ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

2025、150日で

2013年09月30日 | Weblog
先日(24日)、英国人女性サラ・オーテンさんが手こぎボートで日本から米アラスカまで太平洋横断に成功した、というニュースがありました。
約150日間かけて、横断しました。

サラ・オーテンさん

東日本大震災で流された漁船は1年以上かけてカナダ沖に流れ着きました。
多くのものが太平洋を横断しアメリカ大陸に到着しています。
太平洋上には今も多くの漂流物が流されているようです。
1722、バイクの前で」などを参照

2024、17歳

2013年09月29日 | Weblog
昨日28日(土)、NHKの朝ドラ「あまちゃん」が終了しました。
社会現象といわれるまでのヒットになり「じぇじぇじぇ」の流行語も生まれました。
ヒロインの成長物語、被災地東北が舞台、ドタバタともいえる展開は人々に元気を与えました。
毎日見ていたわけではありませんが、私が見るときはいつも賑やかでした。
今後の関心は「じぇじぇじぇ」が流行語大賞を獲得するか?(強敵は「お・も・て・な・し」)
「潮騒のメモリー」が紅白出場なるか?
歌うとしたら誰?
小泉今日子、薬師丸ひろ子、能年玲奈の3人が歌って、アマちゃんファミリーが応援か?
続編は?

東京で生まれ育った16歳の天野アキは、岩手県北三陸市袖が浜を初めて訪れます。
17歳のアキはアイドルを目指して東京へ行きます。
このときアキは東北の方言を話していました。
1年で方言を覚えることができるか?
可能でしょう。
しかし、とっさのときに方言が出てくるか?
1336、12歳」でも書きましたが、人のネイティブ(言語、心情、考えなど)は、その人が12歳のときに何処に住んでいたかで決まる、と言われています。
方言も同じだと思います。
「18歳くらいになると言葉も、心も、考えも確立してしまう」と書きました。
アキが東北に行ったのは16歳で、ぎりぎりの年齢か。
17歳で東京に出ましたが、17歳は少年(少女)から大人になるターニングポイントで、最も多感な年齢のようです。
「潮騒のメモリー」でも『17才は 寄せては返す波のように 激しく』と歌われています。
17歳を歌った曲は多くあります。
すぐに思いだす曲は
『十七才のこの胸に』(西郷輝彦)
『17才』(南沙織)
『十七歳の地図』(尾崎豊)
『夢みる17才 』(リトル・ペギー・マーチ)
You Tubeで検索してみて下さい。
17歳以外を歌った曲も多くあります。

英語の歌を歌うサークル「Sing、Sing、Sing」でアバの『Dancing Queen』を歌っています。
主役の「ダンシング・クイーン」は17歳。『young and sweet only seventeen』
中森明菜の「少女A」も17歳
10月に行われる文化祭に向けて練習中で、カーペンターズの「Sing」、パティ・ペイジの「The Tennessee Waltz」、アバの「Dancing Queen」の3曲歌います。

そういえば私が初めて酒を飲んでタバコ吸ったのも17歳でした。

2023、首相は忙しい

2013年09月28日 | Weblog
現在ニューヨークを訪問している安倍首相はスケジュールがびっしり詰まっていて、大忙しです。

23日、カナダの首都オタワの「オタワ・マクドナルド・カルティエ国際空港」着。
テレビ局「CTV」でインタビュー。
連邦議会議事堂でキンセラ同国上院議長主催の夕食会。

24日、カナダの連邦議会議事堂でハーパー同国首相と共同記者会見。
同国総督邸にジョンストン総督を訪問。
政府専用機で「オタワ・マクドナルド・カルティエ国際空港」発。
米ニューヨークのケネディ空港着。
ホテル「ランガム・プレイス」でオランド仏大統領と会談。
インターコンチネンタルホテルで同行記者団と懇談。
ニューヨーク総領事公邸で有識者と懇談。

