ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

1445、釣るだけよ

2012年02月29日 | Weblog
1417、今年もダメ」で榛名湖と赤城山大沼の氷上ワカサギ釣りが今年も中止になったと書きました。
県の調査で赤城山大沼のセシウム濃度が3回連続暫定基準値(1キログラム当り500ベクレル)を下回ったため、27日釣り解禁を認め、3月1日解禁です。
大沼のワカサギ釣りは例年9~3月が漁期ですが、去年8月の調査で暫定基準値を超えたため自粛が続いていました。
1カ月間だけのワカサギ釣りです。
27日の調査では基準値を下回ったとはいえ480ベクレルが検出されているため、4月から一般食品で適用される新規制値(同100ベクレル)を上回り、赤城大沼漁業協同組合の監視員が釣った魚をすべて回収します。
愛好家や地元では「釣りだけでも解禁」を望む声が強く、釣るだけの楽しみです。
釣ったワカサギを天ぷらにして食べると美味しいのに、こちらはおあずけです。
上の写真は赤城山と大沼ワカサギ釣り風景。
1411、すそ野は長し」も参照

1444、10日遅れ

2012年02月28日 | Weblog
西日本や東海では24日(金曜日)ごろから花粉が飛び始め、関東でも26日(日曜日)ごろから飛び始めたようです。
例年に比べ10日遅れの花粉シーズン突入です。(梅の開花は3週間遅れ。)
(去年は16日ごろ飛散開始。)
3月に入ると寒さが緩み花粉の飛散量が増え、本格的な花粉シーズンが到来します。
飛散量は去年の3割程度と予想されていますが、花粉症の人はこの時期は憂鬱だと思います。
私は花粉症には縁が無いので、この時期は日々春めいてくるのでウキウキです。(早春賦の世界)

335、ヘイ・フィーバー」で昔は花粉症という言葉はなかった?、と書きました。
先日カラオケに行ったとき60歳くらいの女性が「若いころデートで山の方へドライブするとくしゃが止まらなかった。当時は花粉症とは知らなかったが今思うとあれが花粉症の始まりだった。」と言っていました。
彼女はそれ以来40年間花粉症に悩まされているそうです。

1443、お粗末でした

2012年02月27日 | Weblog
世紀の発見も?
昨年9月に発表された素粒子ニュートリノが光より速く飛ぶとした実験結果が間違っている可能性が出てきました。
速度の測定に使用した全地球測位システム(GPS)とコンピューターをつなぐ光ファイバーケーブルに緩みが見つかりました。
これでは正確な速度を計測できず、「アインシュタインの相対性理論と矛盾する」と注目された実験結果に疑問符です。
実験は2009年に開始され、スイス・ジュネーブ郊外の欧州合同原子核研究所(CERN)から約730キロ離れたイタリア中部の研究施設にニュートリノのうちミュー型と呼ばれるものを飛ばし、到達時間を最新のGPS技術などを使って精密に測定したものです。
約1万5000回の実験を繰り返し、光速(秒速約30万キロ)よりもニュートリノが60ナノ秒(1億分の6秒)速く到達するとの結果が出ていました。
ニュートリノは電子の10万分の1以下ですが質量を持っています。
相対性理論は「質量を持つ全ての物質は光速を超えることができない」としていて、実験結果は同理論を揺るがすものとして注目されていました。
1万5000回も実験を繰り返しても、ケーブルが緩んでいたのでは世界の最先端の実験としてはお粗末でした。
これには博士も「それ、見たことか!」と、パイプをくわえて余裕の笑みを浮かべているかもしれません。
1289、博士もびっくり」を参照

1442、3週間遅れ

2012年02月26日 | Weblog
梅の便りが届くようになりましたが、今年の冬は寒さが厳しかったので開花が遅れているようです。
昨日、畑に行ったらいろんな花が咲いていました。
スイセン、菜花、ロウバイは満開でしたが梅は蕾のままでした。(上の写真中央)
でも春は確実に近づいています。
梅の蕾ももあと2~3日で開くでしょう。
去年、「1055、春のけはい」を書いたのは2月5日でした。
畑の標準木(上の写真中央)は去年の写真と同じ木で、去年は2月初めに開花しました。
3週間ぐらい遅れています。
種類によっては開花した木もあります。(標準木のすぐ下)
グレープフルーツは今が食べごろです。

1441、卒業シーズン

2012年02月25日 | Weblog
昨日(24日)、昼のNHK「金曜バラエティ」で卒業式でよく歌われる曲を紹介し、ゲストの3人(1組)がそれぞれ代表的な歌を歌っていました。
秋川雅史:旅立ちの日に
石井 聖子:BELIEVE バックコーラス(ジャミン・ゼブ)
ジャミン・ゼブ:さくら(森山直太朗)
冒頭全員で「仰げば尊し」を歌いましたがジャミン・ゼブの4人は歌ったことがなかったそうです。
「仰げば尊し」は1884年(明治17年)に発表された文部省唱歌で、長い間卒業式の定番ソングとして親しまれてきました。
最近はあまり歌われなくなったようです。
ある年代以上の人にとっては「卒業式」といえば、この曲を思い出します。
長年、作者不詳の謎の曲と言われてきましたが、昨年(2011年)アメリカにその原曲があったことが発見されました。

ジャミン・ゼブの歌を久しぶりに聞きましたが、相変わらずのすばらしいハーモニーでした。
625、ジャミン ゼブ」を参照

昨日午後カラオケに行ったら、平日なのに高校生が大勢来ていました。
期末試験が終わったのか(?)、リラックスした様子でした。
卒業式も間近です。
私はSPEEDの "my graduation" を歌いました。
10年位前に覚えましたが難しく苦労しました。
久しぶりに歌いましたが高校生(中学生)の心情がよく表現されています。
4人は解散(卒業)後それぞれの人生を歩んでいます。

