ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

18、ブルックリン・ブリッジ

2007年04月30日 | Weblog
ブルックリン・ブリッジ(Brooklyn Bridge)は、マンハッタンとブルックリンの間に最初にかけられた橋で、
マンハッタン島から南東方向に向かって伸びています。
トレードセンターから東を見るとイースト・リバー(East River)に架かる美しい姿が良く見えました。
朝夕この橋をくぐって通勤しました。
全長2,066m(当時は世界最長の吊り橋)で、もともとの名称は“ニューヨーク-ブルックリン橋”といいました。

米国でもっとも古い吊橋の一つで、鋼鉄のワイヤーを使った世界初の吊橋でもあります。
ネオ・ゴシック形式のアーチは、ニューヨークでいちばんシルエットの美しい橋です。
1869年に建設を開始し、14年の歳月をかけて1883年に完成しました。
(日本の明治維新は1868年)
設計者のジョン・A・ローブリングは埠頭を測量中に事故で死亡してしまいます。
息子のワシントンがその後を継ぎますが、橋げたの基礎を作る工事中に自らも潜水病を患ってしまいます。
当時、潜水病は未知の病でこの工事中に20人以上が亡くなりました。
ワシントンは工事中の橋が見えるブルックリン・ハイツから望遠鏡を見ながら橋の建設を見守り、指示を出していました。

この橋は 2層に分かれていて、上は人や自転車が歩いて渡ることができます。
下は片側 3車線の車道です。
ゴシック風のデザインはニューヨークの観光名所のひとつになっており、休日には橋の上をランニングする人々を見ることができます。
途中で休憩する場所がありベンチも置いてあります。

ブルックリン側からマンハッタンに向かって渡るとマンハッタンのビル群が一望でき、
下を流れるイースト・リバーと合いまってその眺めは格別です。
右斜め前にはエンパイアーステート・ビル、左斜め前にワールド・トレード・センターの2本のタワーが見えます。
(2001年9月11日のテロでこの景色も変わってしまいました)




17、ニューヨークのBMW って?

2007年04月27日 | Weblog
BMWというと自動車を思い浮かべます。
もちろんニューヨークでも高級車です。

もう一つは橋の覚え方をいいます。
マンハッタンとブルックリンを結ぶ橋は何本かあり、南に3つの橋が並んでいます。
南からBrooklyn・Bridge、Manhattan・Bridge、Williamsburg・Bridgeの順に架かっています。
ブルックリン・ブリッジ、は石造りの特徴ある橋なのですぐ分かりますが、
マンハッタン・ブリッジとウイリアムズバーグ・ブリッジはどっちがどっちか分からなくなるときがあります。
そういうときに覚える方法として“BMW”があります。
各橋の頭文字をとって南からBMWといいます。
これはニューヨークに住むアメリカ人も同じらしく、この覚え方はアメリカ人から教わりました。

16、サークルライン

2007年04月23日 | Weblog
ハドソン・リバー岸のピア83(Pier 83:West 42nd St & 12th Ave)から出発する マンハッタン島を一周するツアーです。
所要時間は約3時間です。
左回りに一周するので絶えず左側にマンハッタンのビル群を見ることになります。
出発してハドソン・リバーを南に向かいます。
すぐにエンパイアステートビルをはじめとするビル群が見えます。
しばらくするとロウアー・マンハッタンに近づきます。
2001年9月11日以前は左にワールドトレードセンターの二本のビルがそびえていました。
右には自由の女神が見えます。
ハドソン川からニューヨーク港に入ります。
この辺りから見るマンハッタンは海に浮かんでいるようです。
マンハッタンの最南端バッテリーパークを回ってイースト・リバーに入ります。
左側はウオール・ストリートをはじめとする金融街です。
サウス・ストリート・シーポート・ミュージアムを見ながら北上します。(この辺には日本の築地のような魚市場があります。)
石造りのブルックリン・ブリッジを頭上に見ながらさらに北上します。
しばらくすると銀色に輝くクライスラービルや国連ビルが見えてきます。
ミッドタウンのビル街を過ぎるとマンションが立ち並ぶ住宅街になります。
この間にブルックリン・ブリッジに続いて、マンハッタン・ブリッジ、ウイリアムズバーグ・ブリッジ、クイーンズ・ブリッジをくぐります。
船はイースト・リバーからハーレム・リバーに入り、北端を回って再びハドソン・リバーに戻ります。
この辺りは緑が多い住宅街で変化がありません。
2時間を過ぎ少々退屈気味になったところにジョージワシントン・ブリッジが見えてきます。
マンハッタンに架かる最大の橋で対岸はニュージャージー州です。
3時間のクルーズが終わると“やれやれ”という感じです。
見所は最初の1時間半くらいで後は単調な旅になりますがこの船に乗るとマンハッタンが島であることが良く分かります。

