ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

988、年末商戦

2010年11月30日 | Weblog
25日の「Macy's Thanksgiving Day Parade」が行われた翌日26日早朝、ニューヨークのメイシーズ前に長蛇の列ができ、午前4時開店と同時に大勢の客がセール商品に群がりました。(去年より1時間早い)
第4木曜日の「感謝祭」翌日の金曜日で、ブラックフライデーと呼ばれています。
年末商戦のスタートで、1年で最も小売店がにぎわう日です。
この日から本格的にクリスマスシーズンへ突入して年末商戦が始まり、各店舗で盛大なセールが実施されます。
祝日である木曜日の感謝祭と土日に挟まれたブラックフライデーは休日のところが多く、4連休になります。

この日から年末にかけての1ヶ月間で、アメリカの小売業界は年間の3分の1を売り上げるといわれていて、客も店も気合が入ります。
米経済は依然として低迷していますが、2008年秋の金融危機後の過去2年に比べ、売り上げが増えると見込まれ、消費回復への期待が高まっています。
リーマン・ショック後の2年間消費を控えてきた人々の我慢の反動で、消費者の財布の紐が緩むと見られています。
その一方で、大量消費に慣れたアメリカ人もこの2年間で、「必要な物だけ買う」という堅実消費が定着し、大幅回復は見込めないとの慎重な見方も少なくありません。
はたしてどちらの予想が当たるか?
出足は好調のようです。
2008年のブラックフライデー「256、消費者の財布のひも固し
2009年のブラックフライデー「634、クリスマス商戦

ここ数年の傾向として、インターネットでバーゲン商品を探す消費者が増加しています。
ネットでの今年の売り上げは9~16%増えるとみられ、店舗の2.3%の予想伸び率を上回っています。
ネットでの買い物は混雑した店舗に出かけて押し合いへし合いをせずに済み、商品によってはネットの方が値引率が大きいものもあります。
さらに、ネットでの買い物は特定の日にあわてて買わなくても、バーゲン商品をじっくり選ぶことができます。

上の写真はシアトルのベルビュー(娘の住んでいる町)にあるBellevue Square(モール)内のメイシーズで、全米に400以上の店舗を展開しています。

987、龍の魂

2010年11月29日 | Weblog
大河ドラマ「龍馬伝」は昨夜の「龍の魂」で最終回を迎えました。
慶応三年11月15日夜、龍馬は京都河原町の「近江屋」で中岡慎太郎と共に暗殺されました。
「龍馬を暗殺したのは誰か?」というテーマは幕末最大の謎です。
見回組、新撰組、紀州藩、薩摩藩、・・・・。

見回組説:一般的には見回組説が最も有力です。
見回組は京都の治安を守るため幕府が創設した組織で、薩長同盟を成立させた龍馬を危険人物としてマークしていました。
明治3年(1870年)に箱館戦争で降伏し捕虜になった元見廻組の今井信郎が取り調べ中に、隊長佐々木只三郎とその部下6人(今井を含む)が坂本龍馬を殺害したと供述しました。
現在はこれが定説になっています。
新撰組説:新撰組がよく出入りした先斗町の瓢亭(ひさごてい)という料亭の下駄と、新撰組十番隊長原田左之助の鞘が残っていたと言われていますが、どうも偽装っぽい。
命がけの暗殺現場に料亭の下駄を履いていくとは思えない。
刺客が龍馬を襲ったとき、「こなくそ」と叫んだといわれていますが、これは伊予の方言で、伊予出身の原田が疑われる一因にもなっています。
紀州藩説:龍馬暗殺の7ヶ月前、海援隊の「いろは丸」と紀州藩船が衝突し、多額の賠償金を支払わされ紀州藩は竜馬に恨みを持っていました。
薩摩藩説:徳川幕府を武力で倒そうとしていた薩摩藩にとって龍馬の「大政奉還」と、その後の新政権構想はじゃまになった。
後藤象次郎説:後藤は龍馬と共に大政奉還を成し遂げるが、手柄を独り占めしようとした。

その他、幾多の犯人説があります。
はては龍馬の盟友で一緒に暗殺された中岡慎太郎説まであり、まさに謎(ミステリー)です。
中岡は襲撃後二日間生存していますが刺客については、はっきりしたことは語っていません。
昨夜の「龍の魂」でも暗殺者は特定していませんでした。(みんなが怪しいという感じでした)

986、福島二冠

2010年11月28日 | Weblog
広州アジア大会が終了しました。
金メダルは開催国の中国が199個で1位、2位は韓国で76個、日本は前回ドーハ大会の50個に届かず48個でした。(目標は60個)
今大会で私が最も注目していたのは、女子陸上競技の福島選手です。
その福島選手は100m、200mで優勝し、短距離2冠を達成しました。
これは日本人史上初の偉業です。あっぱれ!
マラソンでは日本の選手も世界と対等に戦って来ましたが、短距離は世界との差が大きく互角に戦える選手はなかなか現れませんでした。
日本人選手はスタートダッシュでトップに立っても、中盤で追いつかれ最後は大差をつけられてしまいました。
福島選手はスタート直後の低い姿勢から中盤に加速し、最後までスピードが落ちることがありません。
現在22歳、これからの活躍が楽しみで、2年後のロンドン・オリンピックでは夢のファイナリストを期待。
写真は100メートル決勝で優勝テープを切る福島選手。
二冠の難しさは「173、記録はどこまで伸びるか?」を参照