上の写真はNHK(金曜バラエティ)より

1440、ダル、キャンプイン

2012年02月24日 | Weblog
大リーグ・レンジャーズのバッテリー組のキャンプイン(23日)に向けダルビッシュ有投手は22日、自主トレを公開しました。
日本から駆けつけた両親や日米の報道関係者が見守る中投球練習し、クールダウンで左投げのキャッチボールをしました。
これは左右のバランスを意識したもので、日本でもやっていたものです。(上の写真)
球団社長で奪三振王のノーラン・ライアン氏の期待も大きいようです。

1405、レンジャーズへ」を参照
いよいよキャンプインでダルビッシュ投手のメジャー1年目が始まります。

一方、アスレチックスからフリーエージェント(FA)になった松井秀喜外野手は22日、成田空港から所属先が決まらないまま渡米しました。
米国内でトレーニングを続けながらオファーを待つ方針で、松井のメジャー10年目はあるのか?
1435、松井はどこへ」を参照

1439、同じ気持ち

2012年02月23日 | Weblog
2月20日の読売新聞 “追悼抄”に社会部記者の飯田真優子氏の記事が載っていました。
「遺品の思い出」と題して、昨年4月に亡くなられた大賀典雄氏と奥様のエピソードが書かれています。
シューベルトの「ロザムンデ」間奏曲第3番に夫婦で感動したのは3年前の演奏会。
優しさともの悲しさを湛えたメロディーに、妻の緑さんが「すごく素敵な曲。私のお葬式ではこの曲を流して」と言うと、「自分も」と応じたそうです。
世界のソニーを率いた典雄氏と、夫を支えた夫人の気持ちが一致していたようです。
1145、追悼コンサート」を参照

1438、フィーバー続く

2012年02月22日 | Weblog
19日にニューアーク南郊の墓地に埋葬され永遠の眠りについたホイットニー・ヒューストンさんの墓にファンが押し寄せ、墓地側は警察を呼んで閉鎖する措置を取りました。
埋葬された場所にはまだ墓石はありませんが大量の花や風船などが置かれています。
ファンのために墓地に入れるようにしましたが予想以上のファンが訪れ、今後対処しきれなくなるとの懸念から閉鎖を決定したようです。
また、「ボディガード」でホイットニーさんが着用したドレスがオークションに出されました。
出品者はフィーバーが続く「今が売り時」と判断したようです。
日本でも映画「ボディガード」のDVDレンタルが急増し、「オールウェイズ・ラヴ・ユー」をはじめとしたCDが売れに売れ、品切れ状態の店もあるようです。
テレビ各局は追悼企画として映画「ボディガード」の放映を予定しています。
突然の死は世界中に衝撃を与え、葬儀の模様は世界中に配信されました。
中国でも関心は高かったようで中国版ツイッター”と呼ばれる簡易投稿サイトでは、13日正午時点で関連投稿数が約4万件に上りました。
このブログもフィーバーしています。

1437、ニューアーク

2012年02月21日 | Weblog
ホイットニー・ヒューストンの故郷ニューアークはニュージャージー州にある町ですが、マンハッタンのすぐ西にあり、ニューヨーク市の一部のような感じです。
マンハッタンで働く人も多く車やバス、Path Trainなどで通勤します。
5、ニューヨークって何処?」の地図を見るとわかると思います。
ニュージャージー州で最も大きな町でダウンタウンには高いビルがあります。
ホイットニーの葬儀が行われた教会はダウンタウンの北の住宅街にあります。(上の写真)
ニューアーク国際空港はケマンハッタンに近く、多くのビジネス・パースンや観光客に利用されていて私もよく利用しました。
ニューアークはトレードセンターの真西にあり、トレードセンタからその町が見えました。
アフリカ系アメリカ人(黒人)の友人が住んでいたのでときどき行きました。
黒人の比率が高く治安はあまり良くありませんでした。(ヒスパニックや他の人種も多く住んでいます)
104、ニューヨークの灯台」で旅行から帰ったバスからトレードセンターが見えた、と書きましたが、左にニューアークの町が見えました。
下の図
赤丸:ニューアーク
黄丸:ワールド・トレードセンター(グランドゼロ)
緑丸:自由の女神
青丸:バスの位置


この町はホイットニー・ヒューストンと、もう一人の歌姫コニー・フランシスを生んでいます。

サラ・ヴォーンもニューアーク出身。
A Lover's concerto

1436、歌姫故郷に眠る

2012年02月20日 | Weblog
今月11日に急逝したホイットニー・ヒューストンさんの葬儀が18日、生まれ故郷のニュージャージー州ニューアークで営まれました。
幼少時代に聖歌隊の一員として過ごした思い出の「The New Hope Baptist Church」に家族や友人1,500人が参列し、世界的な歌姫にふさわしく、音楽と祈りに包まれた式でした。
映画「ボディーガード」で共演したケヴィン・コスナー氏が弔辞で「20世紀最高の歌手の一人として彼女の名前が挙げられるべきだ」と讃え、「ホイットニー、いま聞いているのなら言うよ、たいへんな偉業を成し遂げた」と声を詰まらせながら別れの言葉を述べました。
教会の外には多くのファンが集まり彼女の歌を歌い、祈りが捧げられました。
葬儀の模様はテレビやインターネットで生中継され、全米(全世界)が歌姫に別れを告げました。
遺体は19日、ニューアーク南郊の墓地に埋葬され父親の隣で永遠の眠りにつきました。
晩年は多くの困難に直面しましたが全て解放されました。


弔辞を述べるケビン・コスナー氏


葬儀の模様 中央で光るのは棺