25日、国連本部で慈善団体「ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団」のビル・ゲイツ議長らと会談。
ミレニアム開発目標(MDGs)特別イベントで挨拶。
潘基文国連事務総長と会談。
ニューヨークのジャパン・ソサエティでロックバンド「U2」のボノ氏と会談。
同所で開かれたポスト2015開発目標と保健に関するサイドイベントで挨拶。
ピエールホテルで開かれたハドソン研究所主催の会合で講演
ニューヨーク証券取引所で講演。
世界貿易センタービル跡地(グランドゼロ)で献花。
ジャパン・ソサエティで首相夫妻主催のレセプション。カタールのタミム首相と夕食会。
宿泊先のホテル・インターコンチネンタル。

26日、国連本部で国連総会の一般討論演説。
同所でアッシュ国連総会議長と会談。
同所でコートジボワールのウワタラ大統領、マラウイのバンダ大統領らと会談。
インターコンチネンタルホテルで米国人女性、日本人女性、国連日本人職員とそれぞれ懇談。

その他、連日精力的に行動しました。
27日午後(日本時間28日未明)、政府専用機でニューヨークのケネディ空港を出発、帰国の途に就きました。

2022、完全復活?

2013年09月27日 | Weblog
ニューヨーク・メッツの松坂大輔投手(33)が25日、シンシナティ・レッズ戦で7回2/3を無失点に抑え3勝目を挙げました。
3連敗の後、3連勝です。
メッツに移籍直後はなかなか勝てませんでしたが、これで完全復活?

最近のフォーム。
以前の棒立ち状態に比べ腰が安定し、腕も上がってきました。
身体も引き締まってバランスが良くなってきました。
1178、松坂ピンチ」を参照

2021、銃お断り

2013年09月26日 | Weblog
銃社会アメリカでは銃による事件が続いています。
スターバックスは全米の有力紙に銃を店内に持ち込まないよう客に要請する声明を出しました。
「銃支持派でも反対派でもありません。しかし店内に銃がないほうがよいと強く信じています」というものです。
アメリカでは銃規制支持派、反対派に別れ「銃支持派でも反対派でもない」ことを表明する苦肉の策です。
銃規制推進派が持込禁止を求める運動を展開する一方、規制反対派は銃を持って店に集まるイベントを企画するなどしていました。
どちらも影響力があり「あちらを立てればこちらが立たず。」と言った感じで、対応に苦慮しています。
アメリカ国内には約7000店あり、スタバでのデモンストレーションは影響力があります。
日本は今月17日に1000店舗達成。

2020、背番号42

2013年09月25日 | Weblog
22日、ヤンキースタジアムで行われたジャイアンツ戦の試合前にマリアーノ・リベラ投手(43)の引退セレモニーが行われました。
メジャー歴代1位の通算652セーブの記録を持つヤンキースの守護神で、今季限りでの引退を表明しています。
この日、超満員約4万9千人のファンが別れを惜しみました。

引退セレモニーに向かう背番号42
1950、主役は」も参照

ヤンキースはリベラの背番号42を永久欠番にしました。
42番は他の球団では全て永久欠番になっています。
42番は人種差別の壁を乗り越え黒人初の大リーガーとして活躍したジャッキー・ロビンソン氏の功績を称えるために1997年よりMLB全体で永久欠番となりました。
このときに42番を付けていた選手は継続使用が認められていました。
これで42番はMLBから永久に見られなくなります。
セレモニーにはヤンキースの一員として共に戦った松井秀喜氏や前監督のジョー・トーリ氏、元捕手のホルヘ・ポサダ氏、バーニー・ウィリアムズ氏なども出席しました。
松井氏のコメント。「ジス・イズ・マリアーノ・デー」(今日はマリアーノの日)
7月28日はヒデキの日でした。

2019、久しぶり

2013年09月24日 | Weblog
22日は東京にオペラを見に行きました。
昨日23日は高崎音楽センターで行われた群馬交響楽団(愛称:群饗)の第493回定期演奏会を聞きに行きました。
群馬交響楽団は映画「ここに泉あり」で知られています。

