バイユー ゲイト 不定期日刊『南風』

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深澤晟雄という人を知りました

2011-06-03 | 日記・エッセイ・コラム

『深澤晟雄』さんという人を私、恥ずかしながら知りませんでした。

ふかざわまさおさん。1957年から65年まで岩手県沢内村(現・西和賀町)の村長として「豪雪・多病多死(特に乳児死亡)・貧困」の追放を目指し尽力、いや闘った方です。知ってる人にとっては「え?知らなかったの??」なのだと思いますが…。

当時の沢内村は貧困に喘ぎ、乳児死亡率も6%(東京では約2.7%)を超えていたそうです。豪雪のため道は閉ざされ医者にかかることもできない状況のうえ、開業医はなく診療施設に派遣されてくる医師は問題のある者が多く、なかには薬物中毒者もいる有り様であったとのこと。 また、貧困のため病院にかかることは家の財産を失う、という考えも根強く治療を受けずして死ぬこともあり家計の負担にならないよう自殺する高齢者も少なくなかった。
医者には死亡診断書を書いてもらう為に行くという状況を憂いて村長を志した深沢さん。彼は生命尊重の志のもと~逆境の中多くの困難と戦い、ブルドーザーやバスの導入による豪雪期の交通の確保、そして優秀な医師を持つ病院整備に成功。更に1歳未満児と60歳以上に国保10割給付を断行し遂には乳児死亡ゼロを達成したのでした(地方自治体初の快挙)。
ゼロですよ、ゼロ!62年、昭和37年の話です。

乳児と高齢者の医療費無料化については時の岩手県庁から国民健康保険法違反として待ったがかかったのですが
深澤村長は
「国民健康保険法に違反するかもしれないが、憲法違反にはなりませんよ。憲法が保障している健康で文化的な生活すらできない国民がたくさんいる。訴えるな らそれも結構、最高裁まで争います。本来国民の生命を守るのは国の責任です。しかし国がやらないのなら私がやりましょう。国は後からついてきますよ。」
と語り村議員達を説得、断行した。

しかし、生命尊重の政策は財政面ではすぐに結果を出せなかったのでしょう
二期目の村長選では財政問題などを突く相手を迎え苦戦した。
その時に訴えた言葉がこれ
「生命の商品化は絶対に許されません。人間尊重・生命尊重こそが政治の基本でなければなりません」
応えた村民、投票率は90・1パーセント。わずかに305票差で勝利を収め奇跡的な成功へと歩み始めたのでした。

うーん。すべてがあまりに情けない現状と違いすぎる。

政治家とは職業ではなく他者の為、社会の為、理想のために殉じる役割では?などと考えるのはあまりにナイーブに過ぎるのでしょうか?「青いね」と言われたりするのでしょうか。まぁ戦国時代なんかは己の権力欲で闘っていたのでしょうけどね…。でもオキナワの瀬長亀次郎さんをはじめ、確かにまっとうな人もいたのです。今の国会議員さんにもいる、と思いたいのですが。

65年、食道癌に倒れ59歳で村長のまま世を去った深澤さん。彼の死を悼み、吹雪の中2000人(人口6000人)を越える村人が沿道を埋めて、村長の遺体が福島の病院から帰村するのを出迎えた。
この時の写真が残っているのですが…胸が熱くなりました。
Photo_2
※彼のことは俳優の長谷川初範さんがラジオに出演し、自分の出演作として深澤さんを演じた映画の話をしていて知りました。
『いのちの山河~日本の青空~』時間を作って観ようと思っています。