AD際族

コロナ共存の広告表現の近未来観

5月2日(土)のつぶやき

2015-05-03 03:12:47 | 今そこにあるメディアのリスク

アバターのオンとオフ(6)

2015-05-03 01:26:15 | 学問のススメの涙









半年前はプログラミングについて何も知らなかったが今はレイトレーシングのプログラムを作る学生達です。課題はとてもレベルが高く困難を極めるようですが、ひたすら問題を解決して何かを作っていくスタイルは短期間で上達しそうです。それにしても一体どんな生徒が集まってくるんでしょうか。
実はÉcole 42の学生の4割は高校を出ておらず、他はMITや名門校出身などバックグラウンドはばらばら。条件は18から30歳であることで、およそ7万人が志望し、いくつかの試験を経て最終的には890人が選ばれるので、倍率はとんでもないですね。
学校からは問題とテストが出されグループで解いていきますが、それ以外何を学ぶかはすべて自分自身で判断しないといけません。インターネットからプログラミングに必要な情報を得る一方、生徒同士で協力・競争することで常にモチベーションを保ち自己学習をすすめる仕組みです。
明治初期 文明開化の日本では、欧米列強各国に追いつき、追い越せと英才教育がはじまりました。それまでは、寺子屋で男女子供達が皆学び、地方でも名主達が書籍を購入し、農村でも子供達が平等に書籍から知識を得ていたのです。所謂 「小さな図書」です。幕末から明治維新 明治中期迄の日本を、日本を訪れた外国人からの書簡で探った。「逝きし世の面影」でも男女平等に学んでいる姿に驚嘆したそうです。欧米でも女性蔑視で学びの場など無かったからです。École 42の様に、高校を出ていない若者達でも、持っている才能さえあれば、更にそのクリエィティビティを育んでいけるのです。
教育界に新自由主義経済を取り入れた事の弊害は、あまりにもめくらばん的に大学を増やしていった事です。2018年問題はもう直ぐやってきます。脆弱な大学はどうなるのでしょうか?
「edXやCoursera」に「École 42」そして日本の「スーパーグローバル大学」 各々の形がどう未来の学びの形になっていくのか?2018年には「未来への教育のカタチ」の道筋が観えてくるでしょう。確かな事は多くの低層大学が、この数年で潰れていくことです。