昨日の曲目は
・ブルッフ/ ヴァイオリン協奏曲 第1番 ト短調 作品26 ヴァイオリン:会田 莉凡
・ブラームス/ ドイツ・レクイエム 作品45 ソプラノ:森 麻季 バリトン:甲斐 栄次郎

ブラームスのドイツ・レクイエムは群饗合唱団が出演しました。
群饗の定期演奏会の一環として毎年9月に合唱団が一緒に歌います。
アマチュアの合唱団としては難易度が高く規模が大きい作品を歌います。
レベルもかなり高い(?)
毎年1月にスタートし、週1回の練習と夏合宿を行います。
合唱歴50年以上という人から合唱は初めてという人もいます。
私が初めて入った合唱団です。
現在は休団中ですが久しぶりに聞きに行きました。
昨日は300人の合唱と70人のオーケストラの大演奏会でした。
16日に第九を歌った時はオーケストラも合唱もアマチュアでした。

2018、マノン・レスコー

2013年09月23日 | Weblog

昨日、東京にオペラ「マノン・レスコー」を観に行ってきました。
プッチーニのオペラとしては「ラ・ボエーム」、「トスカ」、「蝶々夫人」、「トゥーランドット』などが有名です。
「マノン・レスコー」は上演される機会も少なくあまり知られていませんが、プッチーニ35歳の時に発表された出世作と言われています。
私は初めて観ました。(その題名も知らなかった)

18世紀末のフランス。
魔性の女マノンは破滅的な生活を送り、数々の問題を起こしニューオーリンズの植民地に流刑となり、アメリカでも問題を起こし最後は荒地で息絶えます。
18世紀末と言えばアメリカが独立したころで、当時のアメリカは流刑の地でもあったんだ。
ニューオーリンズのフランス植民地、と聞いてフレンチ・クオーターを思い出しました。

来年6月公演予定で今稽古中の「仮面舞踏会」は17世紀末のイギリス植民地ボストンが舞台で、アメリカ独立の約100年前です。
ピルグリム・ファーザーズが新大陸に到着したのはその約50年前。

2017、胴上げ投手

2013年09月22日 | Weblog
20日(日本時間21日朝)、ボストン・レッドソックスが6年ぶりに地区優勝を決めました。
優勝を決めた瞬間にマウンドにいたのは上原浩治投手でした。
今や名門レッドソックスの絶対的なクローザーです。
5-1と4点リードした8回に2番手で登板した田沢投手は1/3回を投げて3安打2失点で降板。
急遽登板した上原投手は後続をピシャリと抑え、9回も0点に抑えて胴上げ投手になりました。
「胴上げ投手」と言っても日本のように胴上げされるわけではなく、ナインが輪になって喜びを爆発させます。
テレビで試合を見ていましたが、緊張の場面でも安定感は抜群でした。

最後のバッターを三振に打ち取り優勝を決めた瞬間(左)輪になって喜ぶレッドソックスナイン(右)
次はワールドシリーズでの「胴上げ投手」を期待。
大リーグへ移籍した選手の多くは苦戦していますが、上原投手の活躍が光ります。

2016、38日ぶり

2013年09月21日 | Weblog
レンジャーズのダルビッシュ有投手が19日(日本時間20日)、13勝目(9敗)を挙げました。
8月12日以来38日ぶりの白星です。
好投しながらも打線の援護に恵まれず、なかなか勝てませんでした。
今季初登板で9回2死までパーフェクトに抑えたときのピッチングを見た時は、20勝できるのではと思いましたが、メジャーはあまくありません。
14日のアスレチックス戦では7回4安打10奪三振1失点の好投も勝ち星は付きませんでした。
このときのシーズン4度目の0-1敗戦は、1989年ハーシュハイザー以来24年ぶりのことでした。
ハーシュハイザー投手は私がアメリカにいたころドジャースで活躍した投手で、制球力抜群のフォームは今でも鮮明に覚えています。
レギュラーシーズンも残りあと僅かで、今年は去年の16勝に届きそうもありませ。
奪三振は19日現在260で、メジャートップを独走しています。
1885、300K」を参照