ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

1110、観光地やレジャー施設は苦境

2011年03月31日 | Weblog
東北関東大震災で観光地やレジャー施設は苦境に立たされています。
梅の名所として知られる水戸の偕楽園は例年なら花見客で溢れますが、地割れが起き建物の壁が崩れるなどの被害を受け休園を余儀なくされています。
東京ディズニーランド(TDL)も休園しています。
園内の建物に被害は無かったようですが、周辺の埋め立て地は液状化現象が起き、駐車場も被害を受けて開園のめどはたっていないようです。
一番のネックは電力不足による計画停電です。
一日の消費電力は東京ドームの10倍、一般家庭5万戸分に相当し、電飾を凝らした夜のパレードなど、看板のキラキラができない状態です。
プロ野球の開幕も遅れ、ドームでの試合やナイターも当分は行わない予定です。
上野動物園は22日に予定していたパンダの一般公開を延期し休園状態です。(4月1日から公開)「1088、“リーリー”と“シンシン”
また、各地の温泉街はキャンセルが相次いでいます。
地震発生当日私が行っていた伊香保温泉は5月の連休まで予約がいっぱいだと言っていましたが、キャンセルが続出しているようです。
1090、国内史上最大M8.8」で、クラス会は延期になったと書きましたが、ホテル側も「緊急事態なのでキャンセル料は取りません。」と言っていました。

春休みを迎え例年なら賑わう観光地やレジャー施設は閉鎖され、開いているところも閑古鳥が鳴いています。
自粛ムードが広がり、震災前のにぎわいを取り戻すのは容易ではなさそうです。
ガソリン不足、交通機関の不安定も当分続きそうです。

このような状態をNYタイムズは「日本には自粛という強迫観念がまん延し、過度とも思える自粛ムードになっている。恒例の花見も中止するところが多い」と書いています。
一方、ロサンゼルス時事は、米国救援隊の一員として東北地方に派遣された日系4世の消防士アツシ・ウエハラさん(42)が29日、ロサンゼルス市内で救援活動についての報告会に出席し、「災難のさなかでも礼儀正しい被災者の姿に感銘を受けた」と語ったことを伝えています。
ウエハラさんは地震翌日の3月12日、ロサンゼルス郡消防局の同僚73人と共に三沢基地に到着し1週間にわたって岩手県大船渡、釜石両市で活動しました。
両親ゆかりの広島に行った経験から「原爆投下後の広島を連想した」と、被災地の惨状を表現しています。
そんな中、「倒壊したカラオケ店のそばにいた女性オーナーが、『何もありませんが』と言って煎餅を差し出してくれた」ことに最も強い印象を受けたと語っています。
ウエハラさんは「ベストを尽くし6遺体を見つけたが、生存者は一人も発見できなかった」と肩を落とし、「将来また東北を訪れ、復興した姿を見たい。」と話しています。 

今の日本は1億3000万総自粛ムードで、日本中が喪に服している感じです。
このままでは経済は縮小し、縮むばかりです。
経済のためなら、ぱっと明るくしたいところですが、とてもそんな気分になりません。
そこが日本人の良い所で、一時的に縮小しても必ず以前の、それ以上の発展を遂げるでしょう。
資源の少ない日本ですが、最大の資産は日本人です。
1101、世界が驚嘆」を参照

1109、チェリーブロッサム・フェスティバル

2011年03月30日 | Weblog
1108、桜開花」でルーズベルト・アイランドの桜について書きましたが、ワシントンDCの桜祭りは3月26日に始まっていて4月10日まで開催されます。
1912年に日本から桜の苗木3100本が贈られてから今年で99年目を迎え、今では世界で最も有名な桜の名所になっています。
上の写真の桜はかなりの古木で、もしかしたら99年前に贈られた苗木かも?
National Cherry Blossom Festival

アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンが子供のとき、桜の木を切ったことを父親に正直に話したら怒られず、かえって誉められたという挿話がありますが、当時から桜の木はあったのか?
ワシントンは1732年生まれなので10歳頃の話として1742年です。
1912年に日本から桜の苗木が贈られる170年前です。
通説ではワシントンが子供の頃のアメリカ大陸には桜の木は無かったとされています。
ワシントンの死後にマウントヴァーノン教区のメーソン・ロック・ウィームズ牧師が子供向けに書いた『逸話で綴るワシントンの生涯』の中で、「嘘をついてはいけない」という教訓のために書いた作り話であるとも言われていますが真偽は明らかではありません。
この本が書かれたのは1800年頃で、日本から桜が送られる100年以上も前のことです。
ワシントンが切ったのは桜ではなく、他の木だったのかもしれません。
もしかしてハナミズキだったかも?
766、桜祭り
826、ハナミズキ」を参照

1108、桜開花

2011年03月29日 | Weblog
昨日28日、蕾が固くなかなか桜が咲かないと書きましたが28日、靖国神社境内にある標本木で基準となる5~6輪以上の花が咲いているのを気象台の担当者が確認し、開花が発表されました。
平年並の開花で昨年より6日遅い開花でした。
温暖化の影響で最近は開花が早くなっていたので遅く感じました。

ニューヨークもこの時期になるとセントラルパークやルーズベルト・アイランドなどの桜が咲き始めます。
上の写真はルーズベルト・アイランドの桜です。
左にマンハッタンが見え、上にクイーンズボロ・ブリッジが架かっています。
506、ルーズベルト・アイランド
505、クイーンズボロ・ブリッジ」を参照


1107、桜も遠慮

2011年03月28日 | Weblog
温暖化の影響で最近は桜の開花も早まっていましたが。今年はなかなか咲きません。
桜も遠慮して蕾のまま身を固くし、咲くのをためらっているようです。
被災地では冬のような寒さが続き、地震以来雪も何度か降りました。
日本中が喪に服している感じで、桜が咲いても例年のように浮かれる気分にはなれません。
しかし春は必ずやってきます。
被災地の春(復興)も必ず来ます。

1106、ニューヨークは春、夏、or冬?

2011年03月27日 | Weblog
国内史上最大の地震と津波、原発事故が発生して以来新聞、テレビ、ラジオは連日そのニュースを放送しています。
このブログもこの2週間、このニュースを中心に書いてきました。
と言うより、書かずにいられませんでした。
今年はお彼岸が過ぎても寒く、被災地は地震発生以来何度も雪が降っています。

ニューヨークは春を告げる「セントパトリックディ」のフェスティバルが3月17日に行われ、その4日前の3月13日に夏時間になっています。
しかし、ニューヨークは冬のように寒い日が続いているようです。
5番街では恒例のパレードが盛大に行われたました。
740、春が来る前に」を参照

1105、死者1万人超える

2011年03月26日 | Weblog
11日(金)午後2時36分に起きた東北関東大震災から2週間たった25日(金)午後3時時点で、警視庁がまとめた死者は1万人を超え1万66人になりました。
届け出のあった行方不明者は1万7443人で、合わせて2万7509人となっています。
被害の全容はいまだ分かっておらず、被害者はさらに増える可能性があります。
2週間が経った現在も避難生活を強いられている人は24万4000人あまりにのぼり、地震、津波、原子力発電所破壊のトリプル被害で東日本は未曽有の困難に直面しています。
上の写真左は地震発生直後に襲来した大津波、右は2週間後の25日現在の犠牲者数
1098、2:46pm」を参照

1104、空母と被災住民

2011年03月25日 | Weblog
米第七艦隊の原子力空母「ロナルド・レーガン」が13日から被災地の沖合で大規模な支援活動を展開しています。
韓国での軍事演習に向かう途中に東北関東大震災が発生し、急きょ船首を東北地方に向けました。
11日の地震発生から2日目の素早い行動で、作戦名は「オペレーション・ともだち」です。
戦闘機などが発着する甲板はアメリカ軍が用意した支援物資を運ぶ海上基地になっています。

