ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

166、コニーアイランド

2008年07月28日 | Weblog
164、ジョーンズビーチ」でも書いたように、ニューヨーク周辺にはビーチがたくさんあります。
その中で最も有名なのがコニーアイランド(Coney Island)で、地下鉄やバスでも行けるマンハッタンから一番近いビーチです。
ビーチに沿って続く長さ5キロのボードウォークが名物で、海で泳ぐよりも散歩する人や日光浴をする人が多くいます。

ここの遊園地も有名で1884年に世界初のジェットコースターが設置されました。
旧式の木製ジェットコースター、観覧車などがあり、近くには水族館もあって海水浴だけでなくアミューズメント・パークとして多くの人でにぎわいます。
名前の通り、昔はアイランド(島)でしたが、現在はブルックリン地区の南端にある半島になっています。

写真はボードウォークで、右に砂浜、大西洋の先はヨーロッパです。

165、セントラルパークの動物園

2008年07月27日 | Weblog
セントラルパークには野外劇場、テニスコート、スケートリンク、回転木馬などさまざまな施設があり、メトロポリタン・ミュージアムもセントラルパークの中にあります。
シープメドウの東、5番街に面した所には動物園があります。
こじんまりした可愛いい動物園で、ライオンなどの猛獣はいません。
シロクマ、ペンギン、アシカ、レッドパンダなどがいて、アシカのショーが人気です。
子供動物園もあり、牛、ヤギ、ニワトリなどに餌をあげたり、触ったりすることができます。

写真は「163、シープメドウ」で妊娠中に家内が毎日セントラルパークを散歩していた、と書きましたが、その時の長女で子供動物園で撮ったものです。(三歳頃)

164、ジョーンズビーチ

2008年07月26日 | Weblog
夏といえばビーチです。
ニューヨークはスタッテン・アイランド、マンハッタン島、ロングアイランドなどの島々から成っているのでビーチには事欠きません。
隣のニュージャージー州も大西洋に面していて長い海岸線にビーチもたくさんありますが、ニューヨーカーがよく行くのはロングアイランドのビーチです。
ブロンクスにあるコニーアイランド(Coney Island)は地下鉄で行けます。
遊園地も有名で混雑しています。
ロングアイランドは島全体が砂丘のような感じで到る所に砂浜があり、プライベートビーチやパブリックビーチが点在します。
夏になると毎年友人の家族と一緒に、ロングアイランドのジョーンズビーチ(Jones Beach)に行きました。
写真はジョーンズビーチで、息子が3歳の頃です。

163、シープメドー

2008年07月25日 | Weblog
ニューヨークも夏は暑く、35度くらいになります。
しかし、湿度は高くないのでカラッとしていて日陰に入ると涼しく感じます。
夏といえばビーチで日光浴ですが、マンハッタンの真ん中で日光浴が出来ます。
そこは、いわずと知れたセントラルパークです。
セントラルパークは59丁目から110丁目まで南北に約4km、東西に約800mという長方形の大きな公園です。
変化に富み、丘、森、湖など、いろんな顔を見せますが、シープメドーという広々とした場所があります。
その名の通り、一面緑の芝で昔は羊が放牧されていました。
今は人間が解放される憩いのエリアで、人々は芝生の上でリラックスします。
弁当を広げてピクニック、散歩、木陰で読書や昼寝、フリスビー、ボール遊びなどしながら思い思いに過ごします。
上半身裸の男女、水着姿で日光浴を楽しむ人もたくさんいます。

私の家内は長女を出産する前、ドクターに1日2時間歩くようにと言われ、毎日シープメドーを散歩していました。
その後、郊外に引っ越しました。

162、かつら屋(Wig Shop)

2008年07月23日 | Weblog
「54、マフィア来たる」でニューヨークのビジネスはその出身国によって支配されている、と書きました。
ニューヨークのお店も同じで、八百屋の多くは韓国出身の人が経営しています。
その他、韓国系の店で多いのは、かつら屋、ネイル・サロンなどがあります。
私はかつらには興味がなかったので中に入ることはありませんでしたが、町を歩いていると目につきます。
もちろん、韓国料理の店も多く、焼肉、キムチはニューヨークでもよく食べました。
日本食がブームになってからは韓国料理店で刺身や寿司も食べられるようになりました。

161、リバー・カフェ

2008年07月19日 | Weblog
マンハッタンからブルックリン・ブリッジを渡った橋のたもとにレストラン「リバー・カフェ」があります。
ブルックリン・ハイツ(160、ブルックリン・ハイツを参照)の北、イーストリバーの水辺にあり川に浮かんでいるような感じです。
そこから見る昼の摩天楼も圧倒されるものがありますが、なんと言ってもマンハッタンの夜景が最高です。
明るく輝く摩天楼とイーストリバーに映る光とブルックリン・ブリッジはニューヨークの夜景スポットで最も美しいものです。
結婚式を挙げたばかりのカップルもよく見ます。
日本人旅行者にも人気があり、夜景を見ながらディナーをとるのが観光コースに入っています。

