以上にまで跳ね上がってしまいました。

また、マグロをニューヨークの日本レストランに卸して販売するとアメリカ人もその美味しさに気付き、刺身や寿司が食べられるようになっていきました。
生で魚を食べることに抵抗感が無くなっていったようです。

写真はマグロを日本に送る準備をしているところで、後ろで見ているのが私です。

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30、マグロ釣り

2007年07月10日 | Weblog
 7月から9月上旬にかけてボストン沖に巨大なマグロが回遊してきます。
最近日本ででも話題になっている黒マグロ(本マグロ)です。
自然保護を目的に黒マグロの捕獲が制限されようとしています。
マグロの王様、黒マグロがもう食べられないのではないかと心配されています。

朝暗いうちにマグロ釣りのボート(漁船ではなくレジャーボート)がその日、大物に当たることを期待しながら、出発して行きます。
釣り船は「29、ケープコッド」で紹介したプロビンスタウンやボストン郊外の港町グロースターから出港します。
潮の流れや風向きなどを考えながら、また自分の好みの場所を確保するため競争です。
マグロも朝食を食べるのか?明け方によく釣れます。
イカ、タラ、かつおなどのチャム(撒餌)を撒きながらおびき寄せます。
運良く(マグロにとっては不運)かかると、戦いが始まります。
マグロは必死に逃れようとし、釣手は必死に捕らえようとします。
長いときは3時間も4時間もかけて両者が戦い、弱ったところを釣り上げます。
勿論、糸を切られ逃げられることもあります。
中には1000パウンド(500キロ)を超える大物がかかることもあります。
 *正確には1パウンド0. 4536kgなので1000パウンドは453.6㎏です。
  アメリカで生活していて一番ややこしいのが単位です。
  重さはパウンド、長さはインチ、ヤード、マイル、温度は華氏を使いぴんと来ません。
  とっさのときに頭の中でキログラムやセンチ、摂氏に換算します。
  パウンドからキログラムに直すには半分で計算しておおよその重さを割り出します。
  例えば、体重が100パウンドといえば50キロ弱だなと計算します。

釣ったマグロを量り自慢します。
1970年代中頃までは、釣りそのものを楽しんでいましたが、70年代後半からは日本で高値で売れることが分かり、ビジネスとして釣りに行く人も増えていきました。
私が計量したマグロで最大の大物は1200パウンドを超えていました。
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29、ケープコッド

2007年07月05日 | Weblog
ケープコッドはボストン沖の大西洋に突き出た釣り針のような形をした半島です。
白い砂のビーチ、丘の上の灯台、美しい海岸線、ニューイングランドスタイルの街並みはとても美しい岬です。
ボストンから車で2時間半くらいですが、途中の小さな町や道路の左右に広がる白い砂浜を見学しながらゆっくりドライブするのもよいでしょう。
ボストンからケープコッドに行く途中にメイフラワー号で有名なプリマスがあります。

ケープコッド最先端にあるプロビンスタウンは有名なリゾート地で芸術家が多い町です。
ボストンから飛行機(私がよく行った25年ほど前はプロペラ機でした)で30分位です。
町の中心にある商店街は海辺の町特有のお土産屋、レストラン、ブティック、画廊などが並んでいて、小高い丘の上にはピルグリム・メモリアル・モニュメントが建っています。
これは、メイフラワー号にのってこの地に足をおろしたピルグリムたちを記念して作られたもので、最上階に上るとプロビンスタウンを一望できます。
博物館になっていて、ケープコッド全体の歴史を伝えています
イギリスからメイフラワー号が到来し最初に入植したのがここ、ケープコッドです。
ケープコッドのケープは岬、コッドは魚の「タラ」のことで、直訳すると鱈岬で、その名のようにタラが多く獲れます。

18世紀には捕鯨基地として栄えたところで、今でもその鯨を見ようとたくさんの観光客が訪れ、ホエールウオッチングが盛んです。

ケープコッドに行ったらロブスターを食べずには帰れません。
ロブスターは丸ごとゆでたものにバターを溶かしたソースやタルタルソースをつけて食べますが、私はもっぱら酢ジョーユをつけて食べていました。
さらに、クラムチャウダーも見逃せません。
クラムチャウダーにはニューイングランド・クラムチャウダーとマンハッタン・クラムチャウダーが有名です。
ニューイングランド・クラムチャウダーはクリーム味、マンハッタン・クラムチャウダーはトマト味です。
また、タラなどの白身魚のフライとポテトフライが一緒になったフィッシュ&チップスもよく食べました。

プロビンスタウンは漁業の町でもあります。
その名の通りタラを始めとしていろんな魚が獲れます。
最近日本で話題になっている本マグロ(黒マグロ)の漁場としても有名です。
そこは金持ちのアメリカ人の遊び場で、スポーツフィッシングが盛んです。
何十万ドルもする豪華なボートでマグロの1本釣りに挑戦します。
1000パウンド(500キロ)を越える大物が釣れることもあります。
この大物がかかると3時間も4時間もかけて戦います。
相手が弱ったところを釣り上げますが、糸を切られて逃げられることもしばしばあります。
彼らはこの戦いを楽しむためにフィッシングに出るので、釣ったマグロは食べずに捨てていました。
ある時このマグロを料理して刺身として彼らに出したら9割のアメリカ人が「ウエー」と言って食べられませんでした。
彼らには生の魚を食べるという習慣が無かったのです。
今、アメリカで寿司や刺身がブームになっているのが不思議な感じです。
マグロや寿司についてはまたいろいろ書いてみます。