15、FDRドライブ

2007年04月21日 | Weblog
マンハッタン島の東側を走る高速道路でほとんどが高架になっています。(通行料は無料)
正式な名称はFranklin D .Roosevelt. East River Drive(フランクリン・D・ルーズベルト・イーストリバー・ドライブ)
イーストリバーに沿って最南端のバッテリーパークの下(この部分だけトンネルになっている)を抜けたところまで走り、片道2車線です。
途中で乗り降りできる(大きな通り:42丁目や34丁目など)のでマンハッタンをすばやく移動するのに便利です。
また、マンハッタンで働く人の通勤道になっています。
東京の首都高のモデルになっていますが首都高ほどの渋滞はありません。

私はトレードセンターで働いていたとき毎日この道を利用していました。
行は朝日を受けキラキラ輝くイーストリバーを見ながら、帰りはマンハッタンの夜景を見ながら通いました。
冬の寒い朝、イーストリバーが湯気のように白く覆われるのが印象的でした。
この現象は一冬に2、3回起こります。

*Franklin D. Roosevelt:(Franklin Delano Roosevelt)
第32代アメリカ大統領。
アメリカ史上唯一4選された大統領でニューヨーク州出身。
FDRドライブは完成当時の名前はイーストリバー・ドライブでしたが後にこの名前が付けられました。

14、ちょっとギャンブルでも!

2007年04月18日 | Weblog
今回はニューヨークを離れ隣のニュージャージー州アトランティックシティに行きましょう。
アトランティックシティは、大西洋岸に沿ったニュージャージー州南部に位置しています。
ニューヨークから車で2時間ちょっとです。
この町は大陸に沿って点々と連なる島の一つ、アブセコン島(Absecon Is)に開けた町で
本土とは幾つかの橋で結ばれています。
付近一帯は昔から避暑地として栄え、海岸沿いのプロムナード(7マイルに及ぶ板敷きのボードウォーク)には商店やカフェ、娯楽施設、映画館、水族館などが並んでいます。
日光浴と水泳を楽しめる美しい砂浜のビーチがあり、水泳やサーフィン、テニス、ゴルフ、サイクリングなども楽しめます。
おいしいシーフードの店もたくさんあります。
また、毎年9月上旬にミス・アメリカのページェントが開かれることでも知られています。

しかし、リゾートとしての人気はフロリダやハワイなどに押され客足も遠のいていったようです。
そこで1976年、州民投票でカジノ・ギャンブリング(賭博場)法案を可決し全米の注目を集めました。
それまで賭博場が公認されていたのはネバダ州だけでした。
今日、海岸通りには巨大なカジノ・ホテルが建ち並んでいます。
これらのホテルは1、2階がカジノやレストランで上階がホテルになっています。
カジノの内部はきらびやかな装飾、まばゆいほどの明かりが輝いています。
これらカジノの派手すぎる建築と規模の大きさには圧倒されます。
そこではラスベガスで見られるようなミュージカルやバラエティーショーをよりお手頃価格で提供しています。
また、華やかなエンターテイメントも開催されます。
有名なスターのショーやボクシングの世界タイトルマッチなどが行われます。

