ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

693、57丁目・6Ave

2010年01月31日 | Weblog
57丁目を西から東に向かって6番街の交差点まで来ました。
交差点の真ん中で北を向くとセントラルパークが見えます。
6番街は南から北への一方通行なので車を運転してくると59丁目(Central park South)でセントラルパークに突き当たり、そのまま公園内をドライブすることができます。
ここからの眺めの絵になります。

692、北ウイング

2010年01月30日 | Weblog
104、ニューヨークの灯台」で1974年から1985年頃まではよく旅行にいった、と書きましたが、バスや電車で全米を回りました。
アメリカは広いので次の町に行くのに何時間もかかります。
70年代は本を持っていきましたが、1979年にウオークマンが発売されるとすぐに購入しました。
80年から85年にかけて大陸横断鉄道でアメリカ一周しましたが、このとき持っていったのがウオークマンにプレスリーと中森明菜のテープです。(意外な組合せ)
東京書店でたまたま買った彼女のテープを聞いてすぐにファンになり、その後5~6本買いました。
夜行列車の窓から移り行く景色を見ながらスローモーション、少女A、セカンド・ラブ、飾りじゃないのよ涙は、北ウイング、・・・を聞いていました。
これらの曲は今も歌詞を覚えていて、曲を聞くと大陸横断鉄道の電車の窓から見たアメリカ大陸の雄大な景色を思い出します。

中森明菜は82年「スローモーション」でデビュー、その後次々ヒット曲をだし、85年に「ミ・アモーレ」、86年に「DESIRE」で2年連続日本レコード大賞を受賞しています。
これは女性ソロ歌手としては史上初の快挙でした。
ドラマではシリアスな役もコミカルな役もこなし、非凡な才能を発揮していました。
92年に70年代~80年代の名曲をカヴァーしたアルバムが注目され、現在のカヴァー・ブームの火付け役とも言われています。
以降も「歌姫」シリーズを次々出し、演歌、フォークなども歌い精力的に活動しています。

1973年に羽田空港からアメリカに発ち、1985年に一時帰国するまで日本に帰りませんでした。
成田空港を見たことがなかったので「北ウイング」ってどんなとこなんだろう、と思いながら聞いていました。

691、東京書店(57丁目)

2010年01月29日 | Weblog
57丁目、日本クラブの東に東京書店がありました。
私がニューヨークに行った1973年頃は紀伊国屋書店も旭屋書店も無く、日本の本やカセットテープ(CDはまだなかった)など、日本を感じることができるのが東京書店でした。
また、ニューヨーク在住の日本人の情報交換の場所でもありました。
店の一角に張り紙コーナーがあり「ウェイター募集」などの求人情報、「ガレージ・セール」、「ペット差し上げます」など、いろんな生活情報を得ることができました。
しかし、80年代に閉店し現在は57丁目に「東京書店」はありません。
330、東京書店」を参照

690、日本クラブ

2010年01月28日 | Weblog
57丁目の7Aveと6Aveの間、カーネギーホールの斜め北に日本クラブがあります。
日本文化の交流の場として、日本人は勿論アメリカ人や各国出身者が集い日本を感じます。
1905年に設立され100年以上の歴史を持っています。
1991年に新館、日本クラブ・タワーが完成し充実した施設になりました。
私もニューヨークにいた頃はよく行きました。
日本クラブ

689、スターバックス

2010年01月27日 | Weblog
57丁目の7Aveと6Aveの間、ロシアンティールームの東にスターバックス (Starbucks)があります。
私がニューヨークにいた頃はスターバックスはニューヨークにはありませんでした。
それもそのはず、スターバックスがニューヨークに店を出したのは1993年3月で、私が帰国したのと同時期です。
1971年にシアトルのパイク・プレイス・マーケットに1号店をオープンし、現在世界40以上の国と地域で営業展開している世界最大のコーヒーチェーンです。
1996年、東京銀座に日本1号店を出しましたが、これは北米以外では初めてのことでした。
3年ほど前、私の家のすぐ近くにオープンしたので時々コーヒーを飲みに行きます。

688、ロシアンティールーム

2010年01月26日 | Weblog
カーネギーホールのすぐ東隣に高級レストラン、ロシアンティールーム(Russian Tea Room)があります。
その名の通り、正統的なロシア料理の店で、天井は金ピカで壁には絵画が飾ってあります。
1927年オープンの伝統あるレストランでゴージャスな雰囲気、銀の食器はきれいですが値段は少々高めです。
カーネギーホールのすぐ隣というロケーションもあり、コンサート前に食事やティーを楽しむ人も多く、ブロードウエイの劇場街やリンカーン・センターも近いので音楽家や演劇関係者も利用します。
一度クローズされ、その後まったく異なるメニューで再開されたと聞きました。
ニューヨークは絶えず発展、変化しています。
ハードロックカフェも57丁目からタイムズ・スクエアも移転し、私がいた頃と比べ大分変わっているようです。

687、Sing、Sing、Sing

2010年01月25日 | Weblog
686、カーネギー・ホール」でカーネギー・ホールではクラシック以外にいろんなジャンルの音楽が演奏される、と書きましたが1891年創設当時はクラシック専門のホールだったようです。
1938年にベニー・グッドマン楽団がここで初のジャズコンサートを行いました。
というより、クラシック以外の音楽を初めて演奏するという偉業を成し遂げ、黒人の音楽ジャズが白人の社交場へと進出しました。
このとき演奏した「Sing、Sing、Sing」は、スウィング・ジャズの代表曲の一つとして知られていて、同楽団の代表曲です。
それ以降、カーネギー・ホールでいろんなジャンルの音楽が演奏されるようになり、その先駆けになりました。
1963年のアイ・ジョージ以後、多くの日本人歌手がこの舞台に立ちました。
世界的に活躍するフジコへミングウェイ、五嶋みどりなどの音楽家たちもカーネギー・ホールで演奏しています。
「Sing、Sing、Sing」は最近の日本の映画「スウィングガールズ」で演奏され、若い人にも知られるようになりました。