さらに、
男子やり投げで村上幸史選手が83メートル15の自己新記録をマークして金メダル。
女子やり投げでは海老原有希選手が61メートル56の日本新で金メダル。
体力的に劣る日本人選手が、世界との差を痛感してきたのが投てき種目です。
最近はハンマー投げの室伏選手がアテネオリンピックで金メダルを獲得するなど、投てき種目での活躍が目立ちます。
524、メダル2個」を参照

985、シアトルは雪

2010年11月27日 | Weblog
984、パレードのコース」で、25日はみぞれ交じりのサンクスギビングズデイ・パレードだった、と書きました。
数日前、娘からメールが来ましたが、シアトルは寒波で雪が降ったそうです。
シアトルは西海岸に位置し温暖なイメージがありますが、けっこう雪も降り寒いところです。
緯度は高くカナダとの国境に面しているので、寒いのは当然かもしれません。
写真は娘のアパート前で、ホワイト・クリスマスのようです。(クリスマスには1ヶ月もありますが。)
4年前の12月にシアトルに行ったときはストームで、風邪をこじらせてしまいました。
3、根こそぎ」を参照

984、パレードのコース

2010年11月26日 | Weblog
11月の第4木曜日は感謝祭(Thanksgiving Day)で、今年は25日です。
この日は日本のお正月のようなもので家族が集まり、パンプキンパイや七面鳥を焼いてお祝いします。
ニューヨークでは「セント・パトリックス・デイ」や「独立記念日」など、多くのパレードが行われますが、最も華やかで盛大なものは感謝祭の日に行われる「Macy's Thanksgiving Day Parade」です。
私は何回も見に行きましたが、パレードの雰囲気は言葉では言い表せません。
You Tubeに多くの動画が投稿されているので、雰囲気を味わってください。
去年(2009年)のパレード
朝9時から始まり12時まで、3時間続きます。(日本時間:25日夜10時から)
最近はピカチューやキティちゃんなどの日本のキャラクターが人気あります。
多くのキャラクター、山車、マーチング・バンドなどと共に毎年有名スターも参加し、終点のメイシーズ前では歌やダンスなどのショーが行われます。

アメリカ自然史博物館のすぐ下、77thストリート(Central Park West)を出発します。
私が見に行っていた頃はセントラルパーク・ウエストを南下し、コロンバス・サークルからブロードウエイを通ってヘラルド・スクエアが終点でした。
今年からコースが変わり、34Stと7Aveが終点になったそうです。(上の図を参照)
今年(2010年11月25日)は、みぞれ交じりの中でのパレードでした。
パレードの最後はトナカイが引く山車のソリに乗ったサンタが締めくくり、翌日の金曜日からクリスマスシーズンに入ります。
Macy’sのオフィシャルサイトではパレードの歴史も見ることができます。

983、速度制限とトラック

2010年11月25日 | Weblog
729、30MPH」で高速道路の制限速度は60マイルが多い、と書きました。
1-90のスピード・リミットは70MPHで、トラックは60MPHです。
日本では普通車とトラックの制限速度が違う高速道路はあまり見ません。
ニューヨークにはパークウエイと呼ばれる道路が多くあります。
マンハッタンの西、ハドソン川沿いを走る「ヘンリー・ハドソン・パークウェイ」は北のウエストチェスターへと続きますが、トラックは走行できません。
マンハッタンの東を走るFDRもトラックは走行禁止です。

31、マグロの空輸」でマグロをニューヨークの日本レストランに卸して販売した、と書きましたが、ボストン沖で獲れたマグロをトラックでマンハッタンのダウンタウンにある倉庫に運びました。
このときI-95を南下し、途中で高速の87号線に入ってマンハッタンに向かいます。
ダウンタウンに行くとき普通車の場合、西のハドソン・パークウェイか、東のFDRを利用します。
トラックの場合はThird Ave Bridgeを渡って2Aveを南下し、ダウンタウンにあるフルトンマーケット近くの倉庫に向かいました。

982、チャイルド・シート

2010年11月24日 | Weblog
京都は今、紅葉が見ごろを迎えています。
今夏の猛暑で今年は美しく、色鮮やかに紅葉しているようです。
11月も後半に入り、ニューヨークは晩秋です。
郊外の住宅街の紅葉は散り始め、冬が近いことを感じさせます。
上の写真は住宅街の紅葉で、道路標識に「SPEED LIMIT 25 」とあります。
25は制限速度25マイルで、時速約40キロです。(1マイル=約1.61キロ)
住宅街の制限速度は25~30マイルのところが多くなっています。