ニューヨークからアトランティックシティにバスが毎日運行されています。
41st Stと8th Aveの角のバスターミナルから幾つかの主要バス会社が運行しています。
バス代は20ドルでしたが同じ額のカジノでの食事券やギャンブル・チップがもらえました。(今は25~30ドル位だと思います)
これはまるで無料旅行のようです!
このようなバスはニューヨークの至る所からでていて、他の主要都市からも同じようなバスがたくさん来ていました。
カジノ側としてはバス代を負担しても客が来ればそれ以上のお金を使ってくれます。

私も一時カジノに凝って、週末にはこのバスで通いました。
スロット・マシーン、ルーレット、ポーカー等いろんなギャンブルがありますが、私は専らブラックジャックでした。
半円形のテーブルの中にディーラーがいて、客がその前に座ります。
1対1でも勝負できますが、通常は5~6人が座ります。
しかし勝負はあくまでディーラーと客の1対1の勝負になります。
図を参照:このようなテーブルが何十個も並んでいます。
詳しいルールについては機会があったら書きますが「必勝法」なる本もでていて、真剣に研究したこともあります。
カード(トランプ)を使ったギャンブルです。
最近テレビでよく見る前田知洋などのクロスースアップ・マジックを見ていると全てディーラーに踊らされて“勝った、負けた”と一喜一憂していたように思われます。
当時から“そのカードは絶対出ない”と思うカードが出たりして不思議でした。
“ディーラーは自由にカードを操作できる“とは言われていましたが。
勝ったときは帰りのバスの中で“うきうき”でしたが、負けたときはがっかりして“もう二度と行くもんか”と思うのですが、また行ってしまいます。
これはどんなギャンブルでも同じなんでしょうね。
1年くらいで卒業しましたがトータルするとマイナスでした。

アトランティックシティはニューヨーク、ワシントンDC、シカゴ、フィラデルフィアなどの大都市圏が近くにあります。
砂漠の中にあるラスベガスより人を集めやすく、カジノの売り上げはラスベガスを超えたと言われていました。

この辺りの海岸沿いにはケープ・メイ(Cape May)やストーンハーバー(Stone Harbor)のような漁港やリゾートの町がたくさんあります。
ケープ・メイを車で旅行していたとき、巨大な風車が何本も立っていました。
最初は何の目的か知りませんでしたが、風力発電の装置でした。
最近は日本でも見かけます。(強風で倒れ、ニュースになりました)

13、セントラルパークの主な施設

2007年04月16日 | Weblog
①、コロンバス・サークル:59th StとCentral Park Westにある公園への南の入り口で、ブロードウエイが斜めに横切っています。
映画「タクシードライバー」のロケ地にもなりました。

②、アンパイアー砦:この岩に残る傷跡は、2万年前の氷河期の巨大な氷によるもので、古代ニューイングランド地方にそびえていた山の一部が運ばれ、氷に削り取られたものです。

③、ウールマン・リンク:59丁目から入ると池のすぐ北側にあり、春から秋にかけては、ローラスケートやインラインスケート、冬はアイススケートが楽しめます。

④、回転木馬:1908年に造られたアンティーク・メリーゴーランド。

⑤、Dairy(ディアリー):ビジターインフォメーション・センターで、セントラルパークの地図や季節の変わり目ごとに発行される季節行事のカレンダーが手に入ります。

⑥、動物園:2つあります。1つは幼児向きのもので、もう1つはライオンや像、白熊、ゴリラ、チンパンジーなどがいる本格的なものです。
私の家内は妊娠中医者から毎日1時間歩くように言われセントラルパークを散歩コースにしていました。子供が生まれてからは動物園によく行きました。

⑦、タバーン・オン・ザ・グリーン:公園内で一番高級なレストランで一年中ライトアップされています。
故ジョン・レノンの誕生パーティーも毎年ここで行われ、映画にもしばしば登場します。

