AD際族

コロナ共存の広告表現の近未来観

5月21日(水)のつぶやき

2014-05-22 02:57:32 | 今そこにあるメディアのリスク

回文の妙(3)

2014-05-22 00:21:25 | 言の葉の輪転機







先日、お世話になっている弁護士事務所から新聞広告のお仕事をいただきました。
K先生は、日本で働く外国人労働者の法律サポートをなさってます。スペイン語、ポルトガル語、今度は中国新聞の日本版での広告出稿です。ブラジルやチリなどの広告表現のトーンは、海外作品をチェックしているのでわかるのですが、、、。もちろん中国のクオリティの高い作品もチェックはしておりますが、イマイチ言葉の仕掛けがわからずに、、、。で「中国語でも回文あるかな?」とまずは、回文 大先生の巨匠 土屋耕一先生の「土屋耕一のことばの遊び場(糸井重里編)」を拝読させて頂きました。うーん。やはり巨匠は凄い。回文でもちゃんと後ろから読んでも意味ある言葉になっております。中国語も解らずに「回文で作ろう!」意気込みは凄いのですが、いやはや悩んでおります。でその巻末に糸井さんの選んだ土屋先生の名コピーがズラーっとあるのですが、「梅は咲いたか、三楽はまだかいな」1959年、合成酒三楽の新聞広告です。半5段
あれ?このフレーズ 何処かで聞いたな?あれ!何処かで聞いたフレーズだ!





「梅は咲いたか、 Y•M•Oはまだか。」あのYMOの広告です。これも亡き巨匠U氏のコピーですが、さすがU氏「まだかで。』ビジュアルと合間って全く違った表現となってます。数十年前のコピーが、違った表現で更にクオリティの高い表現を生む。これも正なり。何時も違うもの違う言葉をと考えてますが、こういう言葉の進化論もあるのかと教えてもらいました。土屋先生、U大明神、共に故人ですが、敬礼!