AD際族

コロナ共存の広告表現の近未来観

生死のインフィニティ(3)

2017-02-18 19:21:06 | アイディアのIdentity

海外での音楽録りで作詞 やコーディネートして頂いたミッシェルさんから、お母様の訃報を彼女のfacebookで知りました。彼女の落胆は言葉に出来ない事でしょう。私もお母様とお会いしました。生を受けてから我々は、死へのタイムラインに向かって生きていくのです。
私の母も数年前に94歳で旅たちました。火葬場で焼かれた骸を見て、足に重たい金具が入っていた事に気づきました。「重たかったろうに、、、。」我々は老いていくなかでいろいろなことを知ります。老いた目で外に出て歩いて見たらどうなんだろう。そう思えば視えてくるものもあるでしょう。





ドイツのFilmakademieで映像制作を学ぶ学生のEugen Merherさんが作成した動画が世界で話題になっておりました。タイトルは「Adidas – Break Free」です。これは世界的スポーツ用品メーカーであるアディダスのCMの形を取った映像作品です。観た目、プロの作品だと思ってしまいました。そのシーンシーンに無駄がないのです。この動画は公開から3週間程度で470万PVを稼ぎ、今でもアクセス数は伸びております。
「Break Free」は自由になる、抜け出す、ふりほどくなどの意味でしょう。
老人ホームで暮らす 元陸上選手として活躍したであろう老人が自分の荷物の中から古いアディダスのランニングシューズを履いて走り出します。入所者たちの驚きの視線の中でホームからの逃亡を目論む老人を介護士たちは捕まえて連れ戻すのです。
トレーニングをしながら繰り返し脱出を計る老人から、介護士たちは遂にシューズを取り上げてしまいます。落胆する老人ですが、彼の努力は他の入所者たちにとっても大きな希望となっていたのです。こっそりシューズとランニングウェアを取り返した入所者たちの盛大な応援の中、老人はもう一度走り始めます。
老人ホームに暮らす老人達や病院で寝たきりになった方々、植物人間になってしまった人々。
みんな生を受けて最後のタイムラインの中で何を残すことができるでしょうか。
「BreakFree」は、老人達を一つ括りで扱うことへの「break through 概念を打ち破る事かもしれません。

P.S
Dear,Michelle SAN
Please accept my deepest condolences.

2月17日(金)のつぶやき

2017-02-18 02:40:57 | 百済ない話