ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

脂肪の塊

2011-06-25 | 雑記
もうかなり前。地震が来る前で、寒くはあったが、話の内容から、去年のことだったと覚えている。

たまにここに出てくる、通称アザラシ。その子と話をしていた。


なんでも、年末の宴会芸か何かで、AなんとかBよんぱちの曲と踊り?をやるのだとかなんとか言っていたような気がするが、詳細は忘れた。


「あんなもの、TVでごり押ししてるだけで馬鹿馬鹿しいじゃないか、某たまねぎ頭のおばはんも、然るグミ菓子のCMで使われた曲のPVを見て(昼のアレにゲストで出たのだ)こういったぞ。「あなたたち、あんな格好をして恥ずかしくないの?」と。ろくなもんじゃないだろう」云々と。


そうするとこう返ってくるのだ。「あれだけ宣伝できるんだから、資本があるんじゃない?」と。


その資本がなんなのか、当時はいまいち分かっていなかったので、それ以上何も言わなかったが、資本云々よりもっと根本的な問題を、呆気にとられたのもあって見落としていた。

それはそもそも、音楽(一応は)であるなら、それを評価されて世間(といってもTVとその周りだが)に出てきたものだったか、という話。まったく、わしも思考が甘かった。


毎日TVやらコンビニやらで流されていて、話題から出来上がったのではなく、作り上げた話題でもって宣伝しているとは考える気はないと自ら告白している、というわけだ。要するに、TVで流れているから流行っていると言っている。

この子はこんな子だったか?と考えてみたが、やはりこんな子だった覚えのほうが多かった気がする。思い違いだとしても、評価は覆さない。


そして地震の後のある日。休みの日に停電があったので、電話してみたら、意外と近くまで出てきていたらしく、会うことになった。


占い師ぶった口ぶりで、当たったような当たってないような評価をしてきた。ついでに、「別に恋人とかそういう感覚はない」とも言っていた。


ただ一つ、その口ぶりから納得したことがある。それはこちらが「本来やるべきことを見ないように生きているのではないか」という話だった。


本来やるべきこと、というのは、向こうが思っていることとはまた違う(実際に言いたくない具体的な話もある)だろうが、今まで持っていた違和感を振り返り、そして思い至ったのは、「この子と話をしても、最早どうしようもない」だった。Aなんとかよんぱちに対する、たった一言でもう決まったも同然だったようだ。


「本来やるべきことを見ない」のは、空っぽの頭で空っぽに生きている、あちらだったのだろう、と。



では、人のことを貶せるほど充実した頭も生もないゴイムらしい動画でもどうぞ。

第十四夜



予定より遅くなっている。これでは秋まで続くだろう。問題は、この日本が、秋まで持つのか、ということだが。なるべく、カタストロフィの日までには終わらせたいところである。では、また。