1年ほど前に、「英語で歌おう・Sing、Sing、Sing」というグループを作って英語の歌を歌っています。
Amazing grace、聖者の行進(When The Saints Go Marchin' In)、The Rose、虹の彼方に(Over the Rainbow)、I Will Follow Him(天使にラブ・ソングを)、Sing、他。
グループ名を考えたとき、Singという言葉が浮かびました。
「Sing」1つではさびしいので、3つ並べて「Sing、Sing、Sing」にしました。
ジャズの「Sing、Sing、Sing」とは全く関係ありませんがグループを紹介すると、ベニー・グッドマンの「Sing、Sing、Sing」と関係あるの?とよく聞かれます。
ちなみに、グループのテーマ曲はカーペンターズの「Sing」です。
You Tube
ベニー・グッドマン楽団
スウィングガールズ
カーペンターズ

686、カーネギー・ホール

2010年01月24日 | Weblog
57丁目と7Aveの角に音楽の殿堂、カーネギー・ホール(Carnegie Hall)があります。
鉄鋼王アンドリュー・カーネギー によって建てられたコンサートホールで、クラシック、ポピュラー、ジャズなど、ジャンルを超えた音楽の演奏が行われます。
2804席を持つメイン・ホールは5階まで客席があり、初めて中に入った時はその大きさに驚きました。
「ここがあの有名なカーネギー・ホールか」と感慨に浸ったものです。
カーネギー・ホールでコンサートをするということは、アメリカはもちろん全世界の音楽家たちにとって夢で、檜舞台です。
日本人で初めてこの舞台に立ったのはアイ・ジョージ(1963年)です。
私はこのニュースを聞いたとき中学生で、カーネギー・ホールがどんなところか知りませんでしたが「すごいな」と思ったことを覚えています。

かつてはニューヨーク・フィルの本拠地でしたが、リンカーン・センター開設(1962)後はその拠点をリンカーン・センターに移しています。
音響効果の良さは定評があり、リンカーン・センターよりも良いという話をよく聞きました。
1960年には老朽化したことを理由にいったんは取り壊しが決まりましたが、名バイオリニストのアイザック・スターンらの努力によって存続が決定し、86年には大規模な改修が行われました。
1991年には盛大に100周年記念の行事が行われ、カーネギー・ホールが今も音楽家たちにとって夢の舞台で、桧舞台であることにかわりありません。
建物は重厚な作りで歴史を感じます。
演奏会のある日は57丁目の正面入口にリムジンが何台も横付けされますが、私もリムジンを運転していた頃、お客を連れてよく行きました。

685、ハードロックカフェ

2010年01月23日 | Weblog
57丁目を東に進むと8Ave、ブロードウエイ、7Aveと続きます。
この辺りは高いビルが並ぶオフィス街で人通りも多くなります。
通りに面して高級ショップやレストランが並びますが、一際目に付いたのがハードロックカフェ(Hard Rock Cafe)で、ビルの壁に突き刺さったキャデラック(?)は目立ちました。
現在、ハードロックカフェはタイムズ・スクエアに移転し、57丁目にはありません。
タイムズ・スクエア店のビルの壁には、車は刺さっていないと思います。
ハードロックカフェはハンバーガーを中心としたアメリカ料理のレストランで、カジュアルな雰囲気で若者を中心に人気があります。
世界中に120店舗以上展開していて日本も大都市圏にあります。
ハードロックカフェ日本版・公式サイト

684、支持率急落中

2010年01月22日 | Weblog
アメリカのオバマ大統領が20日、就任1年目を迎えました。
「変革・チェンジ」をスローガンに掲げ、黒人初の大統領として大きな期待を受けて誕生しました。
しかし、200万人が集まった就任式当時の熱気は冷め失望感が漂い始めています。
経済の低迷、高い失業率、泥沼化するアフガン問題、難航する医療保険改革など「チェンジ」が見えてきません。
就任直後は68%に達していた支持率は12月上旬には47%に下落しました。
就任1年で21ポイントの下降は過去半世紀で最大です。
エドワード・ケネディー前上院議員(民主党)の死去に伴うマサチューセッツ州の上院議員補欠選が19日行われましたが、自ら応援に駆けつけた民主党の候補が敗れ、オバマ大統領の神通力も失われつつあります。
マサチューセッツ州は伝統的に民主党の基盤が強く長年2議席を独占してきました。
当初は民主党の圧勝と思われていましたが逆転で敗れ、共和党が31年ぶりに議席を獲得しました。
今年は中間選挙の年で、上院の3分の1、下院の全議席が改選されますが、ここで敗れるようなことがあれば議会運営は苦しいものになるでしょう。
一時的なブームで大統領になり、その後の政策で支持率を失うのはカーター元大統領と共通するものがあります。

一方、日本の鳩山首相の支持率も急落しています。
こちらも「政権交代」をスローガンに昨年の総選挙で圧勝し、大きな期待を受け高い支持率でスタートしました。
しかし、政治と金の問題、迷走する米軍普天間飛行場移設問題、依然続く景気の低迷と失業など難問山積みで支持率は急落し、こちらも「変化」が見えません。
両首脳にとって2010年は正念場の年になるでしょう。