⑧、ストロベリー・フィールズ:ジョン・レノンの死後、代表曲「ストロベリーフィールズ・フォーエバー」にちなみオノ・ヨーコによってデザインされた、涙のしずく形をした一角。
レノンが凶弾に倒れたダコタハウスはCentral Park Westを挟んですぐ西、72th Stの角にあります。

⑨、シープメドウ:1934年まで実際に牧草地として使われていました。
芝生のきれいなところで、ニューヨーカーが思い思いの時間を過ごす憩いの場所です。

⑩、ノームバーグ野外音楽堂:野外コンサートや子供向けのアトラクションなど、さまざまな催し物が行われます。

⑪、ベセスダの噴水:1973年に建てられた天使の像が立つ噴水。公園のランドマークにもなっていて、そのロマンティックな景色は多くの映画にも登場しています。

⑫、ランブル:ランブルとは「そぞろ歩きをする」という意味で木々が密集し、小川が流れ、バードウオッチングもできる“セントラルパークの秘境”

⑬、デラコルテ・シアター:野外劇場で夏のみ使用され、おもにシェイクスピア劇を上演します。

⑭、メトロポリタン美術館:セントラルパークの東側、5番街に面した大美術館(1902年築)
コレクションとスケールの大きさで、パリのルーブル、ロンドンの大英博物館、サンクトペテルブルクのエルミタージュと並ぶ世界4大ミュージアムのひとつです。
コレクションは、先史時代から近代まで5000年にわたる芸術作品を網羅しています。
コレクション数は200万点にもおよび、世界中から毎年500万人以上が訪れます。
コレクションの約4分の1(50万点)が展示され、残り4分の3は収蔵庫に眠っています。
入場料:寄付(donation)をします。金額はとくに決められていませんが「大体このくらいが適当」という額が書かれています。
大人の希望料金$20、シニアの希望料金$15、学生の希望料金$10。会員および大人同伴の12歳未満のお子様は無料。
これよりも多くても少なくてもかまいません。
私が最初に行った1974年は50セントくらいだったと思います。

⑮、貯水池:1994年に亡くなった、ジャクリーン・オナシス・ケネディはこの周りをよくジョギングしていたのでJacqueline Kennedy Onassis Reservoirと名前がつけられました。
彼女はメトロポリタンミュージアムの向かい、5番街を挟んだマンションに住んでいました。

⑯、テニスコート:クレーコートが26、オールウェザーコートが4面あり4月から11月まで使用可能です。
市営のコートで1年間有効の会員証があればいつでも使用できます。(会員でなくても使用料を払えば利用できる)
市営のコートはニューヨーク市のいたるところにあり何処でもプレイできます。
私はクイーンズやブルックリンのコートでテニスを楽しみました。
年会費は当時35ドルくらいでした。

⑰、コンサバトリーガーデン(庭園):右にはフランス様式のノースガーデン、左にはイギリス様式のサウスガーデン、真中にはイタリア様式のセントラルガーデン、ノース&サウスには春夏秋と色とりどりの花が咲き乱れ、セントラルには見事なほどの芝生が広がります。個人所有の庭園で、週1回は庭園内を見て回るツアーもあるほど、季節ごとに素晴らしい花や緑で覆われます。


12、セントラルパーク NO,2

2007年04月14日 | Weblog
セントラルパークは南北2.5マイル(約4km)、東西1/2マイル(約0.8km)。
一周すると約10kmで 皇居のほぼ倍になります。
面積は843エーカー(約3.4k㎡)でマンハッタンの18分の1を占めていてます。
東京の日比谷公園は同公園をモデルにしています。

毎年夏、ニューヨーク・フィルハーモニーが広い芝生の上で屋外コンサートを開き、メトロポリタン・オペラも2回の公演を行います。
またニューヨーク公立劇場が"シェークスピア・イン・ザ・パーク(Shakespeare in the Park)"公演を行います。
他にダイアナ・ロスや多くのアーティストがここでコンサートを開きました。

