バイユー ゲイト 不定期日刊『南風』

ブルース、ソウルにニューオーリンズ!ソウルフルな音楽溢れる東京武蔵野の音楽呑み屋バイユーゲイトにまつわる日々のつれづれを

石立鉄男がスターだった頃

2008-04-09 | テレビ番組

一昨日深夜、帰宅後なんとなくテレビをつけたら石立鉄男が出ていた。懐かしの『パパと呼ばないで』。主演:石立鉄男 子役:杉田かおる。2
そう、石立鉄男は子どもの頃テレビの大スターだったのだ。脇役ではなく、看板スター。当時を知らない人にはちょっと信じ難いとは思うけど…。
この夜放送されていたのは第1回。ちょうど始まったところだったようだった。会社の同僚宅で朝まで麻雀をやった石立鉄男が電車で帰宅する場面。当時の、昭和の東京が画面にあらわれる。時は1972年、昭和47年の東京だ。住宅街を行く石立鉄男。72年の東京は知らないけれど、72年の高知県のことなら知っている。いや、72年の東京だってテレビの画面を通してよーく知っている。この頃はテレビが世の中の共通メディアだった。
まったくありきたりに、懐かしい。こうだったよなぁ。と思う。
この時代よりもう少し前(トニー谷やクレイジーキャッツの映画等)の映像を見ても、同じ匂いがある。そしてもうすこし後、昭和50年を過ぎたあたりもまだ30年代から繋がった時代だという気配がある。いったいどのあたりで街の匂いが変わってしまったのだろう?
なーんてことを考えながらドラマを見続けてしまった。すぐ寝るつもりだったのに。石立鉄男のファンというわけでもないのに…。
そう、それだけ面白かったのだ!特に意味深いとか感銘を受ける、グッとくるなんてことがあるわけでもないのだけれど、面白い。第1回にしてこの先1年間、お茶の間を引きつけるだけの力に満ちている。大ヒット作だからあたりまえなのだけれども、この時代のこうした”作り物”の持つ、いや目指した”普遍性”というのは強力なものがある。
より多くの人を引きつける。その雄々しく素敵な立ち位置が、いつから産業的で無機質なつまらないモノと同義語になってしまったんだろう。そしていつしか時代はクソったれな1980年代へと繋がってしまうのだ。いや、一回切れてしまったのだと思う。
例えばかつての歌謡曲の普遍性が持つ人格、には強烈な個の香りがあった。個人的でありながら目指す普遍性、大衆性。ハナから志が違うのだ。
あ~匿名やアンケート、調査?とかいうものの罪は大きい、と今更ながら思います。
石立鉄男さん、時代を代表するテレビスターだったんですよ。驚きです。Photo そして画面の中の彼は驚くほどキラキラしている。主演ドラマをゴールデンタイムに連発していました。『水もれ甲介』も見てたなあ。。。

『パパと呼ばないで』第1回、別に「このドラマ好き!」とまでいかなくても来週も観たんだろうなあと思わせる出来でした。昨年亡くなってしまったのがなんだか不思議な気がします。


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