私の知り合いにフィッシングボートを持っている人がいました。
毎夏プロビンスタウンに家を借りてフィッシングをしていたので、私も毎夏行きました。
マグロがボストン沖に回遊して来るのは7月から9月初旬までの2ヶ月余りで、その後は地中海に行くのではないかといわれていました。
当時はその生態は良く分かりませんでしたが今では大分解明されてきたようです。
1970年代中ごろまでは規制はほとんどありませんでしたが、70年代後半になると資源保護が厳しくなり、1つのボートで1日にマグロ1本と規制されるようになりました。
タラ、イカ、マッカローなどを撒き餌にしてマグロをおびき寄せます。
朝4時ごろ暗いうちに出航し一日中待っても釣れない日も多くあります。
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28、独立記念日

2007年07月04日 | Weblog
今日7月4日はアメリカの独立記念日です。
アメリカ独立記念日( Independence Day)は、1776年にアメリカ独立宣言が公布されたことを記念して毎年7月4日に定められているアメリカ合衆国の祝日です。
アメリカでは単に「7月4日」(4th of July 又はJuly 4th )と言うのが一般的です。
ちなみに1776年7月4日はフィラデルフィアで独立宣言に署名された日で、正式にイギリスから独立が認められたのは7年後の1783年です。

独立記念日には各地でパレードが盛大に行われます。
ニューヨークでは5番街(5th Ave)でパレードが行われ、多くのマーチンググバンドや行進する人々でにぎわいます。
5th Aveでは年間何十回もいろんなパレードが行われますが独立記念日のパレードが最大のものです。
人々はアメリカの国旗を手に持って行進し、国旗をあしらった服を着たりズボンをはいたりしてはいて祝う人もいます。
家の玄関に国旗を掲げ、アメリカ中が星条旗で溢れます。

また独立記念日の花火は1777年以来の伝統で、全米の都市で盛大に行われます。
ニューヨークではイーストリバーの船上で花火が打ち上げられ、多くの人でごった返します。
この日はイースト・リバーだけでなく、ジョーンズ・ビーチなど多くの場所で花火が打ち上げられ、家庭でも花火を楽しみます。

また、首都ワシントンD.C.でも、マーチングバンドや、軍関係者が参加する「ナショナル・インディペンデンス・デイ・パレード」が開催されます。

アメリカで初めて独立記念日が祝われたのもやはりフィラデルフィアで、独立宣言書が発布された翌年の1777年のことでした。
一般的になったのは1800年代になってからです。
特に独立100年祭で大きく盛り上がり、パレードや花火が行われることになりました。

1976年の独立記念日は特別のものでした。
この年は1776年の独立宣言からちょうど200年目の記念の年でした。
バイセンテニアル「Bicentennial 」の年で、全米でいろんな催し物が行われました。
この年は7月4日だけでなく1年中お祭り気分でした。
Centennialとは百年祭のことでCentury(世紀)からきているようです。
Centennialにbiが付いてBicentennialになると200年祭になります。
この年私はいろんなところを尋ね、Bicentennialを体験しました。
独立が宣言されたフィラデルフィアの独立記念館や自由の鐘を見学しました。
近郊には Valley Forge がある合衆国建国ゆかりの地です。
またワシントンDCに行ってワシントンモニュメントに昇ったり、パレードに参加しました。
私は学生時代にブラスバンド部に入っていたので、こういうチャンスは二度と無いと思い、あるマーチングバンドに入れてもらいパレードでラッパを吹きました。
今年も盛大に記念行事が行われることでしょう。

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27、永住権と市民権

2007年07月02日 | Weblog
永住権を手に入れてから5年経つと(アメリカ人と結婚した場合は3年)、アメリカ市民になれるチャンスが与えられます。
その間30ヶ月以上米国に居住していれば得られます。
市民権を申請するかどうかは全く自由です。
申請から市民権取得までの手順は、
市民権申請→帰化テスト→最終審査
帰化テストは、日常会話程度の英語力と米国人としての常識が問われます。
アメリカの歴史や政治についての簡単な質問があります。

テストを受け最終審査をパスするとアメリカの市民権を獲得することができます。
そうなると完全にアメリカ人になり、日本の国籍を失います。
選挙権や被選挙権が与えられ、投票したり立候補することもできます。
(大統領はアメリカ生まれでないとなれません。)
さまざまな権利が与えられると同時に義務も生じてきます。
現在はありませんが、徴兵制が復活すれば徴兵されることもあります。

グリーンカード保持者は「26、グリーンカード・その2」で記した様にアメリカ人と殆ど同じ権利が与えられる為、
実際にはアメリカの国籍を取らず、自分の国に籍を残しながらグリーンカードを保持している人が多いようです。
私の場合もいずれは日本に帰ろうと思っていたのでアメリカの市民権を取得しようとは思いませんでした。
アメリカ人と結婚した人は市民権を取得します。そうしないと夫婦で国籍が違ってしまいます。
私の知り合いも日本人同士で結婚した人は日本国籍を保持している人が多く(アメリカ国籍を取得した日本人夫婦もいる)、
アメリカ人と結婚した人はアメリカの市民権を取得しています。

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