1981年9月19日にはサイモン&ガーファンクルが再結成チャリティコンサートを開き53万人もの観衆を動員しました。
この夜、私はコンサートが行われている横の5番街を歩いていていました。
彼らの歌声が耳に入ってきましたが、また次の機会があると思って聞きに行かなかったのが、今でも悔やまれます。
チャンスは2度と来ないものです。

写真はセントラルパークでのコンサート風景(サイモン&ガーファンクルではありません)
ニューヨークの夏は昼が長い(夏時間)ので8時頃でも夕日に照らされている。

11、セントラルパーク

2007年04月11日 | Weblog
4月中旬、この時期になりとセントラルパークの木々が芽生え、待ちに待った春がやってきます。
人々は色付き始めた芝生に寝転び、春の日差しを満喫します。
犬を散歩させる人、ベンチで日向ぼっこする人、ジョギングする人などさまざまです。
セントラルパークには桜の木もあり、ニューヨークっ子を楽しませてくれます。
特にニューヨークに滞在する日本は心が和みます。

セントラルパークはその名の通りマンハッタンの中央に位置する緑の美しいオアシスで、
周囲の高層建築と美しいコントラストを見せています。
中を馬車で散策でき、車でドライブすることもできます。

湖や動物園、野球、フットボール、テニスコート、スケートリンクなどの施設もあり、
広場ではフォークコンサートやロックコンサートなどが開かれます。
また、メトロポリタン美術館やジョン・レノンの記念碑的公園である「ストロベリーフィールズ」もセントラルパークの中にあります。
個々の施設については追々書いていこうと思います。

10、トレードセンターの生き残り

2007年04月09日 | Weblog
トレードセンターで働いていたとき、オフィスに観葉植物が何本かありました。
そのうちの一本に横芽が出てくる木があり、その芽をかいて家で育てていました。
それを日本にもって帰りました。
名前が分からずにいましたが、園芸店などで調べると「青年の樹」に似ているような気がします。
全てが灰塵と帰してしまったなか、トレードセンターで芽生えた木が日本で生き続けています。

9、テロに遭遇

2007年04月06日 | Weblog
1993年2月26日。
その日は私がトレード・センターで働く最後の日でした。
No,1「出発と帰国」で記したように、1993年3月16日にニューヨークを発って日本に帰国する予定でしたので、2月一杯で会社を辞めることになっていました。
2月26日(金曜日)、トレードセンター隣のレストランで昼食を兼ねた送別会を開いてもらっていた時です。
12時半頃だったと思いますが、突然「ドカーン」という大きな音がして、みんなびっくりして「何だろう」と話していました。
しかし、その時は何が起きたのか分からずに家に帰りました。(この日は最後ということで半日で帰りました。)
家に着いてテレビをつけたら「トレードセンターがテロにやられて大変なことになっている」というニュースを放送していました。

地下駐車場2階で爆発物を満載したバンが爆発し、多くの怪我人がでている様子でした。
地下鉄も封鎖され、もう少し帰るのが遅かったらその日のうちに家に帰れなかったかもしれません。
この日は最後ということで地下鉄で会社へ行きましたが、トレードセンターの地下駐車場はいつも車を止めていた場所でした。

後で知ったことですが、この時のテロで6人が殺害され、1000人以上が負傷しました。
この時はタワーは倒壊しませんでしたが、電気系統や電話回線も全て寸断され、その煙は両タワーの93階まで上昇し、充満しました。
テレビに映る助け出された人もススで顔中真っ黒でした。
それから8年後の2001年、2度目のテロで7つの建物からなるトレードセンターコンプレックスは完全に無くなってしまいました。

2006年に公開されたオリバーストーン監督の映画「ワールドトレードセンター」は2001年のテロで救助に向かった警察官の語です。
突入直後にビルが倒壊し生き埋めになってしまうが奇跡的に助け出された実話を元に製作されたストーリーです。
この映画の中でも「93年のテロ」という言葉が何度か出てきます。