テレビで映し出されるのは、ほとんどが体育館などの避難所の映像ですが、連絡の取れない孤立地域が多くあります。
アメリカ軍はヘリコプターで空から被災地を見て、ピンポイントで孤立地域を探して物資を運び、被災した住民から感謝されています。
アメリカ海軍は空母ロナルド・レーガンを含め20隻の艦艇と140機の航空機を被災地周辺に派遣し大量の物資を運んでいます。
陸軍も仙台空港に物資の輸送拠点作りを進めていて、アメリカ軍は大規模な支援活動を行っています。
これらの活動はテレビで放送されることはあまりありません。

空母、ロナルド・レーガンは第40代アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガン(1911~ 2004)の名が冠されています。
存命中に名が冠されたアメリカ合衆国で3番目の原子力空母で2003年に就役しました。
ソビエト連邦を「悪の帝国」と言い、ソ連の解体、ベルリンの壁崩壊など東側諸国の民主化に貢献し、冷戦終結に大きな役割を果たしました。
私の印象に残っているのは1980年の大統領選挙です。
アメリカで政治家になる条件として、「見栄えのする容姿」と、大衆を引き付ける「目には見えない魅力」があることです。
俳優出身のレーガンはこの両方を備え、静かな語り口ながら、率直で分り易く、語りかけるような話術は人々の心をとらえ、「アメリカの父親」という印象を与えました。
選挙では現職のカーター大統領を大差で破る、地滑り的勝利でした。
弱腰と言われたジミー・カーター前大統領と違い、「強いアメリカ」を回復しました。
1998年にワシントンD.C.のナショナル空港が、「ロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港」と改名されています。
今も根強い人気があり、先日行われた米世論調査機関ギャラップによる、米国民が「最も偉大とみる大統領」にレーガン大統領が選ばれています。(19%)
リンカーン大統領(14%)、クリントン大統領(13%)が続き、現職のオバマ大統領は5%で7位でした。
(写真はNHKのニュースより)

1103、センバツ開幕

2011年03月24日 | Weblog
直前に起きた東北関東大震災で開催が危ぶまれた、第83回選抜高校野球大会が昨日(22日)甲子園球場で開幕しました。
被災地の人を応援し、復興の願いを込め、「がんばろう!日本」をスローガンに掲げ、12日間の試合が行われます。
開会式冒頭、サイレンが鳴り響く中、選手や観客が震災の犠牲者へ黙祷、バックスクリーン前に出場32校の選手が左肩に喪章をつけて集合し、南から順に内野まで歩いて整列しました。
例年の入場行進を取りやめるなど簡素化され、節電に努めるためナイターにならないよう、第1試合が当初の予定より10分早い午前10時10分に始まりました。
いきものがかりの「ありがとう」を編曲した行進曲も、ブラスバンドの演奏ではなくCDが使われ、被災地から出場した東北(宮城)や水城(茨城)の校名がアナウンスされると、観客席から大きな拍手がわきました。
創志学園(岡山)の野山慎介主将が、「宣誓!、東日本大震災で多くの尊い命が奪われ、私たちの心は悲しみでいっぱいです。私たちに今できること。それはこの大会で精いっぱい元気を出して戦うこと。頑張ろう日本。生かされている命に感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います。」と選手宣誓しました。
昔の宣誓は声が大きく叫んでいるような感じでしたが、最近は冷静に自らの思いを述べるようになりました。
今年の野山選手の宣誓は一言一言かみしめるように話し、野球ができることに感謝の気持ちを込めた感動的なものでした。
大会中は球場内に募金箱が設置され、入場料の一部も義援金として被災地に送られます。

高校球児にとって甲子園はあこがれの舞台です。
せっかく掴んだ夢の舞台を奪うことなく開催されたことは、被災地の人も喜んでいることと思います。
選手にとっては一生に一度のことですが、応援する生徒にとっても在校中に甲子園に行けるのは奇跡的なことです。(常連校以外)
今年は応援団の太鼓やブラスバンドもなく、声による声援なので思い切り応援してほしいと思います。
890、狙いうち」を参照