交通違反の取締りは日本よりも厳しく、私も違反チケットを何回か切られました。
駐車違反のチケットは数え切れないほどもらいました。
726、パーキング・メーター」を参照
一番違うのは子供を乗せるときです。
日本でも最近はチャイルド・シートが義務付けられていますが、時々走る車の中で子供が立っているのを見ます。
ニューヨークでそんなことをしたら、すぐに違反切符をもらってしまいます。
私の知り合いの女性は子供をチャイルド・シートに乗せていなかったので、ポリスカーに停められ、COURT(裁判所)に呼び出されたことがありました。

981、47年目の11月22日

2010年11月23日 | Weblog
1963年11月22日にテキサス州ダラスでケネディ大統領が暗殺されてから47年が経ちましたが、未だにその暗殺は謎に包まれています。
昨日(22日)はテレビで47年前の映像を流すなど、特集を組んだ番組もありましたが、特に新しい発見はありませんでした。
ダラスの暗殺現場はアメリカに行って一番行きたかったところです。
623、11月22日」を参照

60年代はケネディ大統領の暗殺を始め、暗殺事件が続きました。
1965年2月2日、マルコムX。
1968年4月4日、キング牧師。
1968年6月6日、ロバート・ケネディ。

キング牧師とマルコムXは黒人運動の指導者ですが、その活動は対照的です。
キング牧師は非暴力的で、黒人と白人の融和を計る指導者でした。
マルコムXは攻撃的で、黒人が白人社会と訣別し独立することを訴えました。
目的は同じですがアプローチの仕方が違います。
例えは適当でないかもしれませんが、徳川幕府を倒し新しい社会を作ろうとした、坂本龍馬と中岡慎太郎のような関係かも?
龍馬は戦争をせずに大政奉還によって達成しようとしました。
一方、中岡は武力によって徳川幕府を倒そうとしました。
974、11月15日」を参照

ロバート・ケネディはケネディ大統領の弟で、同政権の司法長官を務めました。
1968年の民主党の大統領候補指名選のキャンペーン中に暗殺されました。
圧倒的な人気があり、有利に選挙戦を進め、指名は確実と思われていました。
その勢いで大統領選にも勝利し、兄に次いで大統領になるだろうと言われていました

980、大政奉還成る。

2010年11月22日 | Weblog
昨日(21日)の「龍馬伝」は大政奉還でした。
慶応3年(1867年)10月14日、徳川慶喜は二条城で大政奉還を宣言し、大政奉還の上奏文を天皇に提出しました。
これによって260年続いた徳川幕府は終り、源平時代から700年続いた武士の世は終焉を迎えました。
新しい日本の夜明けです。
大政奉還は日本の歴史を変える龍馬最大の功績ですが、これが暗殺につながったという説もあります。
龍馬暗殺までドラマでは1週間で、来週が最終回「龍の魂」です。
実際には暗殺されたのは大政奉還から1ヵ月後の11月15日。
974、11月15日」を参照

新たな日本の夜明けといっても、人々の暮らしは依然として苦しく、多くの人が新天地を求め海を渡りました。
明治元年(1868年)には153名がハワイへ渡り「元年者」と言われています。
アメリカ本土へは戊辰戦争に敗れた会津若松藩士数十名が明治2年(1869)にカリフォルニア州に入植しました。
日系移民は明治中期からその数を増し、明治29年(1896)シアトル航路が開かれたこともあり、明治末から大正期にかけて最盛期を迎えています。
962、99年の愛
964、99年前のシアトル」を参照

979、初の死刑判決

2010年11月21日 | Weblog
2009年8月3日に初の裁判員裁判が開かれてから1年余り、男性2人を殺害したなどとして強盗殺人などの罪に問われた無職の男性被告(32)に16日、裁判員裁判で初の死刑判決が言い渡されました。
被害男性2人の命ごいを無視し、電動のこぎりなどで首を切るなど、残虐な犯行でした。
裁判長は「あまりにも行為の残虐性が非人間的で、最大限酌むべき事情を考慮しても極刑は免れない」と述べたうえ「控訴を勧めたい」と説諭しています。
裁判官が控訴を勧めるのは異例のことですが、これは裁判員の心理的負担を少しでも軽減させようとするものです。
法律の素人である裁判員が量刑も判断する制度は、裁判員には相当なプレッシャーがあると思います。
特に死刑の評決は荷が重過ぎるように思います。

アメリカでは建国以来陪審員制度が続いています。
基本的に陪審員は有罪か無罪かを評決するもので、量刑は裁判官が決めます。
死刑が求刑された場合は量刑も陪審員が担う州も多くありますが、死刑の評決を出した陪審員がPTSD(心的外傷後ストレス)にかかるケースもあります。
日本は一般の人が裁判に携わるようになって、わずか1年余りで死刑評決を余儀なくされました。
428、裁判員制度スタート」を参照

*アメリカでは一般市民から無作為に陪審員を選びます。
今年1月には私邸があるイリノイ州の裁判所からオバマ大統領にも陪審員を務めるよう通知が来ましたが、公務多忙で辞退したそうです。