写真右下橋のたもとの明るい所がリバー・カフェです。
以前はここからトレードセンターが見えました。
マンハッタンの摩天楼の中でも一際高くそびえていました。

160、ブルックリン・ハイツ

2008年07月18日 | Weblog
マンハッタンからブルックリン・ブリッジを渡った右側に高級住宅地、ブルックリン・ハイツがあります。
ブルックリンというと治安の悪い地域という印象がありますが、ここは閑静な街並み、おしゃれな店が並んでいます。
19世紀建築様式の優雅なアパートが多い中心地のほとんどが、ランドマーク(歴史保存地区)に指定されています。
ウォール街が目の前に見え、通勤にも便利なのでそこで働くエグゼクティブなどが好んで住む地域です。
そのブルックリン・ハイツのイーストリバーに面する高台には、500メートルの長さの遊歩道、ブルックリン・ハイツ・プロムナードがあります。
そこからはマンハッタンが一望でき、その南にはニューヨーク港が広がり自由の女神が見えます。
朝日に輝くマンハッタン、夜景も美しいのですが、ニューヨーク港の向こうに広がるアメリカ大陸の地平線に沈む夕日は息を呑む美しさです。
ここから撮ったマンハッタンは多くの映画のシーンに使われています。
ブルックリン・ハイツからマンハッタンを見た景色が有名ですが、マンハッタンからイーストリバーを挟んでブルックリン・ブリッジを上に見上げながら見るブルックリン・ハイツも素晴らしい眺めです。

写真はブルックリン・ハイツの閑静な街並み。


159、ベニハナ

2008年07月18日 | Weblog
去る7月10日、鉄板焼きチェーン店「ベニハナ」の創業者、ロッキー青木氏が死去しました。
私がニューヨークにいた頃すでに400軒以上のジャパニーズ・レストランがニューヨークにあり、寿司を中心とした日本食がブームになっていました。
この日本食レストランの繁盛は70年代後半からで、それ以前は日本食はポピュラーではありませんでした。
ジャパニーズ・レストランも少ない、1964年、ニューヨークにベニハナ1号店をオープン、客の前でシェフが行う鉄板焼きパフォーマンスが人気を呼び、北米を中心に店舗を拡大していき、現在世界中に100店舗以上展開しています。
私も何度か食べに行きましたが、その包丁さばきに感心したものです。
移動式アイスクリーム屋からスタートし、一大日本食チェーン店を展開しました。
レストランのほか、ホテル、カジノなどを経営する実業家でした。
また冒険家としても有名で、高速ボートレースでは世界大会2位、気球で太平洋横断に成功しています。
アメリカンドリームを体現した人物としてマスコミなどで度々紹介され、著書も多くあります。

158、ご苦労様、野茂選手

2008年07月17日 | Weblog
大リーガー野茂英雄が現役を引退しました。(2008年7月17日)
今年、大リーグには16人の日本人選手がいますが、95年に野茂英雄がメジャーの扉を開けたからに他なりません。
野茂選手がいなければ日本人選手がこれだけ多く大リーグに挑戦したか疑問です。
イチローや松井秀喜を始めとする以後の日本人大リーガーのパイオニアとして、その功績は多大なものがあります。

1990年に近鉄に入団し、いきなり最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率と主要四冠を独占し、ベストナイン、新人王、沢村賞、そしてMVPに選ばれています。
日本で数々の記録を作り1995年、ロサンゼルス・ドジャースと契約を結び、村上雅則以来31年ぶり、2人目のメジャーリーガーとなりました。
この年13勝6敗、236奪三振の成績で新人王、奪三振王のタイトルを獲得しました。
日米両国で新人王を受賞したのは野茂1人です。
オールスターにも出場し、先発のマウンドに立っています。
大きく振りかぶって背中を打者に向ける独特の投法は「トルネード投法」と呼ばれました。

メジャーリーグでも数々の記録を作りましたが、特出すべきは両リーグでのノーヒットノーランです。
1996年9月17日の対ロッキーズ戦でノーヒットノーランを達成(ドジャース在籍)、2001年4月4日の対ボルチモア・オリオールズ戦で2度目のノーヒットノーランを達成(レッドソックス在籍)しています。
両リーグでのノーヒットノーランはノーラン・ライアン以来で、メジャー史上4人目の快挙です。
日米通算201勝(155敗)。

157、親友の死

2008年07月15日 | Weblog
7月の今頃になると思い出すことがあります。
1993年の3月に帰国しました。
その年5月に親友のフランクさん(日本名:福田)に電話したときは元気でした。
2ヵ月後の7月に電話したら奥さんが「フランクはつい最近亡くなりました。」と言ったので、「え!、なぜ?」と驚きました。

「 9、テロに遭遇」で書きましたが、1993年2月26日ワールド・トレードセンターの地下駐車場2階で爆発物を満載したバンが爆発し6人が殺害され、1000人以上が負傷しました。
この時はタワーは倒壊しませんでしたが地下駐車場は使用できなくなりました。
フランクさんは車で通勤し地下駐車場に止めていました。
私も地下駐車場を利用していたので、会社は違いましたが親しくなりました。
爆破によってトレードセンターの駐車場が使えなくなり、道路を隔てたワールド・ファイナンシャルセンターの駐車場に止めていたそうです。
仕事を終わったフランクさんが駐車場まで道路を渡ろうとして車に跳ねられたそうです。
テロの直接の犠牲者ではありませんが、間接的な被害者と言えるかもしれません。

彼は私よりアメリカ滞在が長く、いろいろ教えてもらいました。
休みの日には一緒にテニスをしたり、アトランティック・シティのカジノに通ったりしました。
私はもっぱらブラックジャックでしたが、フランクさんはルーレットが好きで、ルーレットの必勝法がある、と言っていました。(?)