1102、出荷停止

2011年03月23日 | Weblog
東京電力福島第1原発から放出された放射性物質による農産物の汚染が懸念され、政府は21日、福島、茨木、栃木、群馬の4県でホウレンソウとカキナ、福島県産の原乳を出荷停止に踏み切りました。
対象の品目と地域を明確にすることで、対象外の農産品に対する風評被害の拡大を抑える狙いがあります。
枝野官房長官は同日の記者会見で、出荷停止の農産物について、「仮に口に入ったとしても、直ちに健康に影響を及ぼすものではない」とした上、「万が一、中長期に継続した場合に備え、今から規制をかけた」と説明しました。
農家は搾った原乳を捨て、収穫間近のホウレンソウ畑をトラクターでかき混ぜています。

日本は農薬などの基準値が世界的に見て最も厳しく、農家は細心の注意を払いながら栽培しています。
今回は原発事故による放射能という目に見えない物質が降ってくるので防ぎようがありませんでした。
検出量は微量で食べても問題ありませんが消費者は敏感で、スーパーからこれら4県の野菜は姿を消しました。
風評被害は広がり、対象品目以外の野菜も敬遠されています。(その割には農薬基準がはるかに緩い外国産の安い野菜を食べていますが。)
今後、小松菜、ブロッコリー、キャベツなども規制され、品目は増えるでしょう。
さらに、海からも通常より高い放射性物質が検出され、水産物も出荷停止になるかもしれません。

私も直売所に野菜を出荷しています。「536、ミニ耕運機
今出荷しているのはブロッコリー、カキナ、フキノトウなどですが出荷を停止します。
私の場合は趣味程度ですが、これで生計を立てている農家は深刻です。
上の写真は破棄される絞ったばかりの原乳

1101、世界が驚嘆

2011年03月22日 | Weblog
地震発生から昨日で10日経ちました。
被災地はいまだに水、食料、衣料品、ガソリン、灯油、毛布などの生活用品が不足しています。
しかし、テレビに映し出される人々は冷静で、必死に困難に耐えています。
物資の奪い合いも起こらず、少ない食料を分け合っています。
これらの様子は世界中に発信され、世界が驚嘆しています。

韓国メディアは「今回の地震で、日本国民が受けた悲しみや傷ははかり知れない。しかし、その悲しみを抑えようと努める姿に、やっぱり日本だ、最悪な状況でも泣きわめきはしなかった。」と伝えました。
インターネットでは「わが国では泣きわめいて、だれかのせいにし、修羅場になるが、日本は秩序を保っている」、「高い民意に脱帽、見習うべき」などの書き込みが多く寄せられています。

米ロサンゼルス・タイムズ紙は、1人の女性が本棚の下敷きになり足首を骨折しながらも、救急救命士に迷惑をかけたことを謝罪し、自らの救助より優先すべきことがあるかを尋ねた、というエピソードを報じ、最悪な状況下でも、日本人は他者を気遣うマナーを持ち合わせている、と称賛しています。

豪ノーザン・スター紙は、訪日していた豪サザンクロス大学のバーデン・オフォード教授の「このような苦難の中でも人々は信じられないほどマナーが良く、礼儀正しく助け合っていた」というコメントを載せています。

台湾の有識者、王栄霖氏は「大地震の発生後、他の国に見られるような混乱は少しも起こらなかった。社会秩序を乱すような盗難事件も起こっていない。危機のなかでも日本人は法や秩序を守り、その民度の高さは火を見るより明らかだ。」と語っています。

アメリカのCNNニュースは、「100年間で最悪の自然災害に見舞われながら、どうして日本人はそんなに穏やかなのか?」と、コメントしています。

オノ・ヨーコさんは、第2次世界大戦のあと急速な発展を遂げた日本が再び復興を果たすのを信じていると語り、「日本は初めて全世界がうらやむ国になる」と述べました。

未曽有の災難に直面しても冷静で互いに助け合う姿は、あらためて日本人の忍耐力、道徳心の高さを感じました。
日本人が見直されています。
地震発生時ファミリーレストランの客が一斉に外に避難しましたが、揺れが収まると中に入って支払いを済ませ、そのとき家の様子を見に行った人も翌日支払いに来た、という話もあります。